2012年01月27日

【東日本大震災】レポートNo.156

県外避難されている方々の状況について、スタッフ吉椿のレポートをお送りします。
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故郷を想いて  〜県外避難者の今〜 Vol. 26
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阪神淡路大震災後に始まった「まけないぞう」事業が東日本大震災後には、とちぎボランティアネットワーク(宇都宮市)でも積極的に展開されている。

「村長は来年(2012年)3月には帰れますって言ってるけど、絶対無理だから。。」と言うのはEさん(50代女性)。福島県川内村からご主人の実家のある栃木市に二人で避難して来た。Eさんの自宅は、警戒区域にかかる。周りは田畑と山で、水も山から引いて、薪で五右衛門風呂を沸かすという暮らしの中で、「帰っても外に出ない訳にはいかないし、生き地獄みたいになる。」と不安を隠せない。

このEさんも「まけないぞう」の作り手さんのひとりだ。「支援ばかりしてもらうのもねえ。。。自分達が出来る事はやって、生活を軌道に乗せないとね。」と毎日、ご主人とふたりで朝食や夕食後に少しずつ「まけないぞう」を作っている。

そんなEさん夫婦は、避難当初、一戸建てで農地のある場所を探したが、思うように見つからずに現在は14階建の雇用促進住宅に住み、近くに田畑を借りて野菜を作っている。震災後、仕事を失ったご主人は、栃木で時折入る臨時の仕事と「まけないぞう」の収入で何とか生計を立てているそうだ。「主人は電器屋だったから手先が器用なのよね。」とほほえむ。

Eさんは、9カ月以上の避難生活の中で様々な葛藤や苦悩から「前のドアを開けないと生きていけない。」ことを確信したという。

毎日夫婦で「まけないぞう」を作る中で様々な発見があるという。「作っていると没頭しちゃうんだよね。最後に目を付けると気持ちが入った〜って感じでね。これは可愛い、これは逞しいってね。」、「無事に届くといいね。」などと二人で語りながら作っているそうだ。「時には気分が乗らない時もあるけど、無性に作りたくなる時もあってね。家にあるタオル全部使っちゃったわ。」と笑う。

「気分や季節や色んな出来事があったりするけど、色んな想いの中でひとつの象に向き合うんだけどね、私たち作り手だけでなくて、この象を手掛けている何万もの人の想いや感情を象が聞いて出来あがっていくんだよね。生きていないけどね。」と感慨深げに語るEさんだった。

まだまだ先の見えない避難生活での想いを「まけないぞう」に語りかけながら自分自身と対話しているEさんであった。

(吉椿雅道)

posted by 被災地NGO恊働センター at 15:09| ★県外避難者支援 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月16日

【東日本大震災】レポートNo.155

県外避難されている方々の状況について、スタッフ吉椿のレポートをお送りします。

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故郷を想いて  〜県外避難者の今〜 Vol.25
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「原発事故がなかったら福島に骨を埋めるつもりだった。」と語るNさん(40代女性)。
Nさんは、原発事故後、二人の子どもと仕事のあるご主人を引っ張るようにして17年間住み慣れた福島市を後にした。タクシーや電車を乗り継ぎ、新潟、東京を経て、実家のある名古屋に避難して来た。2ヶ月後、ご主人は仕事の為に福島に戻った。今は、米沢市に住まいを借り、福島市まで電車で通う毎日だ。Nさんは、「この人、2カ月も逃げてたって、かなり非難されたみたい。」とご主人を思いやる。

 避難者受け入れを積極的に行う愛知県に暮らすNさんは、「福島の友達にメールするんだけど、県外で支援を受けられる事を知らないのよね。」、「せっかく公的な支援があっても肝心な福島県民に知らされていないなんてね。」と言う。

 時折、インターネットで県外での支援情報を流しているというNさんだが、「何となくものの言えない雰囲気の中で。。」、「地元の人の中には、情報もなく、外に出たら差別されるんじゃないかと思っている人もいる。」と福島に残る人々の事を案じている。
 「残るにしても出るにしても、重苦しい空気の中で時間を過ごすのでなく、正直に気持ちを伝え合う事が一番いいのかな。」というNさんは、今後、子ども達の為に小さい事でも自分に出来る事をやろうと考えている。
posted by 被災地NGO恊働センター at 11:24| ★県外避難者支援 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月12日

【東日本大震災】レポートNo.154

県外避難されている方々の状況について、スタッフ吉椿のレポートをお送りします。

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故郷を想いて  〜県外避難者の今〜 Vol. 24
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雪深い山形県米沢市で開かれるお茶会に毎回参加する貴重な男性、Tさん(70歳)は、「皆が顔出せって言うから来てんだ。どうせ暇だしな」とはにかみながら言う。

Tさんは、福島県浪江町から3月20日に家族6人で米沢に避難して来た。当初、息子さん夫婦と雇用促進住宅で暮らしていたが、「2部屋に6人も居られねえ。」とTさん夫婦と94歳になるお母さんの3人で民間借上げ住宅に移ったそうだ。「ばあちゃんいるから嫁を(お茶会に)連れて来れねんだあ。」とこぼす。
米沢での9カ月を振り返りながら「米沢には本当にお世話になってっけど、好きで来たわけじゃねぇんだ。総理大臣の命令でおんだされてきたんだ。」というTさんも「来年(2012年)春あたりに福島県のどこか場所を見つけて、移住しようと思ってんだ。米沢の人に迷惑かけっから。。。」と今後を考えている。

総理大臣の収束宣言の発表された直後だったこの日、Tさんは、「(帰還までに)5年から10年って言うけど、今、俺70だべ。10年待たされたら80だぞ。早くやってもらわねえと俺ら死んじまうんだよ。」ととつとつと語る。
「俺ね、正直言って、今までこんなに自分の生きる時間がなくなったって感じた事なかったよ。」、「10年けらねえ人生を、もたもたしてもらっては困るんだよ。人の人生をどう思ってんのか分かんねえ。」そんな事を毎日考えているという。

最後に「何ほしいって、時間がほしいよ。時間くれよ。」と静かに訴えるTさんであった。
避難者ひとりひとりの状況も思いも皆、違う。残された時間も人によって違う。
posted by 被災地NGO恊働センター at 11:22| ★県外避難者支援 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月08日

【東日本大震災】レポートNo.151

県外避難されている方々の状況について、スタッフ吉椿のレポートをお送りします。

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故郷を想いて  〜県外避難者の今〜 Vol. 23
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12月11日、福井にて「ひとりじゃないよプロジェクト福井」の主催で「復興支援ボランティアフォーラム」が開催された。このプロジェクトは、当センターの粉ミルクプロジェクトで協働させていただいている仁愛女子短期大学のU先生や建築、医療、法律などの専門家によっては6月に発足した。

フォーラムでは、まず福井県内の各支援団体による報告がなされたが、最後に登壇した避難者であるTさんは、それまでとはまったく違ったトーンで、「福島は、今も目に見えない放射能の津波に襲われています。」と静かに語り始めた。南相馬市の寺院の住職であるTさん(30代)は、家族を連れて、福島市、会津、長野を転々としながら福井にたどり着いた。
だが、僧侶としての役割を全うしようと津波で亡くなった人々もいる地元、南相馬に戻る事を決断した。「福島に戻るという事は被ばく者になるという事です。自分の覚悟が決まるまで沢山の葛藤がありました。」と現在は家族を福井に残し、福島との往復の日々である。

先祖から受け継いだ田畑を守って、食べ物を自分たちで作って来た暮らしを根こそぎ奪われてしまった故郷を見て、「生きがいを失ってしまうと人間はどうしていいか分からなくなる。油断していると気がおかしくなりそうです。」という。
「それでも何とかしなくては。。」と思い、地域に残る人たち約60人と寺院の掃除をしたそうだ。「こうやって皆で掃除が出来て、ちょっと胸のつかえが取れた。」という人々の声にTさんは、「ぎりぎりの状態で、大事なところは、目に見えないこういうところなんだなあ。」と実感したという。
「いずれ子どもたちも福島に引き寄せられていくかもしれない。子ども達を被爆者にするって切ないですよ。胸が張り裂けそうです。」ととつとつと語るTさんの姿に会場からすすり泣きの声がもれる。
状況の似ている福井と福島を往復しながら、色んな想いを伝えさせてもらうのが自分の役割だというTさんは、「福島みたいになる前に福井の人にも気づいてほしい。動いてほしい。」と最後にメッセージを残した。

この福井のプロジェクト発足当初に開かれた交流会には僅か10人程度の避難者(12月15日現在、福井県には約500人)のみであった。だが、12月のこのフォーラムには、福井県内各地に避難している人々が70人ほど参加されていた。少しずつ避難者同士のネットワークが築かれつつある。
posted by 被災地NGO恊働センター at 10:34| ★県外避難者支援 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月06日

【東日本大震災】レポートNo.149

県外避難されている方々の状況について、スタッフ吉椿のレポートをお送りします。
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故郷を想いて  〜県外避難者の今〜 Vol. 22
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福島県の県外避難者は福島を除く全国46都道府県に散らばるが、各地で県外避難者に対しての支援が試行錯誤しながら始まっている。

2502人(12月15日時点の避難登録者のみ)が福島県から避難して来ている栃木県。県内最大の都市、宇都宮市にも445人(12月初旬時点)の人々が暮らしている。

「とちぎ暮らし応援会」は、とちぎボランティアネットワークなど地元のNPOや団体、福島県災害対策本部の県外避難支援チームも加わり、11月に発足した。県内各所での交流会、お茶会などの開催、福島の新聞や支援情報などを提供する情報ステーションの設置など積極的に支援活動を展開している。

宇都宮市内に住むWさん(71歳 女性)は、3月末に故郷、双葉町から娘さんの嫁ぎ先である栃木に避難して来た。当初来た家族7人は、それぞれの都合で福島県いわき市と北海道などと3ヵ所にバラバラとなり、今ではご主人と二人栃木に暮らす。

現在、栃木県各地で避難者のお茶会開かれているが、Wさんは8月にお茶会に参加したきり最近は行っていないと言う。「初めて参加した時、避難者は5、6人しかいなくて、スタッフが20人くらいいてね。そうだったの、ああだったのって、私たちの被災した話ばかり訊かれてね。何か行きたくなくなったの。」、「また行っても同じ話ばかりじゃねえ。ぞうさん(まけないぞう)を作ったり、ゲームしたりして、お茶飲むんだったらいいけどね。」とつぶやくWさん。

そんなWさんは、今の心境をこう語る。「私ら被災者だから小さくなってる感じなのよ。」ゴミを出すと時にカンを出せないという。「(ゴミを見て)被災者がビール飲んでいるからそんなに心配ないよって(まわりに)思われるから。。」と言い、ゴミは時々来る娘さんに持って行ってもらっているそうだ。

「私らは結局よそ者だから。」と寂しげに語るWさんだった。
(吉椿雅道)
posted by 被災地NGO恊働センター at 09:41| ★県外避難者支援 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする