2012年07月20日

【東日本大震災】レポートNo.179

6月26日から7月9日まで岩手県に入った増島のレポートをお届けします。
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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり 7月1日(日)
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今日は釜石市の尾崎白浜と荒川仮設に行きました。いつも行っている尾崎白浜の仮設では、お手伝いにきてくれたボランティアと作り手さんと一緒に「まけないぞう」づくりをしました。初めてで不安そうなボランティアも作り手さんに教わりながら、ゆっくりと針を動かしていきます。作り手さんも一緒に作りながら、「どうしても顔がうまく出来ないんだよね〜、もう一度教えて」と作りながら復習をしています。みなさんよくできていても、やはり顔にこだわり、「めんこいぞうさん」を作りたいのですね〜。

一緒に_s.JPG

ベテラン_s.JPG

ボランティア_s.JPG

そうこうしているうちにぞうさんも仕上がり、お昼の時間になってしまいました。するとごちそうを用意してくれていました。旦那さんが漁師をしている作り手さんからはアイナメを差し入れしてもらい、もう一人のもと漁協の作り手さんがさばいてくれました。近くの山で採れた山菜やらお昼からごちそうです。

ごちそう_s.JPG

ぞうさんを作っている時の感想を聞くと、作り手さんは、
「ぞうさんはあきないね〜、楽しいよ」
「顔がなかなかうまくできないよ」
「みんなで寄って、こうしてお話するのが楽しいよ」

この地域は小さな漁師町で、120件近くの家屋のうち26件が流されました。三陸大津波でも被害に遭い、そのときの石碑と観音さまが、海を見渡す高台に建てられています。三陸沿岸にはこのような石碑が200〜300あると言われています。

石碑_s.JPG

観音さま_s.JPG

午後からは、はじめてお邪魔する唐丹地区の荒川仮設へいきました。神戸の仲間と合流して、支援員さんも同行してもらいながら4人で伺いました。支援員さんからの事前の情報だと小さな仮設でそんなに人数は来ないかもしれないと聞いていたのですが、行ってみてびっくり。20人近くの方が来てくれていて、午前中に覚えたてのボランティアさんも、見よう見まねで覚えた神戸の仲間も、ぞうさんを一生懸命に被災者の方に教えてくれました。

たくさん_s.JPG

満員です_s.JPG

なかには「17年前の阪神・淡路大震災のときに日赤奉仕団で釜石から一人支援に行ったよ。東灘区に10日間ほど、あのときは大変だったね。今回の津波もひどいよ〜。家がちょうど津波との境で半分は壊れたよ」という女性が参加してくれていました。被災地を回っていると何人かの方が、あのとき神戸に支援に入ってくれたことを聞かせてくれました。困ったときはお互いさまですね。
そうこうしているうちに続々とかわいいぞうさんができてきました。

着々と_s.JPG

できました_s.JPG

こちらもできました_s.JPG

終わった後、荒川の漁港を案内してもらいました。まだまだ流木や看板などが散乱していました。写真の小白浜漁港の看板は、隣の港から流れてきたものです。

隣の漁港の看板_s.JPG

ガレキ_s.JPG

津波前は、砂浜もあって海水浴に訪れる人もいたそうです。津波で地盤沈下し、砂浜もかつてあったところが海になってしまったそうです。
砂浜跡_s.JPG

本当に津波の強さを思い知らされます。これを教訓として次世代に語り継いでいくこと、そして、自然に逆らわず、私たちの暮らしは自然の中で生かされていると気付くこと。いつも被災地にいると考えさせられます。
(増島智子)

☆まけないぞう一言メッセージ
お陰様でようやく、ぞうさんの仲間以外の人たちとも交わることに努力できるようになりました。集会所の体操や健康相談にも出かけています。 まだまだ、自分の所の流れた"やしき"も見に行こうかと、自分の心に呼びかけています。
(2012/6/28 80代女性 釜石市 上中島仮設)

posted by 被災地NGO恊働センター at 11:38| ★「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする