2020年03月31日

【東日本大震災】レポートNo.304

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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり  
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 9年目の被災地を回りながら、一見いつもとは変わらないまけないぞうの作り手さんとの交流、けれど3月11日が近づくと一段と津波の話が多くなります。今回は盛岡からのボランティアさんとmakenaizoneのお仲間の娘さんモーラちゃんが参加してくれました。

ボランティアと_R.jpg

 作り手さんもボランティアさんが来ると嬉しそうにいろいろなお話をしてくれます。今回は3月11日があったので、特に津波の話は多かったです。

ある作り手さんは、「あの時、家の近くまで津波が来て、近所の人に声をかけられ、杉山まで逃げました。一緒に逃げた知り合いが『これって夢じゃないよね?』と言われたのを鮮明に覚えている。当時、遺体が誰がわからず、人もいないし、遺体の確認を頼まれたこともあった。いまになったらこうして話せるけどね。息子も街中で津波に流され、命からがら逃げたの。息子に会うまでは、お互いに津波で流されたと思ってた。」と話してくれました。

こうして9年経って初めて聴く話もあります。いつもと違う人がいることでその場の空気も変わり、作り手さんも話しやすくなるようです。
 
作り手さん_R.JPG

また別の作り手さんの旦那さんも話をしてくれました。「あの時、いつものように散歩していたら、大きな地震が来て、自宅まで妻を呼びに行き、二人で車で近くの高台まで逃げた。下にはまだ津波に気づかずガソリンスタンド働いている人もいて、上から、「津波だ!!逃げろー!!」と大声で叫んだのを覚えている。その時は気づかない様子だったけれど、後から助かっていたのを聞いてホッとした。」と。

まけないぞう_R.JPG

 モーラちゃんが孫のようで、住所交換もして旦那さんはアイルランドにお手紙を書くと張り切っていました。その姿はとってもうれしそうでした。モーラちゃんは作り手さんの手作りのおつけもんを「おいしい、おいしい」と食べていました。
(増島 智子)

おつけもん_R.JPG

きりこみ_R.JPG
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2020年03月26日

【東日本大震災】レポートNo.303

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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり  
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 東日本大震災から9年の時が過ぎました。被災地では、新しく町が生まれ変わりましたが、行きかう住民はまばらで不十分ながらもくらしの再建は始まったばかりです。三陸沿岸の岩手、宮城、福島3県のプレハブ仮設住宅では、今年の4月時点で60世帯の人がまだ生活をしているそうです。福島県では9年の時が過ぎても、時がとまったままの場所がたくさんあるのです。原発事故の影響で転居先未定の方もいます。他の地域では土地の区画整理事業の遅れや工務店が注文に追い付けずに時間がかかってしまうケースがあるのです。9年経ってもハード面の遅れが目立ちます。

防潮堤_R.JPG

 そして、新型コロナウィルの影響は岩手県にも出ていました。3月11日の追悼行事などの縮小、集会所などでの催し、イベントなどの自粛や中止など、いつもとは違う雰囲気がありました。
 そんな中で、この3月で解体される私たちもお世話になっていた陸前高田市のモビリア仮設住宅で、被災者の方たちと追悼行事に参加させて頂きました。

高田の市街地_R.JPG

311追悼_R.JPG

追悼_R.JPG

 3月11日、特に震災のことを思い出します。80代女性が「息子がね、津波で亡くったんだ。震災から2ヶ月経ってから海の中から遺体が見つかって。引き渡しにも時間がかかったよ。」と話してくれました。また、みなさん口々に週に一回必ず体操に来ていたんだよ!「この場所がなくなると集まれるところがなくなるから寂しいね。ここにきたらみんなと話して大笑いして帰るんだ。それが楽しくてね」と名残惜しそうにそれぞれが思い出話に花を咲かせました。

 まけないぞうの作り手さんは、津波で自宅が流され、当時保育所に通っていたお孫さんが、避難先でずっと家に帰りたいと訴えていたそうです。それで一度お孫さんと自宅を見にいったそうです。自宅は基礎だけ残して全て流されていたのです。お孫さんはその自宅を見て「波がじゃぼん、じゃぼんっておうちを持っていったの??」と…。それからは「お家に帰りたい」と言わなくなったそうです。小さな体と心でその現実を受け止めたのでしょう。それでも作り手さんは「津波で全部持ってかれた。でも命だけは助かったから幸せ」と話してくれました。
 被災地を訪れる度に、いろんな方のお話を聴きますが、9年経っても初めて聴く話が多いです。本当に当たり前のことですが、被災者ひとり一人に物語があるのだと、この物語一つ一つを将来世代に伝えていきたいと強く思いました。 

まけないぞう_R.JPG

(増島 智子)

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2020年01月30日

【東日本大震災】レポートNo.302

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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり  
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そして2019年震災から9年目に突入。やっと土地の引き渡しも終わり、「5月か6月くらいにはできるかな」と話していたのですが、大工さんも仕事に追われ、着工が予定より遅れました。夏にやっと棟上げ式が行われ、その時に餅まきをして、そのお餅をもらいました。

餅まきのもち_R.JPG

「11月くらいにはできるかな」が伸び、「年末にはやっと引っ越しできるかな」という段階で、思うように工事が進まず、直前になって完成が年を越してしまったのです。自宅がが完成したのは震災から10年を目前にしたこの2020年1月でした。長い長い年月この日をどれほど待ち続けていたでしょうか。

自宅前で_R.JPG

 引っ越しの当日には、親戚やボランティアさん、仮設で一緒だった人など15人ほどがお祝いに駆けつけてくれました。その日は、宮司さんをお招きして、神棚に魂入れをしました。宮司さんはたくさんの人が来ているのを見てびっくりしていました。「なんで、こんなに人がいるの??」と作り手さんに尋ねると、「津波のお陰でみんなと出会えたんです!」と。「津波のお陰!」と。とても複雑な気持ちですが、自然に涙が溢れました。家族や親せきのみなさん、そして津波のお陰で出会えた人たちに囲まれ、式が厳かに執り行われました。

お参り_R.JPG

彼女は多くの人に支えられここまで来たのですが、私たちもたくさん彼女に支えられてきたのです。若いころに旦那さんを亡くした彼女は、物静かで、いつもニコニコしていて、凛とした強さがあります。
それまでは工期が伸びても「ここまで待ったんだから、慌てずにゆっくり待つわ」と話していたのですが、最後の最後に自宅の引き渡しは伸びたときには、「さすがに今回はショックだわ」と言っていました。その言葉の奥にこれまでどれだけ待ちわびていたのかと考えるとかける言葉もなかったです。

引っ越し_R.JPG

引っ越し2_R.JPG

 そんな苦労の賜物の自宅がこの2020年1月についに完成したのです。その当日に、まけないぞうで貯めたお金で買った品物が届きました。それは素敵な茶箪笥とソファでした。彼女は「一生の宝物だよ!」と満面の笑みを浮かべて見せてくれました。
一緒にいた娘さんも息子さんも喜んでくれました。

ソファ_R.JPG

茶箪笥_R.JPG

 津波に遭った当時、遠く離れて住む娘さんは、お母さんが津波のショックでぼけたりしてしまうのではないかと心配したそうです。「そんな時にまけないぞうがあったので、生活に張り合いができて、本当によかった」と言ってくれたのです。「まけないぞうのお陰です」と。この9年間の独居生活の彼女をまけないぞうが支えてきたのです。こんなうれしいことはありません。「最後の一人まで」ってこういうことなのかな〜?と。もちろんまだまだまけないぞうは続きます。これからもご支援をよろしくお願いします!!

仲良し_R.JPG

ずっと一緒に_R.JPG

posted by 被災地NGO恊働センター at 10:45| ニュース・情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年01月29日

【東日本大震災】レポートNo.301

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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり  
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 先日1月12日駆け足で岩手に行ってきました。暖冬のせいか寒さもさほどではなく、雪もなく運転も快適でした。

 今回の岩手訪問の目的は、まけないぞうの作り手さんの引っ越しです。作り手さんのなかで唯一、最後まで仮設に住んでいた方でした。避難所からのお付き合いでもう9年の歳月が過ぎていきました。最初に出会ったのは避難所でした。仲良しのお友達とぞうさんを作ってくれました。その後、「仮設に引っ越しをするから、落ち着いてからね」と数週間が過ぎました。ある日、現場を回っていたボランティアの人から「大変です!目のないぞうさんが仮設にたくさんあるから、早く行ってください!」と言われ、慌てて行ったのを今でも覚えています。ずっとぞうさんを作り続けていたのです。

避難所_R.JPG

こんなにつくりました2_R.jpg

 そして、避難所から仮設へ引っ越したものの隣近所は知らない人ばかりです。集会所もできていません。それで、テントと長机、椅子を運んでお茶会のスペースを作りました。ちょうど夏の時期でとても暑かったのですが、たくさんの人たちがテントに来てくれました。「あら〜あんた、いぎでだの(生きてたの)???どごにいだの??」、「私はこの仮設の○○号室よ!」と再会を喜んでいました。いまでもこの時のことを昨日のことのように思い出します。

まけないぞうの作り手さん_R.jpg

 仮設の玄関のところには目印に「まけないぞう」を飾ってくれていました。初めてつくった記念のぞうさんです。

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 作り手さんは仮設暮らしをしていた頃に、親戚のお孫さんに「おばちゃんがいなくなったら、僕は帰る場所がなくなる」と、その言葉が胸に刺さり再建を決めたのです。そして、「まけないぞう」の手間賃をコツコツを貯め、一度も手つけることなく、「いつかこのお金で再建した家の記念になるものを買うんだ」と嬉しそうに語っていました。

 2011年の震災から土地の造成の工期は伸びに伸びました。被災者のみなさんのほとんどは住民説明会に行くと、最初の頃はがっかりしていました。けれど、何度も期待を裏切られ、途中からは説明を聞きに行っても「またか!もう伸びるのは慣れたよ!」と。
震災から8年が経ち、やっと夏くらいには土地の引き渡しはあるかなと話していた時、やはり水道管の工事が遅れ、土地の引き渡しは延期になりました。その年の瀬、新年の準備を迎える最中に、役場から一本の電話が鳴り響き、土地の引き渡しが遅れるという内容を伝えるものでした。何もそんな年末に知らせなくても、新年があけて落ち着いてからでもいいのではと、その機械的な対応に怒りすら覚えました。その作り手さんも気丈に、「ここまで待ったんだから慌てずにゆっくり待つよ」と言ってはいたものの、ショックだったと、あとから聞きました。(つづく)

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2019年09月09日

【東日本大震災】レポートNo.300

岩手を訪問した木伏明子(元ちびくろ関東ネット代表/*当時ちびくろ救援ぐるーぷを応援していた関東のグループです)さんのレポートです。

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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり  
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 私は先日、岩手県大槌町〜陸前高田市の沿岸地域へ2日間訪問し、「まけないぞう」の作り手さんとはじめてお会いして来ました。今回現場を訪れるきっかけになったのは、被災地NGO恊働センターのスタッフ増島さんが長年取り組んでいる「まけないぞう」の活動を応援したいと思う気持ちからでした。

 彼女と神戸の震災(阪神・淡路大震災)ではじめて出会ってから23年間、私は結婚、出産、子育てと、日々追われると共に、活動から遠ざかり、被災地への関心まで薄れかけていました。東日本大震災があった時は、何も出来ない歯がゆさのまま時が過ぎ、せめて「まけないぞう」の活動を知ってもらいたい!と、微力ながら知人にぞうさんの活動を話す位が精一杯でした。今回増島さんの活動と私の仕事の有給のタイミングが合い、家族にも許可を得て思い切って被災地を訪れました。

8年も経つ被災地で、どんな活動をしているのだろう(?)
町並みはどんなだろう(?)
人々の暮らしの移り変わりはどうなってしまったのだろう(?)
行政の取り組みとボランティアの関わりはどのようなものだろう(?)
漠然とした思いだけで、なんの情報も得ないまま現場入りしました。

 岩手県に入って最初に行った釜石市のお不動さんを守る住職補佐の森脇妙紀さんは、「まけないぞう」の材料となるタオルを集めてくれたり、霊場のお地蔵様にぞうさんを飾ってくれたり、積極的に「まけないぞう」を支援して下さってました。
 その一方、釜石の街での過疎化や医療不足などの心配事が多く、若者の力がもっと欲しい事もお話くださり、仏様のように地域の暮らしを見守って下さっていると感じました。

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 そして、大槌町吉里吉里地域の元漁師さんのお宅に訪問し、体調不良だった奥さんが久しぶりに目の前で「まけないぞう」を作ってくれたのですが、黙々と縫っている姿に、何かに夢中になれるって凄いなと思いました。
仕上がったぞうさんを見て嬉しそうな顔(^^)
ぞうさんで元気になれる力を感じました。

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 訪問先での増島さんは、どこへ行っても歓迎され、まるで親戚の子が来たかのようで、「お茶飲んでいきんさい! 」と新築のお家にお邪魔してさせてもらう事が多く、はじめて会う私にまであっけらかんと、家族の話や震災当時のお話、色々話して下さいました。

 そんなお話の中で、仮設暮らしが長かった辛さはお話には出ず、仮設から引越し離れ離れになったお友達の事が気になっていたり、内陸部の街に越してしまった知人の話だとか、コミュニティーの崩壊はやっぱり神戸の時と一緒だな〜と、つくづく思いました。

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 仮設住宅に取り残されるように1人で暮らしている作り手さん、11月に新築が完成したら引越しますが、先に災害復興住宅に越してしまったお友達が気になり、増島さんの計らいで、会いに行く事になりました。車で10分位の所ですが、その作り手さんと一緒に伺いました。
 突然の訪問にも大歓迎で迎えてくれ再会を果たした時は、私まで嬉しくなりました。
訪問先のおばあちゃんも高いビルの災害復興住宅になかなか慣れず、引っ越してきたときは、エレベーターの乗り方がわからずひきこもっていたそうです。たくさん話し、笑顔も交えてのひと時、帰り際二人は住宅の上から変わりつつあるわが街を見下ろしていました。

仲良し_R.JPG

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 こうして仮設住宅から、今はそれぞれ離ればなれになりつつも自宅を再建し、各自お一人でぞうさん作りをしている作り手さんがほとんどですが、誰かと繋がっていたい気持ちが、話の中からすごく伝わってきました。

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このたった2日の活動で何がわかるか?って言えば、見た目では、長くて高い防潮堤の町並みや景観を失われた街の違和感、復興に向けた行政の取り組み等は私には理解出来ない所も多いですが・・・・・。

防潮堤_R.jpg

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今回の訪問先では感じた事は…
この絆を
どこかに繋ぎたい!
誰かに伝えたい!
「まけないぞう」がくれた絆と私も繋がろう!

今はそれだけ思います
これからも応援し続けます

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posted by 被災地NGO恊働センター at 09:01| ニュース・情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする