2011年03月31日

【東北地方太平洋沖地震】レポートNo.34


震災当日の11日より、被災地で活動している吉椿雅道のレポートと、
神戸のある支援者の方から事務局に寄せられたメッセージをご紹介致します。
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吉椿のレポート
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数年前、岩手県三陸海岸を歩いて「いのちをまもる智恵」という本を作った。
宮古市田老町は過去に数十回の津波の被害を受け、「津波太郎」という汚名をもらっ
ている。特に1896年(明治29年)の明治三陸津波では1859人が、1933年(昭和8年)の昭和三陸津波では、911人が犠牲になった。

その後、世界最大の防潮堤や防潮林、防災無線、避難通路の確保など二重、三重に津波を防ぐ備対策を講じてきた田老町であるが、今回の津波は、世界最大の防潮堤(高さ10m、総延長2.4km)をはるかに超えて、約500mが倒壊したという。宮古市全体では、死者307人、行方不明者約1700人、避難者8836人(人口の4分の1)という被害を出した。(23日現在)

 拙著「いのちをまもる智恵」でも取り上げている田老町で防災紙芝居を行う語り部、田畑ヨシさん(87歳)は、幼少の頃、明治三陸津波で生き残った祖父から「津波の時は、てんでバラバラ逃げるんだ」という「津波(命)てんでんこ」という伝承を聞かされていた事で昭和三陸津波の際、ヨシさんは逃げのびた。

この地震発生直後、神戸より何度も何度もヨシさんのご自宅に電話をかけていたが、
音信不通のまま安否も分からずにいた。だが、先日「ヨシさん、テレビに出てたよ。無事だったよ。」と友人から電話があり、安堵した。ヨシさんは、いち早く高台に避難し、妹さんの家に避難していたそうだ。

だが、ヨシさんは。「もうこの町には住みたくない。」、「語り部としての役割は終わった。」と語っていたそうだ。悲しい言葉だが、それだけ過酷な状況だったのだろう。でも「誰か、津波の恐ろしさを語り伝えてほしい」とも言っていたそうだ。津波を何度も経験したヨシさんは、今どんな思いで暮らしているのだろう。

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ある支援者からのメッセージ
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NHKで当センターを取り上げて下さった番組をご覧になり、「神戸市垂水区の一市民」と名乗られる方が、「感動致しました」と、手紙とご寄付をお持ち下さいました。たいへん心打たれるメッセージでしたので、紹介させていただきます。
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 毎日恊働センターのお仕事大変ご苦労様です。3月27日朝NHKの放送を見ました。東北大震災発生後4時間後に既に今回の活動を開始されていたことを知り、大変感動いたしました。その後の的確なる活動振りを拝見し、さらにさらに感動しました。
 この度の震災は範囲が広く、それに地震と津波と福島原発の被害が重なり、まさに今までに例を見ない、大きな被害になってしまいました。

 とにかく今できることからやっていく、そのうち皆さん方の知恵と工夫でどう対処していくかの筋道を立てた救済活動に展開されていくとのことで、本当に素晴らしい活動であることを知りました。

 被災地では自治体そのものが解決的被害を受けており、地域の核となる組織体がなくなっていますので、ボランティア活動のとりまとめができなく、全国の皆さんが応援に行きたくても、なかなか実現しない状況のようです。
 こんな時NPOの方々が連絡を取られ、その核となって、被災地の救済に当たられるのは、本当に素晴らしいことだと思います。
 私どもは、阪神淡路大震災のとき、全国の方々、そして世界のあちこちから元気をいただきました。今回はぜひとも被災地の方々に元気を届けたいと思います。

 私どもはなにぶんにも年齢的に、現地に行ってお手伝いをするには無理があり、また現地で逆にご迷惑をかけてはなりませんので、せめて義援金だけでもと思い、少ないですがお届けに来た次第です。

 どうかこれからも、被災地への救援隊の派遣や災害弱者の救援に頑張ってください。東北の被災者の皆さんに「頑張ろう東北!!頑張ろう日本!!」「必ず復興できる、希望を持って、この災害を乗り越えよう!!」を伝えてください。

(垂水区 一市民)

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この方のおっしゃるように、「希望を持って、この災害を乗り越えよう!!」という全国か
らの応援の気持ちを、いろいろな形で伝えてきたいと思います。

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posted by 被災地NGO恊働センター at 12:13| 被災地からのレポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする