2011年09月25日

【東日本大震災】レポートNo.139

先遣隊として入った後もずっと米沢に常駐し、米沢市に避難している人々の支援をしている鈴木孝典が、まけないぞうの作り手さんのレポートをお届けします。

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米沢のまけないぞうレポート(2)〜wさんのことA〜
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体育館での避難生活が続く中、wさんとまけないぞうを一緒に作ったのは4月の末のことでした。
そのころには年度が替わるということもあり、学校や仕事の都合で避難所を出る人がかなり増えていました。
wさんが居る部屋もだいぶ人が減り、残っているのは引っ越しが決まった人やwさんの家族のように、避難所の近くの小学校に子どもを通わせることに決めた家族たちだけでした。
多い時で600人近くが避難していた避難所も、そのころは200人を切っていました。

神戸からきた仲間と、避難所に残る数家族という面々でまけないぞうを作りました。
wさんは「いいわよ。ここにいたってやることがないもの」と言って参加してくれました。
wさん以外にも、作っているところを見て何人かの人たちがその場でいっしょに作ってくれました。
wさんのお孫さんがアシスタントをつとめ、その日はみんなで1頭づつまけないぞうを作って終わりました。

次の日、避難所によると、wさんは一晩で5匹もまけないぞうを作って待ってくれていました。
「ここに居たって、やることがないもの」とwさんはいつもの感じでまけないぞうを見せてくれました。
まけないぞうのちゃんとした作り方を覚えるために、孫やお世話になった人に作ってあげるために。
それからというもの、wさんはせっせとまけないぞうを作ってくれました。
posted by 被災地NGO恊働センター at 10:26| ★県外避難者支援 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月23日

【東日本大震災】レポートNo.138

先遣隊として入った後もずっと米沢に常駐し、米沢市に避難している人々の支援をしている鈴木孝典が、まけないぞうの作り手さんのレポートをお届けします。

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米沢のまけないぞうレポート(1)〜wさんのこと@〜
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wさんとはじめて出会ったのは、3月のことでした。
米沢市の避難所が開設されて2週間ほどが経ち、ちょっと避難所の雰囲気が静かになったころ。wさんは娘さんと小学生と幼稚園児の二人のお孫さんといっしょに避難していました。
wさんはいつも、じっとストーブの前に座ってTVを見ていました。

「足湯してみませんか?」「お茶を淹れたのでいっしょに飲みませんか?」
いろんな人が呼び掛けてみても、だいたい帰ってくる返事は「わたしはいいよ」といったものでした。
たまに足湯に来てくれたときはだいたい「そんなに言うなら行ってみようかな」という言葉とセットでした。

そんなある日、足湯をしている横で神戸の震災の被災者が託してくれたお手玉を子どもたちが破いてしまったことがありました。
wさんはいつものように「しょうがないなぁ」と言いながも、お手玉を直してくれました。
お手玉を直しながら、wさんは昔洋裁をやっていたこと。原町に残してきた畑やお花のことをぼつぼつ話してくれました。
直ったお手玉で孫と遊ぶwさんは今まで見たことのない楽しそうな顔をしていました。

今は米沢に避難しているwさんの震災までの日々の営みを想いながら、一緒にお手玉で遊びました。
相変わらず足湯にはしぶしぶ来てくれるwさんですが、その日からwさんと少しだけ仲良くなりました。

米沢でまけないぞうを作ることを考えた時、はじめに思い浮かんだのがwさんの顔でした。
posted by 被災地NGO恊働センター at 10:19| ★県外避難者支援 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月19日

東日本大震災】レポートNo.137

8月3日より山形県米沢市に入っていたスタッフ吉椿のレポートです。

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故郷を想いて  〜県外避難者の今〜 Vol. 17
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米沢市の万世コミュニティーセンターでは毎週水曜、賑やかな雰囲気に包まれる。
ボランティア米沢と避難者支援センター「おいで」の協力で「お茶会」が開かれる。
福島県各地から避難して来た人々と米沢のボランティアとで毎回、40〜50人ほどの人が集まる。

お茶会の常連さん、Mさん(20代女性)はいつも息子のJくん(4歳)とお母さん(南相馬出身)の3人でやってくる。原発事故後、埼玉、名古屋を福島市から避難して来て、借上げアパートで3人で暮らしているが、ご主人は今も仕事の関係で福島市に残っている。足に障がいを持ち、時々、癇癪を起こすというJくんの育児に格闘しながらの避難生活に少し疲れ気味だという。

そんなMさんは、このお茶会で故郷、南相馬の友人と再会して、子育てや避難生活の話で盛り上がる。「男と女で危険度のレベルが違うのうよ。」と言う。幼い子どもを抱えたお母さん達の感覚的なものと仕事を優先しなくてはいけないご主人たちとの認識が違うという事を切々と語ってくれた。「今後、どうやったら家族が一緒に住めるかを考えると主人が仕事を・・・」、「この話になるといつも主人とケンカになってしまう。」というMさん。
同じ母子避難でもMさんの友人の中には「子どもに影響があるから戻ってくるな、って主人が言っている。」という家族もある。

夫婦が離れて暮らす母子避難は多いが、夫婦、男女の思いもそれぞれである。
posted by 被災地NGO恊働センター at 10:53| ★県外避難者支援 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月16日

【東日本大震災】レポートNo.136

8月3日より山形県米沢市に入っていたスタッフ吉椿のレポートです。

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故郷を想いて  〜県外避難者の今〜 Vol. 16
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米沢市で避難生活を送る人々、その数3404人(1043世帯)。
福島第一原発事故後、多くの人々が自分達の判断で車を走らせ、避難した。ガソリンが切れるギリギリの所が米沢であったという。米沢市の開設した避難所にたどり着いた人もいれば、直接旅館、ホテルなどに入った人々もいる。また、避難所には入らずに、早い段階で雇用促進住宅に入居した人々もいる。

 Sさん(30代女性)も直接、雇用促進に入居したひとりである。
第一原発20km圏内の浪江町からご主人、子ども3人で避難して来た。
当団体と地元の「ボランティア山形」とが恊働して行う「お茶会」(毎週1回)にいつも参加してくれ、黙って準備や片づけも手伝ってくれる物静かな雰囲気のSさんである。

実は、Sさんは米沢での「まけないぞう」の一番の作り手さんでもある。
「自分でもこんなにハマるとは思ってなかったわ。」という。「次はもっと可愛いものを作りたいと思って。」と子育てをしながら毎日、1、2個作っているという。
震災前、地元で有名な酒蔵を営んでいたご主人は、今、福島市の緊急雇用で暮らしをつないでいる。「今は、主人は、毎日電車で45分揺られて通勤しているけど。」と慣れない電車通勤の様子を語る。「浪江には帰れないだろうから。。」と県外で暮らす事を考えている。
「最近、やっと場所が見つかったの。」と米沢近郊の町で廃業になった酒蔵の跡地を見つけた事を嬉しそうに教えてくれた。だが、「米沢でせっかく仲良くなったのに。。。」ともつぶやく。

半年を過ぎ、県外で少しずつ暮らしの道筋を見つけようとしている人がいる。だが、まだまだ多くの避難者の人々は、いつか故郷に戻る日を待ち望み、「仮住まい」の感覚で暮らしている。
posted by 被災地NGO恊働センター at 14:05| ★県外避難者支援 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月08日

【東日本大震災】レポートNo.134

8月3日より山形県米沢市に入っていたスタッフ吉椿のレポートです。

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故郷を想いて  〜県外避難者の今〜 Vol. 15
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山形県米沢市ではこの夏、約1000人以上の人々が福島県から避難して来た。その多くは母子避難である。ご主人を福島に残し、子どもと共に避難していいたお母さん達である。夏休みが終わった今もまだ多くの子ども達は米沢に残り、新しい学校に通う。

米沢市の雇用促進住宅に住むTさん(30代女性)は福島市から子どもと母親の3人で避難してきた。「こっちに来ている事を言えなかったのよね。」、「ちょっと親戚のところに遊びにとか、こどもが具合悪くてとか言ってごまかしてて。」と振り返る。同じ保育園のお母さん仲間でもご主人の都合などで避難したくても出来ない人、「そこまで気にしてたらやっていけないわよ。」という人、「大丈夫よ。」と避難する気もない人、など様々だ。そんな雰囲気の中でTさんは、周りの目を気にして近所、友人に何も言えずに故郷を後にしたそうだ。友人の中にもいつの間にかいなくなっていた人もいるという。「私が過剰なのかなあ。今まで通り付き合えなくなって。。」と友人と疎遠になっていく様子を語ってくれた。米沢に来て、同じような状況の人々に会い、「これでよかったんだ。」と最近、思えるようになったそうだ。

Tさんのように周りの顔色をうかがいながら、人知れず避難してくる人々は、きっと沢山いるに違いない。やむなく故郷を出なくてはいけなかった人々。そして一方で複雑な思いでそれを見送り、今も留まる人々もいる。価値観、危機感などの違いが、そのつながりを徐々に疎遠なものにしていく。
この原発事故はそんなこれまでつながっていた人間関係を分断し、複雑なものにしてしまった。
posted by 被災地NGO恊働センター at 11:19| ★県外避難者支援 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする