2011年12月30日

【東日本大震災】レポートNo.147

県外避難されている方々の状況について、スタッフ吉椿のレポートをお送りします。

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故郷を想いて  〜県外避難者の今〜 Vol. 21
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豪雪地帯である山形県米沢市。極寒の中でも毎週開かれているお茶会には沢山の人々がやってくる。
4カ月ぶりに訪ねてみると参加者の顔ぶれがだいぶ変わって来ている事に気づく。5月のお茶会開設当初は、南相馬市、浪江町などの「浜通り」から避難して来られた方が多かったが、8月頃より福島市や伊達市、郡山市などの放射線量高いエリアから米沢市に避難して来る人々が急増した事でお茶会への参加も多くなってきた。

和室に並べられた二つのテーブルのひとつは、以前から参加している「浜通り」の年配の人たち、もう一方のテーブルに集まってワイワイと話している人は、福島市などから自主的に避難して来た若いお母さんと子どもたちだ。
本格的に降り出した雪は、お茶会に行こうという気持ちをなえさせる。雪の降らない「浜通り」の人々にとって米沢の雪は恐怖でさえある。だが、ある程度は雪の降る福島市、郡山市など「中通り」の人々にとって雪は馴染みのものだ。

福島市から子どもと二人で避難して来たBさん(30代女性)はお茶会の様子を見て、「子持ちは、皆、福島とか伊達からの人たちで、このくらいの雪なら慣れてるからね。」と言う。
この冬、雪に慣れていない南相馬、浪江の年配の人々は、慣れない雪で家に閉じこもりがちになり、雪に慣れている福島、伊達、二本松などの若いお母さんたちは積極的に外に出て、「ママ友」同士でつながっていくという対局な状況が起きている。
浜通りの人々とも積極的に交流するBさんは「自主避難の人達は、ああやって積極的に動かないと情報もないし、誰も助けてくれないからね。」とつぶやいた。
posted by 被災地NGO恊働センター at 11:20| ★県外避難者支援 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月29日

【東日本大震災】レポートNo.146

県外避難されている方々の状況について、スタッフ吉椿のレポートをお送りします。

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故郷を想いて  〜県外避難者の今〜 Vol. 20
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山形県米沢市では12月に入ってからしんしんと降りだした雪が、積雪30cmほどの銀世界を作り出している。

ボランティアやまがたと避難者支援センター「おいで」によって毎週開かれているお茶会では、常時30人〜40人の人々が話に花を咲かせている。お茶会の常連さんでもあるSさん(40代女性)は南相馬市から子どもさん二人で避難して来た。最近、車が雪でスリップしかけたAさんは、「今日のお茶会も浜通りの人が少ないけど、皆、雪が恐くて出て来ないのよね。」とつぶやく。
「この雪じゃ、南相馬の主人だって雪で米沢には来ないわよ。」と明るく話すSさんだが、「南相馬の人はこの雪が恐いからって帰った人もいるのよね。」とお茶会に来ていた同郷の人が少しずついなくなっていく雰囲気の中、「(いくら雪が恐くても)子どもがいる人はやっぱり動かないわよ。」と帰りたくても帰えられないという子どもを持つ母親の苦悩をうかがわせた。

雪もほとんど降らない温暖で「日本一住みやすい」とも言われる福島県「浜通り」の人にとって米沢での2度目の冬が始まった。3月の避難直後、米沢の雪の脅威とガソリン不足が、人々が避難所から外出する機会を奪った。9カ月が過ぎた今、米沢の豪雪を前に再び雇用促進住宅や民間借上げ住宅から外出する機会が少なくなりつつある。
posted by 被災地NGO恊働センター at 10:52| ★県外避難者支援 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月28日

【東日本大震災】レポートNo.145

県外避難されている方々の状況について、スタッフ吉椿のレポートをお送りします。

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故郷を想いて  〜県外避難者の今〜 Vol. 19
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東京、東雲住宅の周りを毎日歩くひとりのおじいちゃんがいる。

31階に息子さんの奥さんとお孫さんの3人で住むAさん(84歳)は、浪江町から避難してきた。原発事故後、東京に住む息子さんの所にしばらくいたが、手狭な事や「いつまでも世話になっていられないから。。」と9月にこの東雲住宅に移って来た。

住み心地は?と訊くと、「竜宮城に来たみたいや。」と言う。完成して間もない新築マンションの設備や周辺の環境も整っている事に満足している様子だった。

だが、話が進むにつれAさんは、「イマイチ駄目だなあ。」ともつぶやく。故郷、浪江町の3世帯が一緒に住めるようにと建てた広い自宅から高層マンションへの環境の変化に戸惑っている。

洗濯ものを干す際に「ベランダがもぎれそうな感じがして、足がガタガタ、震えが止まんねえんだあ。」となるべく下を見ないようにしているそうだ。

そんなAさんの日課は、朝と午後の2回の散歩だ。日中する事がない事もあるが、散歩の一番の理由をこう語る。「故郷に帰んねえうちは、ここで倒れたくねえなあと思って努力してんだ。」という。Aさんは、いつか故郷に帰る日を思って今日も東京の町を歩いている。
(吉椿雅道)


posted by 被災地NGO恊働センター at 14:34| ★県外避難者支援 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【東日本大震災】レポートNo.144

県外避難されている方々の状況について、スタッフ吉椿のレポートをお送りします。

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故郷を想いて  〜県外避難者の今〜 Vol. 18
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大都会、東京の片隅にひっそりと暮らす人々がいる。
江東区の国家公務員宿舎、東雲(しののめ)住宅には福島県などから避難して来た人々、約1000人(約450世帯)が暮らしている。

36階の高層マンションに暮らす避難者の人々自身もどこに誰が住んでいるかさえ分からない。「同じ町の人が多く入居しているはずなのに見知らぬ人ばかり。挨拶もなくむなしくすれ違う。」(会報『東雲の会きずな』より)という状況から自治会「東雲の会」が結成された。

役員は、浪江、富岡、大熊、南相馬などの福島の各市町から避難して来た人々で構成されている。最近、婦人部も出来、毎週2回地元、江東区の社協やボランティアさんの協力で「しののめサロン」を開催している。

この日の「しののめサロン」は、食器の配分や衣服提供の申し込みの為に50人ほどの人々で集会所はいつもより賑っていた。

富岡町から避難してきたKさん(60代女性)は、忙しく動いている役員の男性たちを見ながら「福島にいる時は、皆、ああやって忙しく働いていたのよね。3月11日まではね。。」、「何にもやる事がないのが一番地獄よ。」とつぶやいた。だが、婦人部のひとりでもあるKさんは「まだ立ち上がったばかりだからね。」という自治会の活動を楽しんでいる様子だった。
(吉椿雅道)


posted by 被災地NGO恊働センター at 09:52| ★県外避難者支援 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月27日

【東日本大震災】レポートNo.140

先遣隊として入った後もずっと米沢に常駐し、米沢市に避難している人々の支援をしている鈴木孝典が、まけないぞうの作り手さんのレポートをお届けします。

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米沢のまけないぞうレポート(3)〜wさんのことB〜
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まけないぞうの作り方を覚えたwさんは上達著しく、すぐに僕よりまけないぞうを作るのが上手くなりました。
5月になってwさんは避難所の近くのアパートに家族と一緒に引っ越してしまいましたが、まわりのボランティアや避難している人にまけないぞうの作り方を教える先生の役まわりも引き受けてくれるようにもなりました。
いつもボランティアで避難所を運営している大学生たちに「すげぇ」と感心されることしきり。
学生たちは馴れない針仕事に悪戦苦闘しながらまけないぞうを作っていました。

その後もwさんのまけないぞう行脚は続きました。避難所で行なわれていた太極拳教室の先生に誘われて参加した米沢の太極拳教室。そこでもwさんが持っていたまけないぞうを見た地元の人たちが「かわいいね。どうやってつくるの?」と話が弾み、何故か太極拳教室でまけないぞうを作ることになりました。
まだ底冷えする体育館の床で車座になって、太極拳教室でのまけないぞう作りははじまりました。

まけないぞう作りがきっかけでwさんのまわりにはいつしかたくさんの人たちが集まるようになりました。
posted by 被災地NGO恊働センター at 15:29| ★県外避難者支援 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする