2011年09月05日

【東日本大震災】レポートNo.133

8月3日より山形県米沢市に入っていたスタッフ吉椿のレポートです。

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故郷を想いて  〜県外避難者の今〜 Vol. 14
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東日本大震災及び、福島第一原発事故による福島県の全避難数、6万4367人。
その内、県外に避難する人々は、5万1576人(8/11時点)に上る。8割の福島県民が県外に避難生活を強いられている事になる。
県外避難者の人々は、ほぼ全国47都道府県に散らばるように暮らしている。秋田県内にも991世帯2481人(8/26時点)の人々が岩手、宮城、福島の3県から避難して来ている。その中でも福島県からの避難者の数はひときわ多く、674世帯、1889人に上る。

7月31日、秋田大学の先生たちが中心となって「秋田うつくしま県人会」が設立され、福島からの避難者支援に乗り出した。その設立大会には、37世帯68人の避難者の方も参加し約100名の集いとなったという。
報告会では、避難者自らが思いの丈を語った。富岡町から秋田に避難して来た男性は、国や自治体に対して「元の福島に戻したいのは分かるが、復興を焦っているようにしか見えない。住民は長い年月がかかったとしても福島に戻るつもりでいる。。。。」と語り、郡山市から来た女性は「苦労して産み育てたわが子を、放射能による被害から救うことができるのは親だけである。避難指定区域以外に居住する人たちすべてに避難の権利を国が責任もって認めてほしい。」(秋田うつくしま通信より抜
粋)と訴えたそうだ。

県人会事務局では、これまで秋田県内の各自治体を通じて県人会への登録を呼びかけ、返信のあった130世帯302人分の避難者の名前と住所を作成した。「これを見て避難者同志がつながってくれれば。」と事務局のスタッフは言う。その他、福島市、郡山市、須賀川市などの子ども達を秋田に招き、サマーキャンプなどの活動も行っている。
事務局スタッフの話では、秋田県でも米沢と同じように夏に入って、福島市や郡山市などから避難してくる子ども連れが増えたという。「秋田市内は母子避難の方が多く、知り合いもいない。他の市町村では親戚を頼って家族で来ている。」、「お母さんと子どもの集える場を作らないと。」と語る。

事務局ミーティングで県外避難者の最先端である山形県米沢市の状況をお話しさせていただいた。「今後、具体的に何をどうやっていいのか分からなかったので米沢の話を聞けてよかった。」というスタッフの女性は、「お茶会でもやりながら、すこしずつ顔の見える関係を作っていくしかないわね。」とつぶやく。
47都道府県に散らばる県外避難者たち。現在、各地に県外避難者を支援しようという動きが出て来ている。そんな点の動きをつなぎ、線から面へとなっていく事を希う。
原発による先の見えない避難生活。避難者の人々の状況も思いもそれぞれ違う。そんな「違い」に寄り添っていく支援が求められる。
(吉椿雅道)
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2011年09月04日

【東日本大震災】レポートNo.132

8月3日より山形県米沢市に入っていたスタッフ吉椿のレポートです。

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故郷を想いて  〜県外避難者の今〜 Vol. 13
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米沢市には現在、約3500人の福島県各地からの避難者の人々が暮らす。南相馬市の人々がもっとも多いが、放射線濃度が高い事から福島市や郡山市から避難される人々もこの夏、急増した。
 米沢市にある避難者支援センター「おいで」では南相馬市の職員も常駐し、様々な相談に乗っている。支援センターでは南相馬市の人々を対象に支援している訳ではないが、福島市や郡山市の人にはどこか入りづらいという。

福島市から避難してきたKさん(30代女性)は、時々、支援センターにインターネットでの情報を収集に行くが、「福島市から来た事をずっと隠していたの。最近、ようやく言えるようになった。」とこぼす。
地震、津波、原発の被害を被っている浜通り(福島県の沿岸部)の人に比べたら、福島市は放射線の数値は高いとは言え、家屋被害は少ない。ましてや自主避難である。そんな状況が、Kさんに気を遣わせている。

直後の避難所の時から足湯で知り合っていたが、確かにKさんはあまり話をしようとはしなかった。「ここにいちゃいけないのかな。」と思って人に近づかないようにしていた事を語ってくれた。避難所ですぐそばにいた飯館村の家族も放射線が高いという報道が出るまでは、息をひそめるように暮らしていたそうだ。

そんな状況の中でピリピリしていたKさんは、ある日、爆発して息子さんを怒鳴った事があったそうだ。そんな時、隣にいた方が、「皆、同じだから大丈夫だよ。」という言葉に「ああ、自分がおかしくなっている。」事に気がついたそうだ。
この5カ月の間、様々な心の葛藤、苦悩を経て、ようやく少しづつ色んな事を語れるようになったKさんだった。Kさんのような人はきっと沢山いるに違いない。
(吉椿雅道)
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2011年09月01日

【東日本大震災】レポートNo.130

8月3日より山形県米沢市に入っていたスタッフ吉椿のレポートです。

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故郷を想いて  〜県外避難者の今〜 Vol. 12
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福島県からの県外避難者の最も多い山形県。米沢市は山形市(3944人)に次いで多く、3466人の人々がそれぞれ、バラバラに暮らしている。雇用促進住宅や2次避難所のホテル、旅館などはある程度まとまって入居しているが、民間の借上げ住宅に入居した人々は、市内に分散して、どこに誰が住んでいるのかさえ分からない。

米沢市近隣の高畠町の民間アパートに住むA(30代女性)は、福島市から二人の子どもと共に避難して来た。ご主人は仕事の都合で今も福島市に残る。週末だけ家族に会いに来る二重生活を続けている。

ボランティアにも参加する避難者のKさんからの紹介で、Aさん宅に救援物資の洗濯機を届けた。「洗濯するのにコインランドリーで1回500円かかるのよね。夏だから汗かくので毎日、数回洗濯しなくてはいけないし、1か月の洗濯代だけでバカにならないわ。」とこぼすAさん。届けた後も、「洗濯機の設置が分からない。」とご主人のいない生活の不便さを口にする。

「福島の学校では子どもを外で遊ばせるのは、30分だけだから。」と思いきって避難して来たAさん達。ご主人の職場のつながりで今のアパートを見つけ、同じ職場の奥さん達も近所で暮らす。土地勘のない暮らしで奥さん達のネットワークが少しずつ出来つつあるが、何をするにも初めての事だらけである。米沢では、福島ナンバーを頻繁に見かけるが地元、米沢市民とのつながりは希薄である。
福島県からの避難者約5万1576人(8/11時点)は日本全国に散らばる。あなたのすぐ隣にも避難者の人々が住んでいるかもしれない。
(吉椿雅道)
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2011年08月31日

【東日本大震災】レポートNo.129

8月3日より山形県米沢市に入っていたスタッフ吉椿のレポートです。

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故郷を想いて  〜県外避難者の今〜 Vol. 11
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ボランティアやまがたの主催で毎週水曜日にお茶会が開かれている。いつも40人くらいの人々がやって来て、茶飲み話で盛り上がる。子ども達がボランティアと遊んでいる間にお母さん達は、溜まったものを吐き出すかのように話しに盛り上がる。また情報を求めて支援センター行ったりする方もいる。

福島市から家族3人で避難して来たYくん(5歳男の子)はいつもあばあちゃんに連れられてやって来るが、人見知りな性格で一人おとなしくしている。この日、Yくんはいつものように恥ずかしそうにうつむきながらお菓子を食べていた。おばあちゃんは、「この子は体が強くないからねえ。」とつぶやく。体が強くない事もあって米沢では保育園にもほとんど行っていないそうだ。僕は、そんな姿を横目に見ながら他の子と遊んでいるとYくんが突然やって来て「僕も遊ぶ。。。」とはにかみながら言った。それからは他の子以上に元気に走り回ったりするYくんに変わった。

数日後にお母さんにお会いした時に「あの時はすごい楽しかったとずっと言っていました。」と言ってくれた。そしてつい先日、米沢にいるスタッフからこんなメールが届いた。
「あのね、ぼくのこころぼきぼきにおれちゃったけど、おにいちゃんたちにあそんでもらってなおってきたみたい。」とおばあちゃんに語ったそうだ。そして保育園にも行き始めたという。

Yくんの性格、体の事もあってもっと遠くに避難しようかと考えていたYくん一家だが、少し米沢で腰を落ち着けるのかもしれない。
(吉椿雅道)
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2011年08月29日

【東日本大震災】レポートNo.127

8月3日より山形県米沢市に入っていたスタッフ吉椿のレポートです。

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故郷を想いて  〜県外避難者の今〜 Vol. 10
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大熊町。町の3分の2が、福島第一原発から10km圏内にあたる。

町は「警戒区域」に指定され、全町民が故郷を後にした。町の人口1万1505人のうち、7382人が福島県内に留まり、残り4123人は県外へと避難している。行政も会津若松市に臨時移転し、それに伴って約4500人が会津若松市の9か所の仮設住宅で暮らす事になっているが、2割が入居を辞退しているという。降雪のない浜通り地方(大熊、浪江、南相馬などの沿岸地域)の人々には内陸の降雪の多い地域での生活に二の足を踏んでいる。

大熊町から避難し、米沢の雇用促進住宅に住むKさん(30代男性)は、「今頃、盆踊りの練習してるんだけどなあ。。。」とつぶやいた。大熊町の自宅は、原発から6.7km、会社は僅か3kmの所にあったという。Kさんは、僕たちの突然の訪問にもかかわらず、部屋に招き入れてくれ、震災直後からのお話をとつとつと語ってくれた。

震災後、隣接する田村市の避難所に入ったが、すぐに母親の実家である新潟県長岡市へと移動した。その後、系列会社の仕事の関係で米沢に来たが、「避難所を一度出たから申し訳なくて。。。」と数カ月間、車で寝泊まりしたという。「そのせいで首を痛めてしまって、仕事のない時はずっと寝ているんです。」と調子悪そうに語る。

もうじき仕事の関係でいわき市に行くそうだが、「秋はまた風向きの関係でどうなるかねえ。」と不安を隠せない。母親が一時帰宅した際に取って来てもらった一眼レフのカメラで撮った星空の写真を見せてくれた。そんな何気ない話を誰かとしたかったのかもしれない。
(吉椿雅道)

posted by 被災地NGO恊働センター at 09:52| ★県外避難者支援 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする