2016年03月11日

東日本大震災】レポートNo.264

あれから5年目、岩手県の被災地に入った増島のレポートをお届けします。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり 3月11日
………………………………………………………………………………
 今日3月11日で、東日本大震災から5年の月日が流れました。久しぶりに岩手の被災地に足を運び、着いて早々悲しい事件のニュースが飛び込んできました。釜石市の仮設住宅で80代の女性が衰弱死し、一緒に暮らしていた息子も発見時意識はあったが衰弱して動けなかったそうです。3月9日の岩手日報によると「住民によるとアサ子さんは自治会のお茶っこなどで見かけることがあったが、昨夏以降姿を見せなくなった。息子は自治会役員を務めていたが、自治会が事実上休止状態になった1年前から引きこもりがちになった」と報道されています。また同じ日に大船渡市では、県が採用派遣した職員が仮設住宅で自殺のような死を遂げたというニュースがありました。この二人の死は防ぐことはできなかったのでしょうか??こうして、“救えるはずのいのち”が一人、また一人と喪われて行くことに、絶望感すら抱きます。

 長期化する復興の過程で、仮設住宅での生活が10年に及ぶという厳しい現実も突きつけられています。みなさん、もし自分だったら10年間仮設住宅などで暮らさなくてはならない状況をどう感じますか? しかも必死の思いで5年間耐えて来たのですよ!もう言葉を失います。

 そんな状況のなかで、5年を迎えたまけないぞうの作り手さんのところへお邪魔しました。
旦那さんを津波で亡くした陸前高田の作り手さんは、5年前に仮設住宅で出会いました。
陸前高田市で震災の年、まだ仮設の集会所もない中で、ボランティアさんとテントや椅子、机を運んで真夏の炎天下の中、まけないぞうづくりをしました。その時に旦那さんが津波に流され、まるで生気を失ったかのような、Kさんがはじめて作ったピンク色のまけないぞうに5年ぶりに再会しました。涙がこぼれそうなほどうれしかったです。5年間もの間、Kさんに寄り添ってくれていたピンク色のまけないぞうです!当時の彼女のメッセージです「東日本大震災 忘れもできない3月11日2時46分今までにない長い地震、大きい津波 水を飲まされて流された1人です。助けられて生き、いまは仮設生活です。ある日、『お茶飲み会に 来てね』と声をかけられ行ったとき、ピンク色のぞうさんです。とてもかわいい眼をしてリボンをつけていました。何十年前に持った針を持って、先生に教えて 頂き始めました。夢中になり考えることなく作ったのがぞうさんです(主人は死亡)一人生活でも作っている時は楽しいです。上手には出来ないがまけないぞうです」。

ピンクぞう_s.JPG

金野さんメッセージ_s.jpg

お手紙_s.JPG


今は自力再建してまけないぞうを作り続けています。当時は「どうしていま私は仮設でぞうさん作っているんだろう」と言われ言葉を失ったこともありました。いまでは、なんとか元気そうにしていますが、やはり「3月11日」が近づくと津波の夢を見るそうです。そして、部屋の出入り口には旦那さんとお孫さんと一緒に移っている写真が飾られています。よく聞くと、「こうして写真を張っておけば、いつか帰って来そうな気がするの。これがあるから生きていられる」と涙ながらに話してくれました。その陰で、津波にあっていない人からは、「いつまでそんなこと言ってんだ」と心ない言葉も浴びせられることがあるそうです。そして「このまけないぞうがなかったらどうなってたか・・・」と。5年という歳月は被災者一人ひとり違うということを痛感させられました。心の復興もそれぞれです。そして中長期のボランティアが激減する中で、冒頭のような悲しい死を防ぐためにも、一人ひとりの被災者に寄り添えるようなボランティアの確保であったり、地域住民の支え合いは欠かせません。私には、今日は多くの涙が被災地を濡らしているように見えます・・・・。

旦那さん写真_s.JPG

造成地_s.JPG

仮設_s.JPG
posted by 被災地NGO恊働センター at 10:27| ★「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月28日

東日本大震災】レポートNo.263

あれから4年目の夏、岩手県の被災地に入った増島のレポートをお届けします。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり 8月7日
………………………………………………………………………………
 8月7日は陸前高田市のうごく七夕まつりでした。いつものようにきらびやかに飾られた各地区の山車が被災地を練り歩きます。みなさん待ちに待ったかのように、嬉しそうに山車を担いでいます。ただ、高台の造成が進み、工事エリアは立ち入りが禁じられ、伝統の場所での開催は今年が見納めになったそうです。山車も去年より少なくなり、少し淋しい感じもしましたが、おまつりの間は一時でも辛いことを忘れ、笑顔がこぼれます。

山車_s.JPG

ぞう山車_s.JPG

 みなさん笑顔で歩いている陰にも、「あの人、お父さん、お母さん、弟を亡くして、おじさんがまだ見つからないの」と。また久しぶりに仮設で一緒に住んでいた人と出会い、再会を喜ぶ姿もありました。

ぞう造成_s.JPG

夜になると電飾に飾られた山車がライトアップされ、真っ暗な被災地を照らしました。
ある被災者の方が、「なんにもなくなったから、山車がやけに明るく目立つね」とつぶやきました。

造成_s.JPG

夜山車_s.JPG

夜ライトアップ_s.JPG

まけないぞうの作り手さんも、いつか高台移転をしたときに、「ぞうさんでコツコツためているお金で新築した自宅に、記念に残る何かを買う予定にしてるんだ」と嬉しそうに話してくれました。

 一方で、8月27日の毎日新聞によると、陸前高田市の小規模スーパーが閉店を決意したそうです。
「土地のかさ上げが進む市街地から高台へ続く坂道沿い。長屋風のプレハブ店舗には『ナインマート』の看板が掛かったままだ。『寂しいけど、競争だから仕方ないね』。昨年12月まで店を運営していた中田商事の社長、安達清次さん(53)が看板を背につぶやいた。
津波は中田商事の前社長と従業員計3人の命を奪った。急きょ社長を継いだ安達さんは翌月、トラックで移動販売を始める。4カ月後再開 震災後、再開を急いだのはこの時の「恩」もあったからだ。リンゴ畑の土地を借りて11年7月、小さなプレハブ店舗を建てた。開店資金3400万円の4割弱は後日、市内外の食品業者らと、国と県の『グループ補助金』を申請して賄った。オープンの朝は開店前から数十メートルの列ができた。だが翌月、地元中堅スーパーが再開すると売り上げは前月から半減した。同じプレハブでも広々とした店をのぞくと、何人もの顔見知りと出くわす。」(2015/08/27 毎日新聞より一部抜粋http://mainichi.jp/select/news/20150827k0000m040150000c.html

 他の地域でも最近よく耳にする話です。これが真の復興なのでしょうか?政府は地方創生と言っているようですが、地方とくに被災地は悲鳴をあげているのです。

 このような現実の中で、自らいのちを落とす人もいます。4年も経って、「いつまでも被災者と言っていないで、早く自立しなさい」という心ない言葉も聞こえてきます。でもまだまだ復興の途上です。息の長い支援が必要なのは、被災地KOBEからも学びました。なかなか成果は出ませんが、最後の一人まで被災地に寄り添っていきたいと思います。

 復興住宅_s.JPG

〜まけないぞう一言メッセージ〜 
 東日本大震災から4年が過ぎ、被災地以外の人々は、もう忘れているように思われますが、何年過ぎても大きな地震があるとあの日を思い出し、メンタルが少しおかしくなります。それでもこうして“まけないぞう”を作らせていただくことで、心のどこかで安心を手に入れていると思います。これからもどうぞよろしくお願いします。
(2015/06/6 石巻市 女性 58歳)

posted by 被災地NGO恊働センター at 13:01| ★「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月10日

【東日本大震災】レポートNo.262

あれから4年目の夏、岩手県の被災地に入った増島のレポートをお届けします。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり 8月1日
………………………………………………………………………………
 今日は杉の木立をドライブしながら大船渡を訪れました。綾里の復興住宅へお邪魔すると、子ぞうさんが待ちかねていたように、作り手さんがひとつ一つ丁寧に並べて数のチェックです。「どれもかわいい」、「私のはお鼻が長いのね」「一つひとつお顔が違うのよ」「ちっちゃいのはめんけー」とおしゃべりしながら楽しそう。

杉の木立_s.JPG

お鼻_s.JPG

小さいの_s.JPG

宮古島のマンゴーと岩手名物のおつけもんのきゅうりのからしづけ、甘くておいしいクルミもちと、ご当地グルメ大会みたいで、みなさん会話も弾みます。そこで、15年前に行われた綾里5年大祭のビデオを見せて頂きました。各地区の権現様の舞を披露するそうです。綾里には日本一と言われる重さ1トンにもなる綾里権現様があるそうです。みなさん夢中で「あっ誰々だ!」「あっこの人は…」「この神社の階段まで津波が来たんだよ」「何度見ても飽きないね」「夜中、ずっと見ているよ」と話が尽きません。作り手さんのお一人はお祭りで踊りの先生をしているので、大活躍するそうです。作り手さんのお父さんに聞いたら、来年6月に15年ぶりの綾里五年祭が開催することになったそうです。みなさんとてもうれしそうで「ぜひ、来てね」と声をかけて頂きました!ぜひ訪れたいです!


ご当地グルメ_s.JPG

団欒_s.JPG

お手紙_s.JPG

 そして、午後からはいつもお邪魔している憩いの理容室さんへお邪魔すると、お客さんの車になんと子ぞうさんがぶら下がっているではないですか!!!思わずまけないぞう号と記念撮影です。高田のぞうさんチームの人がプレゼントしてくれたそうです。嬉しい再会です(笑)

子ぞう_s.JPG

 夜は「三陸・大船渡夏まつり」が開催されました。岸壁から近い海上で8000発の花火が
打ち上げられました。防潮堤や護岸工事、盛り土の造成工事などで会場も様変わりし、いつもと会場が変わったりしていましたが、それでも、同時に海上七夕という船団が巡航し、海にはきらびやかな七夕の灯りと空には大輪の花を咲かせていました。私は、自力再建された理容室さんのお宅で絶景のもと、花火を楽しませてもらいました。
 その花火や灯り一つひとつに一日も早い復興への祈りが込められていると感じました。

絶景_s.JPG

花火_s.JPG

花火2_s.JPG

〜まけないぞう一言メッセージ〜 
まけないぞうさん、ずいぶん他国にも愛されてうれしいです。一針一針縫ってて出来上がるごとにますます可愛さが増す。ぞうさんの力がものすごくあって、これからも大活躍することと思います。作り手の方々もみな喜ばしいことです。
(2015/06/15 大船渡市 女性 81歳)
posted by 被災地NGO恊働センター at 09:32| ★「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月08日

【東日本大震災】レポートNo.261


あれから4年目の夏、岩手県の被災地に入った増島のレポートをお届けします。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり 7月26日
………………………………………………………………………………
 先日、遠野仮設では”流しそうめん”をしました。夏の日差しが降り注ぐ中、みんなで食べるそうめんは格別です。久しぶりにお会いした方もいらっしゃいましたが、みなさん元気そうでした。ミニトマトなども流れてきましたが、取りづらくて子どもたちは、手づかみでおいしそうにほおばっていました。ぞうさんも流しそうめんを堪能していましたよ。

流しそうめん_s.JPG

ぞうさん_s.JPG

そして、午後からは、釜石の復興住宅の作り手さんのところへお邪魔しました。沖縄の宮古島から届いたマンゴーをお届けしました。「珍しいものを!」と大変喜んでくださいました。こちらの作り手さんは、もう89歳になります。いつも「指先がしびれる」というのですが、「ぞうさんをすると大丈夫なんだよね」と。ぞうさんの材料がくるといつも夢中になって毎日作っているそうです。娘さんが「ぞうさん、こないとボケちゃうよ」と言って笑っています。

マンゴー_s.JPG

また、復興住宅の中庭には、住民の方が丹精込めて育てている野菜やお花が所狭しと育っています。以前のレポートでもお伝えしましたが、津波をかぶったお花もしっかりと大地に根を張っていました。その時のメッセージです。「もう4年ですってね。私そのうち何をしてたかしら…。でもね、津波をかぶったアヤメとマーガレットと菊、これらは港町から掘り出してきて、去年から花をつけてくれるんです。毎日水やりをして、私も元気です。私たちのほかにも災害は色々起きます。心の痛むことばかりね。でも命ある限り頑張ります。ぞうさんに慰められながら…。」

 今日はそのお花たちを見せてもらいました。

菊_s.JPG

アヤメ_s.JPG

被災地の各地に津波をかぶった花々が力強く咲いているのを見ると自然の力強さを感じます。同時に人間の身勝手さも感じます。

太陽と花_s.JPG

豊かな恵みをくれる自然を見習い、謙虚に共生していきたいですね。

お花_s.JPG

〜まけないぞう一言メッセージ〜 
ゾーさん作りは、私は楽しいです。上手ではないけど、私の作ったゾーさんも可愛がってあげてください。
(2015/06/15 大船渡市 女性 72歳)
posted by 被災地NGO恊働センター at 12:24| ★「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月06日

【東日本大震災】レポートNo.260

あれから4年目の夏、岩手県の被災地に入った増島のレポートをお届けします。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり 8月6日
………………………………………………………………………………
 各地で酷暑が続いています。70年目の暑い夏、広島に原爆が投下された8月6日、今朝の遠野では8時15分にサイレンとともに、町内放送で「今日は広島に原爆が投下された日、遠野市は核廃絶を訴えている街です。平和への祈りと犠牲になられた方たちへ黙とうを捧げましょう」というアナウンスが流れ、東北の地から広島に向けて祈りが捧げれました。

そんな東北では、少し遅れて梅雨開けし、海開き、七夕祭り、花火大会など夏の催しが各地で行われています。

 7月26日には、大槌町の吉里吉里海岸で4年ぶりに海開きが行われ、砂の芸術祭が20年ぶりに復活したそうです。吉里吉里(きりきり)というのはアイヌ語で白い砂、砂浜を歩くとキリキリという音がするなど諸説あるそうです。震災で砂浜がガレキで埋まり、人々の手によって一部が復活したものの、防潮堤などの工事の影響により、来年はまた海開きができるかどうかという状況ですが、子どもたちは嬉しそうに海で遊んでいました。いまだ被災地に各地では海岸や砂浜が流失したり、地盤沈下したまま戻っていない場所が多くあります。そんななかで一部でも復活したことは被災地の人々に笑顔を取り戻してくれます。
 たくさんの恵みをもたらしてくれる海、そして、今回のように時に人間にはかなわないような刃を向ける自然の驚異といった二つの顔をもつ大自然と私たちはどう向き合って暮らしていくか考えなければなりません。

亀_s.JPG

お城_s.JPG

海岸では、まるで要塞のような防潮堤が街を囲い、住民の方々は「おかしい、いくら高くしたって、無理だぁ。こんなに防潮堤を高くするなら、高台に逃げる避難路を整備して、防潮堤は海が見えるくらい低くていい。」と口々に話しています。

大船渡堤防_s.JPG

吉里吉里堤防_s.JPG

 なかなか住民の人たちの思い通りにいかない町の復興に、あきらめ感が漂い、「来年もこの暑い夏を仮設で過ごすのかしら…」とため息交じりのつぶやきが聞こえてきます。また、前回の訪問でも感じましたが、今回も体調を崩したり、病気になった方もいらっしゃいます。仮設で亡くなられた方もいらっしゃると聞きます。「仮設では死にたくない」とみなさん口をそろえてそういいます。けれど、4年の歳月が過ぎ、現実は厳しいものがあります。政府はいま、戦後70年を迎え安保法制法案など被爆国としては首をかしげるようなことばかりですが、被災地はいままだ復興の途上です。そんな被災者の言葉に耳を傾け、被災者の最後の一人が復興するまで、真摯に取り組んでほしいと切に願います。

今回は作り手さんに当センターの元スタッフから宮古島のマンゴーをお届けするとともに、いつも応援してくださるmakenaizoneのみなさんからのお手紙をお届けし大変喜ばれています。みなさんどうもありがとうございます。

マンゴー_s.JPG

お手紙_s.JPG
posted by 被災地NGO恊働センター at 16:55| ★「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする