2018年01月25日

【東日本大震災】レポート No.285

昨年暮れの12月に岩手に訪問した時の増島のレポートです。

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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり  
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 昨年、暮れの12月に岩手に訪問してきました。報告が遅れましたが、何回かに分けてご報告いたします。雪が降る岩手は、凛とした空気に包まれていました。
 だいぶ久しぶりの方もいて、タオルが届くのを首を長くして待っていてくれました。
「やっぱり、ぞうさんないと淋しい〜」と・・・。

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 被災地に行くたびに、造成が進み、これまでとは違った光景が広がります。毎日住んでいる地元の人でさえも、迷うくらいです。大量の土砂でうずたかく盛られた土の上に、所々灯りが灯されています。道案内の替わりになっている灯りだが、何故か痛々しい・・・。
 いままでの暮らしとはほど遠いような、大きなマンション型の団地がいくつも立ち並び、慣れない生活の中で、すでに空き家も目立ちます。被災地に着いてすぐ、復興住宅で、それぞれ家族がある女性と男性が相次いで飛び降り自殺をしたということを聞きました。それを教えてくれた作り手さんは「家族があっても死ぬんだね、孤独だから死ぬのではなくて・・・」と一言。
 必ずしも震災との因果関係はわかりませんが、行くたびにこのような話を聞くと、せつなくて心が折れそうになります。
 
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 昨年6月には宮城県気仙沼の仮設で40代の女性がガスを止められ、相談相手もなく、制度のはざまで、孤独死となって発見されたというニュースがありました。これは阪神・淡路大震災の仮設住宅でも全く同様のケースで、真夏に水道を止められ50代の女性が衰弱死したという、ショッキングなニュースがありましたが、悲しいことに東日本でもその教訓が生かされることなく、尊いいのちが奪われたのです。“防げた死”を何故、防ぐことができないのか??あまりにも悔しい・・・。

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 少しでも、孤独を回避するため、気軽に相談ができるようなセーフティネットなど、被災者には多く“つながり”が必要です。震災から7年を迎えようとしていますが、「早く自立しないと」と叫ばれ、7年間の間、我慢し続けている被災者も少なくありません。
阪神・淡路大震災の1995年11月に開催された仮設支援連絡会の寺子屋で、故秦洋一さん(朝日新聞論説委員)は「自立支援のための前提として、自立支援とは、被災者を孤立させないための人権運動である。その過程の中で求められているのは、未知の救援の文化の創造である。」と話していました。

 仮設の統廃合をする行政、その理由を「学校のグラウンドだから、子どもたちに返してほしい」と話す。もともと仮設住宅の建設に関しては、「公有地」「国有地」「企業等の民有地」の順に選定する仕組みになっているのです。7年間で培ってきた、仮設のコミュニティが崩壊し、新たな仮設でまたコミュニティを形成しなければならないのです。被災者の一人が「私の人生ずっと我慢しっぱなし、被災者になっても我慢しなければならないなんて」とぶつけようのない怒りが彼女の心を乱しています。
 
 7年を目前にまだまだ厳しい被災地の現状がそこにありました。被災地の春はまだ遠し・・・。
 
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posted by 被災地NGO恊働センター at 15:17| ニュース・情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月11日

【東日本大震災】レポートNo.283

あれから6年半、9月に岩手県の被災地に入った増島のレポートをお届けします。

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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり  9月9日   
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 先月の岩手訪問では、「まけないぞう20年ありがとうキャラバン」の企画として、「岩手医科大学 創立120周年記念イベント『健康フェス2017』〜いきいき元気健康家族〜」に参加させて頂きました。

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 今回のご縁をつないでくれたのは、大船渡の作り手さんです。その久美子さんは、2011年津波に襲われ自宅は大規模半壊でした。その後、仮設住宅コミュニティ支援員として仮設住宅の住民のお世話をしていました。そんな久美子さんに出会い、小物づくりが好きだということで「まけないぞう」づくりに参加されました。それから、2017年に自宅を再建し、仮設の統廃合に伴い、仮設住宅をでました。けれどもまだきちんと再建できていないので、実家に間借りしながらの生活だそうです。
 その後、岩手医科大学で入院生活をされ、体調が落ち着いた頃に、病気を持つ患者さんやその家族のために「まけないぞう」を岩手医科大学付属病院「がん患者・家族サロン」に寄付されたそうです。その担当者がとても熱心な方で久美子さんのボランタリーな行為に感銘を受け、「まけないぞう」にもとても感動してくれたのです。

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 久美子さんは「まけないぞう」を受け取った人たちが喜んでくれる姿がとてもうれしいそうです。今回そんな患者さんから、お礼のお手紙も届いたそうです。ここに紹介致します。

◆「まけないぞう」ありがとうございました。生まれつき心臓病があり、入退院を繰り返している娘も術後1週間ですが、嬉しそうにゾウさんをもって遊んでいます。私も東日本大震災を岩手県沿岸で目の当たりにしています。沢山の方の支援に感謝しています。
 今回も娘の病気を思ってくれる方が大勢いるということを実感し、涙が出るほど嬉しく、親も頑張らねばと思う日々です。このような支援をこれからも続けてほしいです。
 子供たちは笑顔になります。家に帰ったら待っている子供たちもゾウさんと遊ばせます。これからの入院の際に宝物として持っていきます。

◆入院中、とても気持ちが不安になり、辛い気持ちで過ごすことが多かったなか「まけないぞう」をいただきました。
 赤を選んだのは赤は生命力の象徴かな・・・なんて勝手に思ったからなのですが、「まけないぞう」を見るたびに頑張らないと、と自分に言い聞かせ入院生活を過ごしました。おかげさまでそろそろ退院できそうです。ありがとうございます

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 こうして、今回「健康フェス2017」に参加することができました。イベント当日は、快晴の中、関係者の方によるとこれまでで最高の人手だったそうです。久美子さんにもお手伝い頂き、たくさんの「まけないぞう」がお引越ししました。ボランティアの大原さんもバッグに子ぞうを身に着け、子どもたちにアピールしながら販売をがんばってくれました。
 久美子さんは「とても楽しかった。久しぶりに子どもをこんなにたくさん見たわ。」と嬉しそうに話してくれました。

 
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posted by 被災地NGO恊働センター at 10:14| ニュース・情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月06日

【東日本大震災】レポートNo.282

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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり  9月   
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 すっかり秋めいて、朝晩寒いくらいですね。先月9月に岩手県に行ってきました。今回は村井顧問と、熊本地震で知り合った大阪市在住の大原久史さんも同行してくれました。大原さんは阪神・淡路大震災を経験し、その時できなかったボランティア活動をいつかしたいと胸に秘めていて、今回ご縁があり一緒にまけないぞうの活動に参加してくれました。

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 いつもながらですが、みなさん首を長くして待ってくれています。「ぞうさんないと淋しいわ、でもあちこちで災害があって大変だったんでしょう??」とみなさん他の被災地のこともとても心配してくれていました。
 久しぶりに顔を合わせた作り手さんたちが、できあがったまけないぞうを持ちよります。中には、まるでシマウマみたない子ぞうさんを発見です!そして、近況報告もかねて、おいしいごちそうを頂きながら、おしゃべりタイムの始まりです。「ぞうさん、いつまでできるの?」、「ちょっと、体調を崩してね」「このごはん美味しいね」などたわいもない話で盛り上がります。

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 また、6年も経つと体調を崩す人も多いです。6年という月日を考えるとお年寄りにはとても長い時間です。中には、更年期のような症状で、肩が上がらなくなった、足の調子が悪くなってうまく歩けなくなった、腰の調子が悪いなど原因がよくわからないような体の不調を訴える人が多くなりました。
 そういう中で、まけないぞうはより一層被災者の心の支えになっているような気がします。「今度ぞうさんの仲間でどこかに行きたいね」などとお話が弾むと、なんだか元気になっていくような気がします。
 春に釜石市の霊場を回ったときにも、随分とアップダウンの激しい山道でしたが、みなさん必死に歩いて、疲れたはずにも関わらず行けてよかったととても喜んでくれました。

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いまは売り上げもかんばしくないこともあって、みなさんにたくさんのぞうさんを作ってもらえていませんが、いつもお届けしている各地から届いた暖かいメッセージに励まされ、「一人じゃないんだ」「みんな応援してくれている」と思えるようになり、またがんばろうと明日に向かって一歩踏み出します。
 
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 〜まけないぞうの作り手さんからのメッセージ〜
 今日は震災から早くも6年が過ぎました。仮設生活も6年、早いような・・・
日々ガンバって生活しております。仮設に入って1年位の時に出会った。“ガンバルぞうさん”のお陰で毎日が楽しく過ごしています。まだまだ復興半ばですが、これからもよろしくお願いします。
                          (2017/9/8 岩手県大船渡市)

 注)なぜか?メッセージのなかのぞうさんは“ガンバルぞうさん”です。20年経ってもこの間違いは減りませんね(^^;)正しくは「まけないぞう」さんです!!(^^)
posted by 被災地NGO恊働センター at 11:30| ニュース・情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月26日

【東日本大震災】レポートNo.237

2月末から、再び岩手県に入った増島のレポートをお届けします。

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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり 2月23日きゃっせ 
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 先月2月23日毎年お世話になっているコープみらい主催の「コープみらいフェスタ きゃっせ物産展2014」に参加させて頂きました。あまり話題になることも少ないのですが、千葉県旭市でも津波の被害がありました。コープみらい(旧コープちば)では、災害直後から支援活動に奔走し、仮設住宅に移ってからもお茶会などさまざまな活動を行っています。その活動先に飯岡仮設住宅があり、そこにぞうさんの作り手さんがいらっしゃいます。 今回のイベント会場には、千葉県旭市で作られたまけないぞうが販売されました。

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 その会場では、組合員のみなさんが活動してきた「スマイルカフェ」の活動展示とポプリ作りの体験コーナーが設けられていました。まけないぞうもその場に販売スペースを作って頂き、組合員さんの手作りの絵も飾ってくれました。

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 そこに作り手さんが来てくれました。自力再建した人、春に復興住宅が完成するのでそちらに移る人など新しい一歩への春が近づいています。一人の作り手さんは、津波で旦那さんが流されたことを話してくれました。旦那さんは船舶の模型を作る人だったそうです。静岡県に旦那さんが作った模型が残っていて、見に行ってきたことをうれしそうに話してくれました。「ぞうさんのお陰で、淋しい時間も忘れることができた。一人だから小さな家を建て、静かに暮らしていく」と・・・。

 そこへ、まけないぞうの強力な応援団のmakenaizoneのメンバーでもあるSさん親子が遊びに来てくれました。娘さんは大のぞうさんファンで今日もまけないぞうと一緒に来てくれました。娘さんは「学校で三桁の掛け算を習ったので千円でぞうさんがいくつ買えるかわかるようになったこと、旭市はお兄ちゃんのマラソン大会の応援で何回か行ったことがあって 地震の被害が大きかったと聞いて悲しかったこと、自分も地震の日は次の日までお母さんに会えなくて怖かったこと、自分は手芸が好きなので一度作り手さんがぞうさんを作るのを見せてもらいたいこと…増島さんと作り手さんにお会いできたら話したいことがいっぱいあったのに、緊張しちゃってなにも話せなかった〜」と後から聞かせてもらいました。ぜひ、次の機会に実現したいと思います。
 今日もまけないぞうがたくさんの笑顔を届けてくれました。コープみらいのみなさんありがとうございました。

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posted by 被災地NGO恊働センター at 15:43| ニュース・情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月12日

【東日本大震災】レポートNo.236

2月末から、再び岩手県に入った増島のレポートをお届けします。

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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり 2014年3月11日 
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 2011年3月11日から3年を迎えた被災地では、午後2時46分、町中にサイレンの音が鳴り響き、各地で祈りが捧げられた。それぞれが犠牲になられた人たちに祈り、想いを寄せた。亡くなられた方々には心からお悔やみ申し上げます。
 「10日現在、警察庁によると、地震や津波による直接死は1万5884人、行方不明は2,633人、震災関連死は毎日新聞のまとめで10都府県3,048人に達し、福島県では直接死を上回った。」(2014年3月11日毎日新聞より)

 10日には釜石の復興住宅で、有志の方の発意で竹の灯籠に灯りが灯された。その日はお逮夜(一般的には四十九日や一周忌など、定められた供養日の前日や、命日の前夜を指します。)で、帰宅された住民の方が一人、また一人足を止め、あの3.11を振り返る。オカリナの静かな音色に包まれ、それぞれが想いを馳せる。「私は息子が流された」とぽつり、またある人は「孫の体調が悪化し、家族がバラバラになった」、別のある人は「数ヶ月の赤ちゃんを抱え、裸足のまま無我夢中で山伝いに逃げた」みなそれぞれの3.11がそこにある。涙があふれてくる。来年再来年と続く3.11、そこに終わりはない。

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 11日当日、沿岸に車を走らせ、被災地の様子を見て回る。道路には多くのトラックが土煙を上げて行き交っている。山を削り、海を埋め立て、三陸の豊かな自然が破壊され、山や海から叫び声が聞こえてきそうだ。これが真の復興なのだろうか??まるで被災者の声がかき消されているようだ。

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 3.11は遠野希望の郷「絆」で追悼行事が行われた。住田町の方から竹を頂き、竹灯籠に灯りを灯した。そして、午後2時46分祈りを捧げる。仮設から引っ越した方も、在宅の方も、みなし仮設の方も、この日は懐かしい顔とともにお互いに「元気か?」「あ〜元気だ」と声を掛け合い、その存在を確かめ合う。

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 冒頭、震災関連死の記事を紹介したが、この遠野でも震災関連死に関して提訴している人がいる(ちなみに岩手県では被害の大きい福島・宮城・岩手の中で認定された人が一番少ない)。私もよくお世話になっている人だ。
「鳥取さんによると、健二さんは震災前まで、小型船でウニやアワビを取り、心身に変調はなかったという。しかし、震災直後からぼうぜんと座り込むなど様子が一変した。遠野市にある長男宅に移ると、山を見て『津波が来た』と言ったり、近所を徘徊したりした。11年6月に『アルツハイマー型認知症』と診断された」(2014年3月12日毎日新聞)

 被災地を回っていると、津波後、心身ともに体調の変調を訴える人が多いことに気づく。そして、自ら命を絶つ人も・・・それはしかも大人に限ったことではないのだ。あの大津波で生かされた命がこれ以上犠牲にならないように、これからも、みなさんとともに被災地に寄り添い続けていきたい。いつか心から笑える日がくるまで・・・。

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posted by 被災地NGO恊働センター at 14:32| ニュース・情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする