2021年04月04日

【東日本大震災】レポートNo.309

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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり  
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3月16日、遠野でも「一針一針心をこめて10年〜糸にかけた夢舞台〜」と題して、つるしびな制作指導会の閉講式が行われました。当センターでは2011年3月25日から遠野入りし、10年間の記憶が走馬灯のように頭を駆け巡りました。

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当時、遠野市社会福祉協議会を中心に地元のNPOやJC、地元ボランティアで作る「遠野まごころネット」の立ち上げのお手伝いをさせて頂きながら、まけないぞうや足湯などを中心に活動を展開してきました。
その後、遠野市にもコミュニティケア型の木造仮設住宅が建設されました。遠野市は交通の要衝でもあり、沿岸地域にそれぞれ約1時間ほどで行くことができます。そんな条件も相まって仮設住宅には、沿岸地域の気仙町、陸前高田市、大船渡市、釜石市、大槌町、山田町など広範な地域から避難してきた人たちが入居していました。
サポートセンター(集会所)には遠野市社会福祉協議会から生活支援員が配置され、ボランティアと連携しながら被災者のみなさんに丁寧に寄り添って来られました。

遠野仮設_R.JPG

まけないぞうやつるしびなをしていたみなさんも10年という長い月日を過ごしてきました。10年の間に遠野に家を再建した人、仮設住宅の材料を使って木造の市営住宅ができ、仮設から市営住宅に移った人、それぞれ故郷から離れたものの、「遠野はいいところだよ。津波の心配はないし」とそれぞれ終の棲家での生活をスタートしました。

市営住宅_R.JPG

この間、多くの方が遠野を訪れ、支援活動を行い、モノづくりを通してたくさん交流が生まれました。被災者も支援者も支える支えられるという一方通行の関係を超え、お互いに支え合い、励まし合う関係が生まれました。“モノ”って不思議な力があります。その“モノ”を介して、お互いの想いが交流し、人間関係が深まっていくのです。閉講式に参加されたみなさんお一人お一人感想を述べてくれました。

〜作り手さんの感想〜
〇震災前に鬱になり、震災後も仮設ではみんなが集まるところへは行けなかったし、なにか人前で話してと言われても絶対にできなかった。人と話すのも怖かった。
最初に「まけないぞう」を作って、加代子先生に「大丈夫。大丈夫。これ(作品)が宝物だよ」と言われて、できるようになった。本当に遠野っていいところだな。こんないい人たちもいて。これからも終わらずにご指導ください。

〇裁縫は苦手だけれど、みなさんに支えられて作ることができました。震災でたくさんのものを失ったけれど、みなさんからたくさんのものを得ることができました。

〇“モノ”を作っていると、何も考えずに夢中になって、心が癒されました。

ありがとう_R.jpg

ちくちく2_R.JPG

〜ふきのとうの会のメンバー〜
〇この震災でボランティアが初めてで、わからないこともたくさんあったけれど、遠野でボランティアの芽が開花したと思います。初めてのボランティア活動で何もわからなかったけど、まけないぞうやつるしびなの活動をして、みなさんからたくさんのことを教えてもらいました。
〇「私もこうして、みなさんのお陰で参加することができました。」
〇「みなさんとは、5年間のお付き合いでした。ひなまつりや日帰り旅行とか楽しかったです。これからも近いのでみなさんとお付き合いしていきたいです。」

ご挨拶_R.jpg

〜ボランティアさんの感想〜
〇「10年目にしてはじめて被災地に来れました。知らなかったこともたくさん知ることができました。」

津波にすべてを奪われ、何もかもをなくし、0よりマイナスからのスタートとなり10年。なんとかここまでたどり着きました。みなさんやっと終の棲家をみつけ、「ここ遠野に来て、やさしい遠野のみなさんに囲まれて、私はいま幸せです」という言葉を聞いて少しほっとできました。
                                 (増島 智子)

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posted by 被災地NGO恊働センター at 09:22| ニュース・情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年03月24日

【東日本大震災】レポートNo.308

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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり  
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 久しぶりの岩手訪問で、たくさん会いたい人、お話したい人がいます。ご夫婦で沿岸から遠野市に移り住んで10年。沿岸に比べると冬は寒くて、夏は暑いとよく言われる遠野市ですが、神戸と比べたら、冬の寒さは厳しいですが、夏はクーラー要らずで、自然豊かな土地です。四季折々の風景は、忘れかけた日本の原風景としてあちらこちらに残っています。

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 10年前、釜石市の鵜住居で津波に襲われ、命からがらに逃げたご夫婦は、遠野の仮設で数年過ごした後、そのまま遠野市内に中古の家を購入し、2人で仲良く暮らしています。
ご主人は避難した高台から一変した町の風景を眺めていた時「あの当時、たくさんの“ガレキ”をみて、一体いつ片付くんだろうかと思っていた時に、下を走る道路に高槻の消防車や大阪の救急車などが走ってきて『よし!これで大丈夫だ!』と思ったよ」と涙ながらに話してくれました。壊滅的な被害を受け途方に暮れる中で、応援車両は被災地のみなさんの希望の光として映ったに違いありません。国内のみならず、海外からもたくさんの支援が届きました。
ご主人は続けて、「あの津波で世界170ヶ国からの支援してもらったんだ。インドのニューデリーからも支援に来てくれて、小さな子どもたちが、靴磨きをしてためたお金を寄付してくれたんだ!そんなお金を無駄にはできない。」と涙ながらに話してくれました。いまの被災地の復興の在り方をみて語気を強めました。
海は防潮堤が町を取り囲み、町には不似合いな大きな建物が立ち並び、空き地が目立ちます。これが本当に住民が求めていた復興なのでしょうか?

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 ご主人は「いつか故郷の虎舞をお世話になった遠野で披露したい」と笑顔で語ってくれました。いつかこの夢が実現できる日を心待ちにしています。
               (増島 智子)
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posted by 被災地NGO恊働センター at 15:54| ニュース・情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年03月12日

【東日本大震災】レポートNo.307

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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり  
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3月11日、あの津波から10年の月日が流れました。犠牲になられた方たちは行方不明者、関連死も含めると2万2192名となります。犠牲者のみなさんには心よりご冥福をお祈りするとともに、行方不明者の方が一日でも早くみつかりますように願ってやみません。
午後2時46分、遠野市の復興住宅の脇にある公園で行われた追悼式に参加しました。

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あの日、大槌町から遠野市まで歩いて山を越え、助けを求めにきた被災者の方がいました。「沿岸が大変なことになっている」と。そして、遠野市は後方支援として沿岸にボランティアを派遣し、長期間の支援活動が始まりました。
私達も、遠野のみなさんを中心にボランティアとともに避難所、仮設住宅、復興住宅などを訪問しまけないぞう作りをしてきました。
 まけないぞうは今までの被災地では少し落ち着いた頃の仮設住宅からスタートすることが多かったのですが、今回の東日本大震災では避難所からのスタートでした。まだまだライフラインや物資も不足する中での活動には、正直躊躇するところもありましたが、被災者のみなさんがまけないぞうを作りながら、「久しぶりに針を持ったわ。」「今日は頭を動かしてよく眠れるわ!」「ずっと津波のことを考えていたけれど、夢中になって津波のこと忘れることができたわ」などの感想を話してくれました。それから不安は消え去りました。

2011年当時の作り手さんのメッセージを紹介します。
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美容師として仕事をし、9年前に念願だった店舗を構え、美容室を経営していましたが・・・この震災で何もかもきれいさっぱり波にのまれてなくなってしまいました。避難所での生活は今まで味わったことのないくらい悲惨で、人間関係に苛立ち、泣きながらの毎日でした。そんな時、このまけないぞうに出会いました。もともと裁縫は苦手ではなかったので、やっているうちに楽しさを覚え、何も考えることなく時間を過ごし、いろんな人と出会い、何より仕事を失った今では少しでも家計の足しに…。時には自分のお小遣いなーんて!まけないぞうに出会えて本当によかったと思っています。今では子ども達も手伝ってくれるんですよ!まけないぞうがんばって作ります
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こうして、この10年間、被災者のみなさんに寄り添い、ともに歩んできたまけないぞう。辛いことばかりではなく、楽しいこともたくさんありました。多くの人たちとの出会いが被災者の人に元気と勇気を届けてきました。

10年経ったいま、町の景色は様変わりしました。被災地は盛土による造成地が広がり、海にはコンクリートの要塞のような防潮堤が立ち並び、復興道路という名のもとに山は削られ、行き場を失った獣が町を闊歩しています。造成地を作ったものの空き地が多く、昼間でも町を行きかう人はまばらです。

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「こんなはずじゃなかった。まるで変っちゃたよ」という被災者の言葉がむなしく響きます。コロナ禍により一層問題は深刻化しています。せっかく再建を果たしても、コロナの影響で漁師は漁獲量が減り、旅館は宿泊客が激減し、商店も売り上げが減少するなど、2重3重にも被災者に追い打ちをかけています。
10年目にして「これからが本番だよ」という被災者の言葉を噛みしめながら、私たちにできることを今後も続けていきたいと思います。どうぞこれからもよろしくお願い致します。
(増島 智子)

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posted by 被災地NGO恊働センター at 13:41| ニュース・情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年03月11日

【東日本大震災】レポートNo.306

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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり  
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 3月9日は一年ぶりに陸前高田市を訪問しました。今日は「つるしびな制作指導会閉講式」が行われました。

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 これは、私たちが東日本大震災から続けているまけないぞうをきっかけにお出会いした遠野市の手芸サークル「ふきのとうの会」のみなさんが主催したものです。「ふきのとうの会」のメンバーは2011年、避難所を毎日のように一緒に回ってまけないぞうづくりのお手伝いをしてくれました。
そして、陸前高田市の避難所でまけないぞうを作っていた二人の被災者の方が、市内にある高田高校のグラウンドにできた仮設住宅に引っ越し、2011年6月末に初めてその仮設住宅でまけないぞう作りを始めました。当初、集会所がなかったので遠野からテント、椅子、長机を持ち込み、仮設住宅の隙間にセットしてまけないぞうづくりなどをしました。

 そこでも「ふきのとうの会」のメンバーのみなさんが、まけないぞうの作り方を一緒に指導してくれたのです。2011年の秋頃からは「ふきのとうの会」のメンバーがつるしびなの講習会を開始し、月に1回のペースで今日まで続けてこられました。そして、年に一度遠野市の松崎地区センターにてひなまつりの時期にあわせて約2週間にわたって、一年間で作り上げたつるしびなを展示し沿岸の被災したメンバーの方たちと交流会を兼ねてきました。これまでにみなさんおひとりお一人が作った作品は97個にもなるそうです。
今日の閉講式では、みなさんがこの10年を振り返り、感想を話してくれました。「ふきのとうの会」のメンバーの中には、3名の方がすでに亡くなられていて、その方たちへの黙祷をし、ご冥福を祈り、式が進められました。

 その後、被災されたみなさんあの当時のこと、忘れたくても忘れられないと鮮明に残る記憶に涙しながら話してくれました。奇しくもこの日の朝10年前と同じように地震に見舞われ、みなさんあの時のことを思い返していたのです。3月9日に地震があり、11日にあの大津波が起きたのでした。
津波に流され、一晩中家の屋根の上で凍えて過ごした人、職場から逃げ、家族の安否がわからず配られたおにぎりも喉を通らなかった人、黒い壁(津波)が押し寄せてきて、命からがら逃げた人、旦那さんと一緒に波にのまれ、旦那さんが亡くなり、自分は気づいたら病院のベッドの上にいて、いままで必死に生きてきたという人、本当にそれぞれの物語があり、津波の恐ろしさをあらためて感じました。
その後、辛くてどうしようもなく、仮設住宅でも隣近所知らない人たちとの暮らしがはじまり、まけないぞうやつるしびなといった作品を作ることで一瞬でも津波のことを忘れたり、みんなで笑ったり、泣いたりしながら交流を深め10年という歳月を歩んできました。

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 「ふきのとうの会」の代表菊池加代子さんは「最初は、支援できていたけれど、そのうちどっちが指導されてるんだかわからなくなって、いまは交流になって、被災者と支援者ではなくもう“友達”になりました」と話してくれました。ものづくりを通して、こうして豊かな人間関係が生まれ、10年経ちました。今回でつるしびなは一区切りとなりますが、これからはまけないぞうが岩手に来た時に遠野の人たち沿岸にお連れして、交流を続けていきます。
「ふきのとうの会」のみなさん10年間本当にお疲れさまでした。そしてありがとうございました。これからもどうぞよろしくお願い致します。
そして、式の最後にはまけないぞうとの出会いを記念していままで作り続けてきたまけないぞういっぱいのタペストリーを頂きました。まけないぞうからは10年間ご支援を頂いているmakeanzioneのみなさんから頂いたお手紙をお届けしました。コロナ禍ではありますが、心と心は密につながり、県を超え、国を超えてつながっています。
                       (増島 智子)
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posted by 被災地NGO恊働センター at 10:19| ニュース・情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月17日

「ぞう通信。(番外編)」

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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり  
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 先日6月12日に1本のメールが入りました。まけないぞうの作り手さんが入院中に脳梗塞で亡くなったという訃報でした。その彼女は仮設で生活されているときからまけないぞう作りをしていました。

2011年の冬、大船渡の仮設住宅でその作り手さんと出会いました。まけないぞうをお手伝いしてくれていたボランティアさんがいつも通っていた仮設に住んでいました。当時はまだ、がれきがあちらこちらにうずたかく積まれ、家の土台だけが残された更地が広がっていました。彼女は、仮設で娘さんご夫婦と、お孫さんたちと一緒に暮らし、その間にはひ孫さんも生まれ、にぎやかな生活をしていたのでしょう。
6年間仮設で1,838頭のまけないぞうを作り上げました。その後2017年には自宅を高台に再建し、娘さん夫婦と暮らしていました。

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作り手さんの訃報に接して、いつも書いて頂いたメッセージをご紹介します。

(2012年1月12日)
1995年1月17日の阪神・淡路大震災の時はまるで他人事のようにテレビを見ていましたが、まさか自分にふりかかってくるとは夢にも思いませんでした。仮設に入って何もやることもない時、まけないぞうさんを作ってとても楽しくなりました。これからもぞうさんと同じように新しい年に向かってがんばって行きます。ぞうのように私もがんばりたいと思います。

(2013年5月22日)
久しぶりにぞうさんが来ましたので、作るのが楽しみです。仮設でも色々なボランティアさんが来ますけど、この間も神戸大学の学生さん方が来て、ぞうさんの作り方、その他折り紙やお話などをやってくれました。仮設で何もすることがないので、ぞうさん作りが楽しみです。どうぞよろしくお願いします。

(2014年7月4日)
盛夏お見舞い申し上げます。お陰様でひ孫も無事に生まれてほっとしています。それにぞうさんを作りながら留守番をして何もできないものですから、助かりました。次にまたよろしくお願いします。ぞうさんを作るのがとても楽しみです。

(2017年3月15日)
いつもぞうさんを作らせて頂いてありがとうございます。出来上がって送りますと次にくるのが楽しみです。やはりぞうさんがないと何もやることがないので、退屈です。
今度は引っ越しをするのですが、新しい家の方にも来て頂けますでしょうか?大変だと思いますが、よろしくお願い致します。

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 メッセージを見ていても伝わってくるのですが、まけないぞうが大好きで、退屈な仮設暮らしの中で、まけないぞうが彼女の生活に潤いを与えてくれました。
 末筆ではありますが、Aさんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
posted by 被災地NGO恊働センター at 16:40| ニュース・情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする