地震に先遣隊として被災地に入った武久真大のレポートです。
自分にできること、話を聞くだけでも救いになるのだろうか。
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武久のレポート
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山形県米沢市。
吉椿のレポートでも説明されているとは思うが、ここに福島県から、
福島第一原発から半径20キロ圏内にあり避難指示を受けたひとと、
その周辺から自主避難してきたひとたちが今も避難生活を続けている。
【言葉の壁とそばにいること】
避難所の体育館。生活スペースのアリーナの外、ロビーに設置されたテレビ。
そこでただひたすらに地震関連の情報を流し続けるその画面をぼうっと見つめるおいちゃ
ん。その横にすとんと腰かけ、声をかけてみる。
堰をきったようにたくさんの言葉を私に投げかけてきた。
テレビを見ていたときの顔と違って、目は、顔は、たくさんの表情にあふれていた。
でも、言っていることがほとんど分からない。
浜通りから来たということ。農業機械が流されたこと。
少しずつは分かるけれど、気を利かせて言っただろう冗談も笑うところが分からない。
たまに分かった言葉を、ひとつひとつ、追いかける。
おいちゃんはそんな私の状態を、知ってか知らずかお構いなしに、語ってくれる。
どれくらい話しただろう、そんなとき神戸からの電話でふたりの時間は終わった。
その日以来、そのおいちゃんと会う場所はなぜかトイレ。
一緒に横に並びながら、おいちゃんはいつも、いつも聞いてくれる。
「神戸にはいつ帰るんだ?」って。
この避難所には、間に他の避難所や親戚の家を転々とした後に辿り着いたひとが多い。
そのおいちゃんもその中のひとり。
福島から避難してきたといえど、自治体もばらばら、
知り合いもいない見知らぬ土地で、話に耳を傾けてくれるひとは少ないのだろう。
こうして話を聴くひとの大切さ。そして、言葉の分かる地元のひと。
外からできることを考え、中のひとと一緒にやっていくことを考えていかなければいかない。
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