2011年08月26日

【東日本大震災】レポートNo.126

本日は次の内容をお送りします。
▼「故郷を想いて」(吉椿のレポート)
▼まけないぞう支援団体紹介〜おおさかパルコープ〜
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故郷を想いて  〜県外避難者の今〜 Vol. 9
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山形県米沢市内の旅館、ホテルなどの2次避難所に今も暮らす人々(7.8か所に数十名)がいる。温泉旅館で暮らすSさん(80代女性)から「材料持って来て!」と当団体のスタッフに電話があった。「まけないぞう」を作るSさんは、「時々、100円ショップに娘に連れて行ってもらって材料買うんだよ。外に出るのはその時くらいかねぇ。」と嬉しそうに語る。「浪江では畑やってたんだけどねえ。。」と今の避難生活の中で「まけないぞう」作りがSさんの一番の楽しみになっている。

Sさんは浪江町から家族、親戚9人と共に米沢に避難してきた。親戚の80代の女性2人と時々「まけないぞう」を作りながら話に花を咲かせる。

「お見舞いに来た人や浪江の友達にあげるのよ。皆すごい喜んでくれるの。」と言う。他の避難者の作り手さんと集まって一緒にやりませんかと声をかけてみた。「いいわ。私、出不精だから。。」と笑って言うが、それは他の80代の女性を気遣っての事だった。昼間、若い人のいない旅館の部屋で高齢者3人が互いに見守り合って暮らしている。

「まけないぞう」はそんな高齢者どうしをつなぎ、バラバラになった同郷の人をもつなぐ役割になっている。
(吉椿雅道)

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まけないぞう支援団体紹介〜おおさかパルコープ〜
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被災地NGO恊働センターも活動している岩手県の「遠野まごころネット」で活動しているある団体をご紹介します。

「おおさかパルコープ」さん(http://www.palcoop.or.jp/)。
大阪市内に拠点をおく生活協同組合です。「遠野まごころネット」に登録され、5月21日から毎週、職員6〜14名がボランティアに行かれています。

最近では、仮設住宅に入居された方々に「台所用品セット」を届けて喜ばれたそうです。この様子をレポートされている機関誌「ぱるタイム」で、まけないぞうもご紹介下さっています
http://www.palcoop.or.jp/au_ji/paltime/new44-0203.pdf)。

パルコープさんの職員の方が次のようなコメントをされています。
「仮設の女性たちがぽつぽつ集まってきて、お茶しながら手作りで“まけないぞう”を作り、心の癒しにされていました。ボランティアが被災者に“○○してあげる”のではなく、一緒に楽しむこと共有することが大切と思いました」

人から何かをしてもらう状態ばかりが続くと心苦しくなるものです。“まけないぞう”は、被災者の方がつくって人に喜んでもらうことで役割や生きがいを見いだすきっかけとなっています。
(事務局)
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posted by 被災地NGO恊働センター at 14:37| ★県外避難者支援 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月25日

【東日本大震災】レポートNo.125

8月3日より山形県米沢市に入っていたスタッフ吉椿のレポートです。
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故郷を想いて  〜県外避難者の今〜 Vol. 8
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南相馬市は北から鹿島区、原町区、小高区と3つのエリアに分かれる。2006年に市町村合併により現在の南相馬市が生まれた。だが、この原発事故により「警戒区域」、「緊急時避難準備区域」、「計画的避難区域」と「特定避難推奨地点」(ホットスポットによりに市内131世帯が指定された。)その他、未指定エリアを含むと市が5つに分断されている。

一番北にある鹿島地区は30km圏外である事から義捐金(一次配分)、東電の仮払金の対象にはなっていない。だが、義援金の2次配分が鹿島地区などの30km圏外にも支給された。

その補償問題により住民の間に軋轢が生じてきている。米沢市の雇用促進住宅に暮らすKさん(60代女性)は南相馬市の小高地区(第一原発より20km圏内)から避難して来た。Kさん宅の玄関先で少しお話した。米沢での5カ月の生活に少しは慣れたかと訊ねると「食べ物が違うからちょっとね。。。」と故郷の海の幸を懐かしむように「向こうではいつも魚屋さんで、その場でさばいてもらうくらい新鮮だったからね。」と言う。「米沢の美味しいものは何か食べましたか?」と訊くと、「知り合いもいないし、主人と二人年金暮らしだから。。」と贅沢もせずに慎ましやかに暮らしている様子がその言葉からうかがえた。

米沢に避難してきた南相馬市民同士でも、補償問題などの事で敢えて同郷の人に接しないようにしている人もいるのかしれない。
(吉椿雅道)

posted by 被災地NGO恊働センター at 10:01| ★県外避難者支援 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月24日

【東日本大震災】レポートNo.124

8月3日より山形県米沢市に入っていたスタッフ吉椿のレポートです。

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故郷を想いて  〜県外避難者の今〜 Vol. 7
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米沢市に避難して来た人々の数、3466人。(8月11日時点)この2週間でさらに約1000人増加した。県外に避難している人々は、主に雇用促進住宅(公営住宅)や借上げの民間住宅、二次避難所であるホテル、旅館などに暮らしている。米沢市では、福島県内各市町村から市内5か所の雇用促進住宅に入っている人々も多い。

本来この雇用促進住宅は、震災直前に取り壊される予定であったが、避難者の人々の為に急きょリフォームして使用される事となった。だが、すでに満室となりキャンセル待ちの状態が続いている。

市内5か所の雇用促進住宅は、いずれも市内の東、北、南の郊外にあり、決して便利のいい立地ではない。万世地区にある3つの住宅は、すぐそばに避難者支援センターがあったり、小学校があるので子どもを連れて避難して来た家族には人気である。だが、他の窪田地区、太田地区の住宅では通学には不便である。冬場の積雪の多い米沢の天候を考えると尚更である。リフォームを終えたばかりの窪田、太田地区の住宅には入居者の姿はまだ少ない。

まだ入居者の少ない雇用促進住宅で家族7人、二つの部屋を借りて暮らしているYさん(60代女性)。南相馬市の原町から避難し、民泊を経てこの雇用促進住宅に入居した。地震で自宅の屋根が被害を受け、雨漏りするので未だにビニールシートを屋内に敷き詰めているという。「時々帰らないと家がダメになるのよね。」と話す。時々、南相馬に帰るYさんは地元に残る周囲の人を見て、「皆、麻痺しているのよ。こっちに避難して来ている私たちは敏感なのかね。」と思っている。地元に残る人々と避難している人の間に見えないズレが生じて来ている。
(吉椿雅道)
posted by 被災地NGO恊働センター at 17:26| ★県外避難者支援 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月19日

【東日本大震災】レポートNo.122

8月3日より山形県米沢市に入っていたスタッフ吉椿のレポートです。

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故郷を想いて  〜県外避難者の今〜 Vol. 6
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ボランティア山形では、福島県から避難して来ている人達もボランティアとして動いている。南相馬から避難して来ているKさん(30代男性)は、先の新潟、福島の水害の被災地、金山町へと米沢の人と共に泥出しボランティアにも参加している。「いつもしてもらってばかりだから、たまにはする側にもなってみないと。」と語るKさん。

また、同じ南相馬市から避難中のKさん(50代男性)もボランティア山形の活動に汗を流す。先日も仙台へと物資を引き取りにトラックを走らせてくれた。

Kさんは、現在も米沢市内の2次避難所であるホテルに家族と暮らしている。2次避難所の先はまだ見えていない。南相馬市の帰還計画について「このタイミングで戻って来いなんて理解できない。」と言う。「むしろ戻ってくるなと言うべきじゃないか。」と少し声が大きくなる。震災以前は、南相馬で営んでいた会社の再開の目途も立たず、「南相馬に戻っても仕事がないし。。。」、「皆、会社に引き戻され
てるようだ。」とつぶやく。

南相馬市は現在(8月8日時点)、市内居住者は、約38000人。市外に避難している人は、約27000人という。この夏の休みを利用して、山形県に自主避難してくる人がさらに増加している。この2週間で2312人増加したという(11日時点で山形県内の避難者数10890人)。一方で、「仮設住宅が当たったから戻ります。」という方や「夏休みで地元に残るおじいちゃん、おばあちゃんに会いに行ってきます。」という人々の姿もある。

福島と山形の間を人々が往来する現象が今、起きている。

(吉椿雅道)

posted by 被災地NGO恊働センター at 13:55| ★県外避難者支援 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月17日

【東日本大震災】レポートNo.121

8月3日より山形県米沢市に入っていたスタッフ吉椿のレポートをお届けします。
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故郷を想いて  〜県外避難者の今〜 Vol. 5
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「これからどうしようか正直、俺悩んでるんですよ。」というIさん(20代男性)。

4月末に閉鎖された避難所の米沢市営体育館を出た南相馬市出身のIさんは、最近山形へと引っ越して行った。避難所でも自らボランティア活動にも参加し、その後も米沢のボランティアと共にお茶会や岩手の津波被災地にも出かけて活動してきた。「俺、今度は仙台に行くかも。。。」とつぶやくIさんは、原発の安全性や仕事、冬の天候などを考えて山形にやってきたが、近々結婚する妹さんの事、南相馬にひとり残るお父さんの事などを心配して、「どこに住むか、自分の事だけでは決められない。」と悩ましげな表情で語る。

現在、住んでいる借上げアパートにはインターネット環境がなかったが、情報収集の為に自費でネット回線を引いたそうだ。食事については「俺、油料理をしないようにしているんです。」という。油を使った炒め物をすると壁に油が飛び散るので、煮物とかにするように心がけているそうだ。

「仮の住まい」にいつまでもいるつもりはないという気持ちがIさんの食生活にも影響を及ぼしている。
(吉椿雅道)

posted by 被災地NGO恊働センター at 14:51| ★県外避難者支援 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする