2013年09月27日

「まけないぞう」号外!!!

まけないぞう関連のニュースをお届けします。

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「まけないぞう」号外!!!
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 先日、神戸にある王子動物園のインドゾウ「ズゼ」ちゃんが妊娠し、出産のために10月から千葉県市原市の動物園「市原ぞうの国」に移すことが発表されました。
詳細は、http://www.kobe-np.jp/news/shakai/201309/0006365103.shtml
 実はこの「ズゼ」ちゃんは「まけないぞう」と深〜い縁があるのです。「まけないぞう」が生まれたときに、ぞうさんをつなげて首飾りにして、「ズゼ」ちゃんの首にかけて宣伝してもらったのです。
 当センターの事務所にもその時の写真をポスターにして、飾ってあります。これは、「ズゼ」ちゃんが育ってきた18年間に渡って、私たちのことを見守ってくれています。
 
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またこの時には、当時いた国内最長寿の諏訪子と代表の村井が記念撮影を行いました。諏訪子は残念ながら、2008年4月に亡くなりました。この諏訪子も人々にたくさんの笑顔をもたらしました。

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 当時の「ズゼ」ちゃんは、4歳でラトビア共和国から阪神・淡路の被災者を励ますために、被災地へ届けられたのです。その翌年97年に「まけないぞう」が生まれ、王子動物公園で「まけないぞう」や「一本のタオル運動」で寄せられた全国からのメッセージの展示会を開催しました。あれから「ズゼ」ちゃんは23歳、「まけないぞう」は16歳で、二人とも大きくなりました。これからもみなさんに笑顔を届けてほしいです。
 そんなご縁のある、「ズゼ」ちゃんの朗報に懐かしく想いながら、心が弾みます。かわいい赤ちゃんに出会えることを楽しみにしています。ぜひお近くにお住まいの方は「ズゼ」ちゃんに会いに行って見てください。

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posted by 被災地NGO恊働センター at 16:45| ニュース・情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月12日

【東日本大震災】レポートNo.229

震災2年半の被災地を増島がレポートします。

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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり  〜震災2年半〜
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 昨日で東日本大震災が発生してから2年半が過ぎました。警察庁などによると、9月11日現在の死者は15,883人、行方不明者は2,654人。避難生活による体調悪化や自殺などを原因とした震災関連死は2688人(3月末現在)に上ります。犠牲になられた方のご冥福をお祈りするとともに、全ての被災者の人にとって安心できる暮らしが早く来ることを願ってやみません。被災地では、遅々として進まぬ被災地を前に、被災者の不安は後を絶たず、諦めに混じりのつぶやきが聞こえてきます。

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 「ここは何も決まっていないし、一番遅れているよ」どの地域を回っても聞こえてくるつぶやきです。「復興住宅も高台移転もまだ何も決まってね〜」、「ここで(仮設)死ぬのかね」「ボランティアが来ない週は、一週間が長くて嫌だよ」「いつまでここに(仮設)にいるのかね〜」「行政の人とかは突っ込んで被災者と話しをしないけど、ボランティアなら打ち解けることができる」「お風呂の水を見ただけでも気分が悪くなる人がいる」などなど、話しは尽きません。

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 行政が復興を急ぐ余り、被災者の人たちのつぶやきが充分にひろえてない現状を日々感じています。仮に問題が解決をしなくても、被災者の日頃のストレスを発散できるような「場」があることで、先の見えない不安が和らぎます。大学生のボランティアと話しているときは「まるで孫と話しているみたいだ」と笑顔で接しています。お茶を飲みながらたわいもない話しをしをすることで「あ〜今日はよく笑った」と言ってくれます。ボランティアにしてみたら、ただお茶を飲んで話をするだけで、それでボランティアと言えるの??と思われますが、それが被災者の心の安らぎにつながるのです。ある被災者の方は「4日仮設の部屋にいると辛いけど、1日談話室に行ってお茶っこしながらみんなと話すと3日命がつながる」と言ったそうです。ここでは特に専門家がいるわけでもなく、住民がお茶を飲みながら話をしているだけの空間からこのようなつぶやきが聞こえてくるのです。
 
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 まけないぞうを作っていても同じです。最近は作り手である被災者の口から「ぞうさんは生きがいだよ」という言葉を頂きます。「ぞうさんをしないと、手がめちゃめちゃだ(しっかりしない)、作っていたらしゃっきとするよ。お陰でぞうさんが生きがいになりました」と。。。いつの間にかぞうさんが被災者に寄り添い、みなさんからメッセージを届けているのです。そのメッセージを感じながら被災者の人は針を運び、毎日毎日の生活を過ごしています。「何もしないと、変なことばかり考えるからぞうさんするの」と。。。時には「ぞうさんいつまで続くの?まだ作っていいの??」と心配をしながら、「まけないぞう」が生活の一部になっているのです。

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「まけないぞう」はずっとあなたのそばにいます・・・
posted by 被災地NGO恊働センター at 14:31| ★「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月03日

【東日本大震災】レポートNo.228

7月末に、再び岩手県に入った増島のレポートをお届けします。

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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり
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 東北の夏は各地で、お祭りが開催され、お盆も手伝って多くの人で賑わいます。宮城の仙台では七夕祭り、福島ではわらじ祭り、岩手ではさんさ踊り、山形の花笠まつり、青森のねぶた祭り、秋田の竿灯祭りなどがあります。今年の夏は岩手のお祭りにも触れることができました。

 陸前高田市では、旧暦の8月の7日前後に七夕祭りが開催され、うごく七夕と気仙町の方ではけんか七夕が開催されました。去年からボランティアなどにも協力してもらいながら、3つの山車が参加し、今年はそれが12台になり、賑やかになりました。それぞれの町がその日のために、山車の飾り付けに思考を凝らし、当日を迎えます。話しには聞いていたのですが、実物をみると壮大です。山車の中では若い人たちが太鼓や笛を奏で、地域の人たちが綱を引いて山車を動かし、町を練り歩きます。何もない閑散とした被災地に人の息吹がよみがえります。この町の文化の一端にふれることができました。

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 ぞうさんの作り手さんに、ぞうの回収に行くと「ぞうさん終わって遊んでいたから、浴衣を縫っていたよ」と言われてしまって、思わず「私のも縫って下さい」とお願いして、遠野の反物屋さんで生地を手に入れ、縫って頂きました。83歳とは思えない手さばきで、襟元もしっかりしていて、裏地もつけていただいて、素敵な浴衣が完成しました。
 その浴衣を別の作り手さんに着付けてもらい、いざ七夕祭りへ。

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 いつも仲良くさせて頂いている親子の方と一緒に七夕見物です。「きれいでしょう?」「よかった〜」「これがうちの町の山車だよ」「ほ〜らみてごらん」などなど、うれしそうに説明してくれます。お祭り参加している人たちの笑顔を格別でした。

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 最後に夏の夜空に花火の花が咲き、被災地を照らしていました。来年またみんなが笑顔でこの場所に戻ってくれることを心から願っています。

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posted by 被災地NGO恊働センター at 09:53| ★「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月01日

【東日本大震災】レポートNo.227

7月末に、再び岩手県に入った増島のレポートをお届けします。

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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり
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 被災地では、大人以上に子どもたちも復興へ向けてのまちづくりなどに積極的に考えています。作り手さんの娘さんもその一人です。大槌高校に通う高校2年生の黒沢菜緒佳さんは、高校生通信というニュースを発行しています。その通信には、被災した子どもたちが考えた「マイプロジェクト」というもの掲載しています。プロジェクトをしている高校生2人にお話を聞きました。

 これはNPOカタリバが被災地で子どもたちに学習の機会などを提供する「コラボスクール」を開設し、その居場所を通して、子どもたちの活動を運営し・サポートしているのです。その一つに、「マイプロジェクト」があり、復興の過程で町の課題を見つけ、それを解決したり、復興を担う未来のリーダーを育てることを目指しているそうです。
この趣旨は「被災した子どもたちが安心して学べる場をつくることで、これからの東北復興を担うリーダーを育てたい」という想いからだそうです。
 
その具体的なプロジェクトの一つに「3.11復興木碑設置プロジェクト」があります。その提案者は、大槌高校に通う吉田優作くんです。彼は、津波を経験し、今後同じ過ちを繰り返さないためにも木碑を作り、震災の風化を防いでいこうと考えたそうです。そして、奥尻の津波のことがあったのに、なぜみんな忘れてしまったのか、そのことをもっとわかっていたらこんなことにならなかったと思うと話してくれました。
彼がわざわざ木碑にこだわったのは、石碑であれば一度作れば、そのままになってしまうので、木にしたら、それが自然と朽ちていくので、その時に立て替えをすることでまたみんなが思い出して、風化を防げると考えたのです。そして、忘れないためにオリンピックと同じくらい周期4年に一回立て替えをすることにしたそうです。
 また、その碑に刻む文字はみんなにわかりやすく、見えるように地元の人にも意見を聞きながら、「大きな地震が来たら、戻らず高台へ」と記しています。

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 高校生通信を作っている彼女は、広報誌の自分が住んでいる集落に一軒一軒配布しています。お年寄りはブログなどは見れないので、その通信を心待ちにしているお年寄りがいたり、会話が弾んだり、お年寄りを元気にする一つのツールとしての通信なのです。便利さ故にネットなどに頼ってしまいがちの昨今ですが、一軒一軒回って、紙に書いたお手紙を渡すこの手間暇を大切にしたいものです。

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 これからの町を担う子どもたちの意見に大人は真摯に耳を傾け誰もが暮らしやすい町を作っていって欲しいです。そのそばにはいつもまけないぞうが寄り添っています。

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posted by 被災地NGO恊働センター at 15:30| ★「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする