2015年06月10日

【東日本大震災】レポートNo.256

6月に、再び岩手県に入った増島のレポートをお届けします。

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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり  
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戦後70年を迎えた今年、戦争の悲惨さを振り返り、被爆国として2度と同じ過ちを繰り返さないような社会づくりをしなければならないはずが、きな臭い政権与党の動向に危機感を覚えます。最近、報道でよく目にするのは、「安全保障法案」「集団的自衛権」「憲法9条」「違憲」「合憲」などの言葉です。

 いつも「まけないぞう」でお邪魔している岩手県釜石市は、日本製鐡株式会社(当時)(現在は新日鐡住金釜石製鉄所)があり、1945年に日本本土初の米海軍による艦砲射撃を受けました。製鉄所があったので、原爆の投下される候補地にもなっていたそうです。お年寄りの方は、特に艦砲射撃を受けた夏が近づくと、当時の話をする人が多くなります。また2回目の艦砲射撃があった8月9日午前11時02分には町中にサイレンが響き渡り、「今日は長崎原爆投下の日ということで、黙祷を捧げましょう」と、黙祷を捧げています。

「まけないぞう」の作り手さんの多くは70代、80代といった戦前・戦後を過ごした方が多くいます。ある作り手さんは釜石市が艦砲射撃を受けて大変だったことを話してくれました。終戦を迎えた時は小学6年生で、戦争で大変な思いをした人たちから聞いたことを伝えてくれました。「戦争に行った人から聞いたけれど、自分の刀が切れるかどうか、敵地の女性の上半身の服を剥ぎ取り、乳房を切っていった」というのです。居合わせた兵士の方が「本当に酷かった。俺たちはそんなことをしに行ったんじゃない。」と聞かされたそうで、「戦後70年を迎えた今伝える人も亡くなっていき、私たちが聞いたことを伝えないとね」と話してくれました。けれど、中には当時の話をしていると具合が悪くなり、夜も寝れなくなる作り手さんもいます。戦後70年経った今も戦争は続いているのです。
また、別の地域の作り手さんも「津波は一日で終わるけれど、戦争は毎日だ。津波に遭っても食べ物も服もある。戦争は銭っこ出しても、食べるものも買われない」と話してくれました。津波でも相当な苦労をしていると想像しますが、それ以上に戦争は大変悲惨なことなんだと作り手さんからの話を聞いてその行間に含まれる言葉の重さを実感しました。貴重なお話を聞かせて頂いたことに感謝します。

そして、現政権の安全保障関連の審議を拙速に進めようとしていることに憤りを覚えるとともに、与党の参考人から「違憲」だと指摘を受けてまでも、自民党の高村副総裁は「学者の言う通りにしたら平和が保たれたか」などと発言する始末です。ここまで民意を無視している人たちに被災地の復興や福島第一原発の収束などできるはずがありません。5年目を迎えた被災地でどれだけ不安を抱えている人がいるのか、きちんと真摯に耳を傾け、対応するべきです。

遠い道のり.JPG

〜まけないぞう一言メッセージ〜
 もう4年ですってね。私そのうち何をしてたかしら…。でもね、津波をかぶったアヤメとマーガレットと菊、これらは港町から掘り出してきて、去年から花をつけてくれるんです。毎日水やりをして、私も元気です。私たちのほかにも災害は色々起きます。心の痛むことばかりね。でも命ある限り頑張ります。ぞうさんに慰められながら…。
(2015年6月3日 女性 釜石市)
posted by 被災地NGO恊働センター at 11:32| ★「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月05日

【東日本大震災】レポートNo.255

6月に、再び岩手県に入った増島のレポートをお届けします。

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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり 6月4日  
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 2ヶ月ぶりに訪れた遠野は新緑に包まれ、爽やかな風が吹き抜けて、田んぼには稲が風にそよいでいました。いつもながら四季の素晴らしさを実感し、自然に感謝する日々です。

たんぼ.JPG

 5年目を迎えた被災地では、少し、いやだいぶ不安が被災者の心を覆っていました。仮設住宅は場所によってはほぼ空き家状態となり、半分がすでに復興住宅や自力再建などを果たし仮設を出てっていました。久しぶりに訪問した作り手さんは、「私、最近鬱かしらと思うの…」と涙をこぼしながら話し出しました。「全て失い、忘れることは絶対できないけれど、こんな辛いことがあったお陰でみなさんにこうして出会い、ぞうさんも作ることができたのよ。過去は変わらないから、前を向いて歩くしかない」と心の底から振り絞って言葉を発していました。取り残されていく孤独感、寂しさをこう話すことで、何とかぎりぎりのところで踏ん張って、いまを生きているように感じてなりませんでした。

この作り手さんは津波で旦那さんと息子さんを亡くされました。旦那さんのお話はしてくれますが、息子さんのお話はいまだ聞いたことはありません。彼女の悲しみの深さは想像をはるかに超えるのでしょう。ただただ黙って話を聞く以外になすすべもありません。
彼女のつぶやきを紹介します。
「月日の流れの早いこと。あれから4年の歳月が過ぎ忘れ去られていくような感もしないではない昨今。震災にあった私どもはまだまだ昨日のことのように思い出されます。『まけないぞう』のお陰様で心が癒され、一針一針心をこめて縫い続けております。」

こうして、少しでもまけないぞうが被災者の方に寄り添い、心を癒してくれています。最近は、販売が滞っています。ぜひ、またみなさまご協力ください。
posted by 被災地NGO恊働センター at 13:12| ★「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月29日

【東日本大震災】レポートNo.254

2月に、再び岩手県に入った増島のレポートをお届けします。

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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり 3月12日  
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 4年目を迎えた被災地訪問の今回でも、いつものように「まけないぞう」のタオルを待ちかねた作り手さんの笑顔に出会えました。

大船渡の仮設では、いつものようのぞうさんの日に集まった作り手さんがちくちくぞうさんづくりしています。被災地では仮設から復興住宅や自力再建などへ引っ越しをする人が少しずつですが出てきています。仮設を出る人は自分だけ出ていくことを負い目に感じ、後ろ髪をひかれるようにひっそりと出ていきます。仮設に残される人は、不安と孤独が入り交じり取り残されたような気持ちが漂っています。この4年間で培ってきたコミュニティが音を立てて崩れていくような状況が被災地の各地で起きています。
復興住宅でも、また知らない人ばかりでコミュニティが作れず家に籠もってしまう人も少なくありません。仮設のような長屋作りとは違い、鉄筋コンクリートの壁に囲まれ、人の気配を感じることはなく、「あの鉄の扉が重いのよね」という20年前に阪神・淡路大震災の被災地で聞いた言葉がそこにありました。20年経っても変わらない現実に憤りを感じました。避難所から仮設住宅、復興住宅と、変わらない住居の再建・・・。

それでもここの大船渡の仮設では仮設から出ていった人も、仮設の集会所に戻ってきてみんなとぞうさんづくりしています。他の仮設でもこんな風になったらいいなと思いました。

ぞうさんづくり_s.jpg

他方、高台移転を待ち続けた作り手さんがいました。この2月に市役所に呼ばれて、そろそろ区割りかと意気揚々と出かけたのですが、「どうしても山からの水を止めることができずに高台移転が急遽中止になった」というのです。昔から水が出る地域で住民も心配していたのですが、その通りになってしまいました。「4年も待ったのに、行くところがなくなった」という作り手さんの言葉が虚しく心に響きます。
きっとこんなケースはここだけではなく、他にもあるのでしょう。まさに「復興災害」です。先の見えない不安を4年も持ち続け、さらにまたその不安が増大しています。

夕日_s.jpg

〜まけないぞう一言メッセージ〜
 ○4年目を前に隣町に引っ越しました。それでも仮設の集会所に集まってぞうさんを作るのが楽しみです。自分たちが助けられたように、誰かの心を癒してくれる可愛いぞうさんをもう少し続けたいです。
(2015年3月9日 女性 大船渡市後ノ入)

○ぞうさん作りを始めて、丸4年、長いようで短い時です。これからも作っていけるのなら続けていきたいです。みなさんと交流し元気過ごしていきたいです。
(2015年3月9日 女性 大船渡市後ノ入)

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posted by 被災地NGO恊働センター at 13:52| ★「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月18日

【東日本大震災】レポートNo.253

被災地NGO協働センターです。
2月に、再び岩手県に入った増島のレポートをお届けします。

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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり 3月11日  
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 3月11日、東日本大震災から丸4年を迎えました。各地で追悼の灯りが灯され、祈りが捧げられました。10日現在で犠牲者の数は15,891名、行方不明者は2,584名、震災関連死は3,222名となりました。改めて犠牲になられた方にご冥福をお祈りするとともに、行方不明者の方が見つかりますように願ってやみません。
 そして、4年を迎えてもなお、岩手、宮城、福島の3県では81,730人が仮設住宅で暮らし、みなし仮設や自主避難などを加えると約22万8千人の人たちがいまだ不自由な避難生活を強いられています。

仮設_s.jpg

いま、被災地ではインフラ整備が進み、山は削られ、海は巨大防潮堤の工事が進み、異様な高さの堤防が各地で出現しています。

防潮堤_s.jpg

防潮堤2_s.jpg

山肌_s.jpg

 そして、仮設住宅から復興住宅、自力再建などステージが変化しつつあります。引っ越しを控えた人、自力再建を決めた人など心が落ち着かない様子がひしひしを伝わって来ます。自力再建を決めた人は、「当初より予算が多くなってしまった。資材も高騰しているようだ。なんだか頭が考えすぎてぐちゃぐちゃだ」と話しが止まりません。
 
 仮設住宅は1年ごとの更新で、来年どうなるのか不安を抱えながらの生活です。もっと長期的な供与期間があれば、安心して将来の展望も描けると思います。また、行政から支援される仮設から復興住宅などへの引っ越し費用が全壊と半壊などでは違い、自治体によって異なります。同じ被災者で、同じ仮設からの引っ越しでどうしてこういう格差が生じるのか?首をかしげたくなるのは私だけでしょうか??

平屋復興住宅_s.jpg

 そんな不安な状況のなかでも、刻々と時は過ぎ4年を迎え、追悼の灯りが灯された。遠野の仮設「希望の郷」では、地元緑峰高校の生徒さんは遠野名産のホップの和紙で灯籠を作り、被災者の人たちに届けました。ほのぼのした灯りは人の心を和ますような灯りでした。被災者の心に一日でも早く希望の灯りが灯りますように。

灯り3.11_s.jpg

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posted by 被災地NGO恊働センター at 16:05| ★「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月08日

【東日本大震災】レポートNo.252

被災地NGO協働センターです。
2月に、再び岩手県に入った増島のレポートをお届けします。

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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり 3月6日つるしびな  
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 約2ヶ月半ぶり遠野を訪れました。遠野の街はちょうどつるしびなのシーズンでした。「まけないぞう」チームの「ふきのとうの会」のメンバーが例年のようにつるしびなを所狭しと飾っています。圧巻は遠野の獅子踊りをまるでひな壇のように飾ったものでした。来る人来る人目を奪われていました。大船渡の後ノ入仮設からもぞうさんの作り手さんが
見学に来てくれました。

獅子踊り_s.jpg

後ノ入_s.jpg

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今年のテーマは「親から子・孫へ」でした。震災から20年を迎えた神戸でも語り継ぐ、継承というのがテーマでした。親から子、孫へと時代は移り変わり、その中で伝え残していくもの、文化や習慣、教訓など多くのことが次の時代へ受け継がれることを願ってやみません。

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 そして、沿岸の被災地に足を伸ばすと、街はかさ上げ工事が進み、来る度に道が変わっています。山は無残にも地肌が剥き出しとなり、山津波を恐れる被災者の人も少なくありません。

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 作り手さんのところに久しぶりに訪れると、お店は床屋さんでその横に自力再建の自宅を建設中で間もなく完成の予定で、とてもうれしそうでした。ぞうさんの材料も久しぶりの到着で心待ちにしていたようで、こちらも喜んで頂けました。

自力再建_s.jpg

 一方で、いまだ不自由な仮設住宅などの避難生活を送る人は、約23万人いらっしゃいます。まちづくりなどの会議の度に工期が伸びる人、仮設の集約に伴う先の見えない不安が被災地に広がっています。阪神・淡路大震災では震災から5年を前に仮設住宅が解消されましたが、東日本では、いまだ8万1730人が主にプレハブの応急仮設住宅に暮らしています。仮設住宅でも空き家が目立ち始め、やっとつながったコミュニティがなくなり、孤独や不安が被災者の人たちの心を襲っています。
 「まけないぞう」の作り手さんも、「集約のことが心配。仮設から仮設への引っ越しはしたくない。最後までここにいたい(自力再建するまで)。別のところへ行ったら知らない人ばかりで困る。いつまでいまの仮設にいていいかはっきり先を示して欲しい。でないと落ち着かない。仮設から出ていく人は、ルンルンだけど、残された方としてはね・・・」とため息まじりにつぶやきます。
 このように被災者の人たちは避難所から仮設、復興住宅など何度も何度もコミュニティを構築し直さなければなりません。阪神・淡路の経験から、避難所から直接恒久住宅へ移行できるように提言してきてはいるものの、行政にはその声が届いていないようです。こうして、コミュニティが変わるごとに、不安や心配、取り残され感など被災者のストレスが増大し、健康悪化を招くことが心配です。
posted by 被災地NGO恊働センター at 16:48| ★「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする