2011年05月23日

【東日本大震災】レポートNo.87

被災地NGO恊働センターです。
まけないぞうの取り組みについてと、当団体が応援する
プロジェクトについてご紹介します。

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◆まけないぞう
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東日本でまけないぞうづくりが徐々に広がっていますが、たくさん作れるようになるまでは兵庫、新潟の作り手応援団の方々が頑張ってくださっています。おかげで5月8日のスタート以来、既に347個のまけないぞうが生まれました。

兵庫県の作り手応援団である「たつのボランティア連絡会」は、たつの市、新宮町、揖保川町、御津町のボラティア協会の連合体です。こちらのボランティアさん数十人が、それぞれの地域に集まって、かわいいぞうさんをつくってくれています。今日も90個が事務局に届きましたが、すぐに注文者様のところに旅立っていきました。

たつのでまけないぞうづくりのネットワークを築いて下さったOさんは、「だんだん皆がこつを覚えてきました。頑張ります!」とのことです。「鼻をこうしたらもっとかわいくなるよ」などとアドバイスしあいつつ、「今日は居残りで研究よっ」と気合い十分です。

「被災地から被災地へ、支援のリレー」第二弾はまけないぞうがバトンを運んでいます。
応援よろしくお願いします!

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◆被災地〈岩手県〉でのお絵描き会
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当団体の関係者が進めているプロジェクトをご紹介します。
当団体はこのプロジェクトを応援しています。
長くなりますが、企画の全文を掲載しておきます。

<名称>
けっぱれ岩手っ子
<主旨・目的>      
今回の東日本大震災による地震と津波の恐怖を体験した東北地方の子供達の心が少しでも和らぐ事を願って絵を描いてもらう活動です。
この活動を進めるに当たっては被災を受けなかった者が被災した者を一方的に援助するという関係とは別のあり方、参加して下さるスタッフ・ボランティアの皆さんと子供達がお絵描きの時間を共に楽しく過ごし、温かく心の通い合える場になる事に重点を置きたいと思います。

<主催>
遠野まごころネット 担当:豊田

<協賛>
株式会社 さくらクレパス
株式会社 ゴークラ

<開催地域>
宮古市から陸前高田市にかけての岩手県沿岸部の被災地

<開催場所>
保育所、幼稚園、育成センター、小学校、児童養護施設等
上記の場所で行うに当たっては施設側の受け入れ許可を事前に得なければなりません。こうした施設側への呼び掛けと開催時の手助けを各地域の中で行って頂ける方を地元メディア(地方紙・FM局等)にて募集します。   

<期間>
約3ヶ月間 被災後半年位までを目安とします。

<会場及び想定参加人数>
50ヶ所前後・2千名以上

<発表会について>
発表場所は未定。決まれば対応できる様に準備しておきます。
※作品は展示終了後、全て子供達に返却します。

<画材>
画用紙は(株)ゴークラより6000枚の支援がありました。
画板・クレヨンについては今回の津波で深刻な被害を受けた現地事業所支援の意図の下、陸前高田市の伊藤文具店(店舗流失)を通じて定価の60%【(株)さくらクレパスの協力】で購入します。今回活動に必要なクレヨンは12色定価¥450×2000セット¥900,000×0.6+消費税5%=567,000の購入代金が必要になります。購入した現品はメーカーから遠野まごころネットに直送されます。これらの画材購入代金はマスメディアを通じて募金を呼び掛けて捻出します。子供たちの心のケアはもちろん被災地の経済支援の意味からもぜひともご協力の程、よろしくお願いします。

募金の送金先
【東北銀行遠野支店・普通・3187624遠野まごころネット事務局スタッフ豊田純一郎】

※この企画に関する問い合わせ先:TEL080-5348−9851(藤田)

◆被災地〈岩手県〉でのお絵描き「けっぱれ岩手っ子」立ち上げの主旨◆
発端は16年前の阪神淡路大震災に遡ります。1995年1月17日で時間が止まったまま被災地は周囲とは隔絶した生活を強いられていました。

給水車に並ぶ大人達のどこか諦めた表情はともかく、子供たちはいずこにいても元気で明るく、ごくふつうに見受けらます。しかし長びく避難所暮らしと生活再建の見通しの無さに焦燥する大人達の影響を受けない訳がありません。程度の差こそあれ、子供達もそれぞれに我慢を抱えている筈です。

そこで以前聞いた絵を描く事が心のケアに有効らしいという話を思い出し、仲間(数人の画家、大学の講師、全壊した児童書店の女主)を募って企画したのが「移動お絵描き教室」でした。実行に当たっては画材の調達はもちろん、被災地毎の会場の確保と参加の呼び掛け、等々準備に追われる毎日でした。あまりの大変さと徒労感で投げ出したくなる時もありましたが、ある幼稚園でのお絵描き会を終え、お別れのあいさつを交わしている時、1人の腕白そうな男の子から「つぎいつくんねん」と声をかけられ、応えに窮することがありました。この活動の方針が一人でも多くの子供に思うぞんぶん絵を描いてもらう事であり、1ヶ所1回限りが原則だったからです。

唯この出来事は、これまでの活動がまちがいなく子供達に伝わった証として私達に勇気を与えてくれました。転々と会場を移しながらつづける活動は1995年2月半ばから交通機関の回復する4月下旬までの2ヶ月余りで19ヶ所、およそ千人の子供に書いてもらうことができました。以後、鉄道の復旧により、いろんな支援者が入って来られる様になった時点で、われわれの役目は終了と判断、各々が自分の生活の再建に戻っていきました。この事は後日兵庫県が行った全てのボランティアの記録への申告は行いませんでした。理由は私達の仲間の誰1人として奉仕したとは思っておらず、子供達から充分に元気を授かる事ができたからです。

そして今回遠く千キロ離れた東北地方での地震と津波は犠牲者の数、広域に及ぶ被災地、全てが阪神の時をしのぐ規模になっています。あの時我が家は半壊しましたが家族全員の無事を喜び合いすでに16年の歳月、当時中学一年生の長女を東北に嫁がせて2年に満たない3月11日、忌まわしい事が現実になってしまいました。行方不明になった娘を訪ね探す日々、そして辛く悲しい対面、永の別れを済ませた後、止まらぬ涙。そんな日々の中で聞こえる気がしたのは「私が生涯の地と決めて嫁ぎ、温かく迎えてくれたかの地の人達が今大変なのに泣いてばかりいないでやる事があるでしょ!お父さんだから出来る事が」と娘が私を叱咤する声でした。多分娘の縁がなければ遠くで起こった出来事にして義援金を送って終わってしまったかもしれません。しかし娘が行方不明の間、多くの方が心配され、手立てを尽くして足取りを追って下さった方まで居られた事を知るに及び、私なりの役割を果たさなければならないと感じています。

今の私に出来る事は16年前の体験を子供達と接するであろう若い人達に理念として伝える事であり、活動をスムーズに進行させる為の後方支援だと考えています。理念という程大層なものでは無いのですが、以下の事を留意してい頂きたいのです。
@ 絵を指導するのでは無く唯々寄り添う気持ちで接する
A 好きなだけ描いてもらう。画用紙はたえず余分目に持参
B 描きたくない子に無理強いはしない。他の事(作文等)を勧めてみる。
C 描く事を楽しむように気配りする
 この活動を多くの方に理解して頂き、会場の確保、画材の提供等で支援して下さる事を願う次第です。
2011.4.30
藤田敏則
posted by 被災地NGO恊働センター at 18:52| ★「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする