2013年08月16日

【東日本大震災】レポートNo.224

7月末に、再び岩手県に入った増島のレポートをお届けします。

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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり
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梅雨明けした途端、各地で豪雨災害に見舞われ、岩手・秋田両県内でも7名の死傷者がでました。心よりお見舞いとご冥福をお祈り申し上げます。
当センターでは、山口県にスタッフを派遣し、支援活動を行っています。

8月6日は広島、9日は長崎に原爆が投下された日。9日、大船渡の集会所の一室で、市内にアナウンスが流れました。「今日は長崎原爆投下の日ということで、黙祷を捧げましょう」と、そして11:02にサイレンが街中に響き渡り、みなさんで黙祷を捧げました。犠牲者の方には心から哀悼の意を捧げます。こんなアナウンスが全国各地であったらいいのにと思いました。

特に沿岸の釜石市では、満州事変以降、日本が戦時体制を強めていく中、製鉄所や鉱山などが設備・生産の増強が図られ、好況に転じていきました。同時に中国・朝鮮半島からも人々が連行され、連合軍の捕虜が厳しい労働に従事させられていました。そこで、原爆の候補地にあげられたそうです。そして、釜石市は1945年7月14日と8月9日の2回にわたって米軍から艦砲射撃を浴び、製鉄所が攻撃され、尊い多くの命が犠牲になったそうです。まけないぞうの作り手さんとお話をしていると、当時のことを時折話される方がいらっしゃいます。攻撃されたとき子どもと母親が押し入れに隠れ畳を上げて盾にしていたけれど、銃弾を浴び手の甲を貫通した子どもがいたというお話を聞きました。また当時のことを何度もヒアリングされたら、夜戦争の夢をみて眠れなくなったから、それ以上を話しをできなくなったなど、言葉ではきっと言い表せないような辛い経験をされ、終戦から68年経った今もその心の傷は深く残っていることをあらためて実感しました。

昨日の終戦の記念日にも街中にサイレンが響き渡り、人々は黙祷を捧げていました。まけないぞうを通してまた一つ被災地の別の歴史を垣間見ました。亡くなられた方々に心より哀悼の意を表します。そして、世界から争いごとがなくなることを切に願わずにいられません。

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posted by 被災地NGO恊働センター at 11:27| ★「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする