2020年06月17日

「ぞう通信。(番外編)」

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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり  
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 先日6月12日に1本のメールが入りました。まけないぞうの作り手さんが入院中に脳梗塞で亡くなったという訃報でした。その彼女は仮設で生活されているときからまけないぞう作りをしていました。

2011年の冬、大船渡の仮設住宅でその作り手さんと出会いました。まけないぞうをお手伝いしてくれていたボランティアさんがいつも通っていた仮設に住んでいました。当時はまだ、がれきがあちらこちらにうずたかく積まれ、家の土台だけが残された更地が広がっていました。彼女は、仮設で娘さんご夫婦と、お孫さんたちと一緒に暮らし、その間にはひ孫さんも生まれ、にぎやかな生活をしていたのでしょう。
6年間仮設で1,838頭のまけないぞうを作り上げました。その後2017年には自宅を高台に再建し、娘さん夫婦と暮らしていました。

作り手さん_R.JPG

作り手さんの訃報に接して、いつも書いて頂いたメッセージをご紹介します。

(2012年1月12日)
1995年1月17日の阪神・淡路大震災の時はまるで他人事のようにテレビを見ていましたが、まさか自分にふりかかってくるとは夢にも思いませんでした。仮設に入って何もやることもない時、まけないぞうさんを作ってとても楽しくなりました。これからもぞうさんと同じように新しい年に向かってがんばって行きます。ぞうのように私もがんばりたいと思います。

(2013年5月22日)
久しぶりにぞうさんが来ましたので、作るのが楽しみです。仮設でも色々なボランティアさんが来ますけど、この間も神戸大学の学生さん方が来て、ぞうさんの作り方、その他折り紙やお話などをやってくれました。仮設で何もすることがないので、ぞうさん作りが楽しみです。どうぞよろしくお願いします。

(2014年7月4日)
盛夏お見舞い申し上げます。お陰様でひ孫も無事に生まれてほっとしています。それにぞうさんを作りながら留守番をして何もできないものですから、助かりました。次にまたよろしくお願いします。ぞうさんを作るのがとても楽しみです。

(2017年3月15日)
いつもぞうさんを作らせて頂いてありがとうございます。出来上がって送りますと次にくるのが楽しみです。やはりぞうさんがないと何もやることがないので、退屈です。
今度は引っ越しをするのですが、新しい家の方にも来て頂けますでしょうか?大変だと思いますが、よろしくお願い致します。

平山さん作り手さん2_R.JPG

 メッセージを見ていても伝わってくるのですが、まけないぞうが大好きで、退屈な仮設暮らしの中で、まけないぞうが彼女の生活に潤いを与えてくれました。
 末筆ではありますが、Aさんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
posted by 被災地NGO恊働センター at 16:40| ニュース・情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年04月04日

【東日本大震災】レポートNo.305

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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり  
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 震災から9年が経過しましたが、4月時点で岩手、宮城、福島の被災3県でまだ60世帯が住み続けています。被災者の「くらしの再建」は9年経ったいまやっと始まったばかりです。いやいまだ再建の方向性を決められない人がいるのも実情です。
 この被災3県で行われた岩手県立大などのアンケート調査では復興住宅に入居した人の7割が「誰が入居者かどうかわかならい」と答えているのです。また、「困りごとを相談する相手がいない」と答えている人は50%近くもいます。
 以前、復興住宅に入居した被災者から、「待ちに待った復興住宅なのに、物音ひとつ聞こえず、まるで牢屋に入れられたようだ」と聞いたことがあります。この3月も報道で同じことを話している被災者のつぶやきを聞きました。
 信じられないかもしれませんが、当初はまけないぞうの作り手さんの中で、復興住宅に入居後、慣れない団地暮らしで、エレベーターの乗り方がわからず、趣味の畑や花植えもできず、家に引きこもりがちなり、体調を崩した人もいるのです。
 防災集団移転をした人の中には、約30戸近くある高台に引っ越し、家がこんなにあるのに昼間は誰にも会わず、気が滅入り「仮設のほうがよかった」と、数か月うつ状態が続いた方もいました。この「仮設の方がよかった」という言葉は、阪神・淡路大震災でも聞きました。

復興住宅_R.JPG

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 今年で阪神・淡路大震災から25年を迎えた神戸の災害復興住宅でも昨年の孤独死は仮設住宅がなくなった2000年以降、最多の77人だったのです。こんなことが東北の被災地でも起きないように、コミュニティづくりは、喫緊の課題です。

 まけないぞうの作り手さんも、まけないぞうを通してたくさんのみなさんとつながっているというコミュニティによって、孤独死の前にある「孤独な生」を回避しながら生きているのだと思います。それはもちろん、まけないぞうだけでなくいまもなお、いろんな形でかかわり続けているボランティアがいることが、重要な役割を果たしているからだと思います。
 そしてそれはきっと、被災者とか支援者という関係性を超えたつながりで、今後も細く長く続いていくのだろうと想像します。

まけないぞう_R.JPG

 震災直後のがれき撤去のような目に見えるようなわかりやすい活動ではありませんが、9年経っても、いやそれ以上にこのような関りや活動が続いていくのでしょう。これからもまけないぞうを通して、細く長くご支援いただければ幸いです。これからもよろしくお願いします。
(増島 智子)
 

 〜被災者のつぶやき〜
「津波の後に、避難所には行かずに避難生活をしていて、電気製品が欲しいと思って内陸のお店に出かけた。お店に行くと、知らないおじいさんが『沿岸からきたのか?』「はい、そうです」と答えると『ちょっと待ってて』と。戻ってくると『これ何か足しにしてくれ』と2000円を手渡されたんだ。知らない人なのにほんと涙でたよ。」

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posted by 被災地NGO恊働センター at 15:21| ニュース・情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月31日

【東日本大震災】レポートNo.304

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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり  
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 9年目の被災地を回りながら、一見いつもとは変わらないまけないぞうの作り手さんとの交流、けれど3月11日が近づくと一段と津波の話が多くなります。今回は盛岡からのボランティアさんとmakenaizoneのお仲間の娘さんモーラちゃんが参加してくれました。

ボランティアと_R.jpg

 作り手さんもボランティアさんが来ると嬉しそうにいろいろなお話をしてくれます。今回は3月11日があったので、特に津波の話は多かったです。

ある作り手さんは、「あの時、家の近くまで津波が来て、近所の人に声をかけられ、杉山まで逃げました。一緒に逃げた知り合いが『これって夢じゃないよね?』と言われたのを鮮明に覚えている。当時、遺体が誰がわからず、人もいないし、遺体の確認を頼まれたこともあった。いまになったらこうして話せるけどね。息子も街中で津波に流され、命からがら逃げたの。息子に会うまでは、お互いに津波で流されたと思ってた。」と話してくれました。

こうして9年経って初めて聴く話もあります。いつもと違う人がいることでその場の空気も変わり、作り手さんも話しやすくなるようです。
 
作り手さん_R.JPG

また別の作り手さんの旦那さんも話をしてくれました。「あの時、いつものように散歩していたら、大きな地震が来て、自宅まで妻を呼びに行き、二人で車で近くの高台まで逃げた。下にはまだ津波に気づかずガソリンスタンド働いている人もいて、上から、「津波だ!!逃げろー!!」と大声で叫んだのを覚えている。その時は気づかない様子だったけれど、後から助かっていたのを聞いてホッとした。」と。

まけないぞう_R.JPG

 モーラちゃんが孫のようで、住所交換もして旦那さんはアイルランドにお手紙を書くと張り切っていました。その姿はとってもうれしそうでした。モーラちゃんは作り手さんの手作りのおつけもんを「おいしい、おいしい」と食べていました。
(増島 智子)

おつけもん_R.JPG

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posted by 被災地NGO恊働センター at 10:23| ニュース・情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月26日

【東日本大震災】レポートNo.303

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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり  
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 東日本大震災から9年の時が過ぎました。被災地では、新しく町が生まれ変わりましたが、行きかう住民はまばらで不十分ながらもくらしの再建は始まったばかりです。三陸沿岸の岩手、宮城、福島3県のプレハブ仮設住宅では、今年の4月時点で60世帯の人がまだ生活をしているそうです。福島県では9年の時が過ぎても、時がとまったままの場所がたくさんあるのです。原発事故の影響で転居先未定の方もいます。他の地域では土地の区画整理事業の遅れや工務店が注文に追い付けずに時間がかかってしまうケースがあるのです。9年経ってもハード面の遅れが目立ちます。

防潮堤_R.JPG

 そして、新型コロナウィルの影響は岩手県にも出ていました。3月11日の追悼行事などの縮小、集会所などでの催し、イベントなどの自粛や中止など、いつもとは違う雰囲気がありました。
 そんな中で、この3月で解体される私たちもお世話になっていた陸前高田市のモビリア仮設住宅で、被災者の方たちと追悼行事に参加させて頂きました。

高田の市街地_R.JPG

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 3月11日、特に震災のことを思い出します。80代女性が「息子がね、津波で亡くったんだ。震災から2ヶ月経ってから海の中から遺体が見つかって。引き渡しにも時間がかかったよ。」と話してくれました。また、みなさん口々に週に一回必ず体操に来ていたんだよ!「この場所がなくなると集まれるところがなくなるから寂しいね。ここにきたらみんなと話して大笑いして帰るんだ。それが楽しくてね」と名残惜しそうにそれぞれが思い出話に花を咲かせました。

 まけないぞうの作り手さんは、津波で自宅が流され、当時保育所に通っていたお孫さんが、避難先でずっと家に帰りたいと訴えていたそうです。それで一度お孫さんと自宅を見にいったそうです。自宅は基礎だけ残して全て流されていたのです。お孫さんはその自宅を見て「波がじゃぼん、じゃぼんっておうちを持っていったの??」と…。それからは「お家に帰りたい」と言わなくなったそうです。小さな体と心でその現実を受け止めたのでしょう。それでも作り手さんは「津波で全部持ってかれた。でも命だけは助かったから幸せ」と話してくれました。
 被災地を訪れる度に、いろんな方のお話を聴きますが、9年経っても初めて聴く話が多いです。本当に当たり前のことですが、被災者ひとり一人に物語があるのだと、この物語一つ一つを将来世代に伝えていきたいと強く思いました。 

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(増島 智子)

posted by 被災地NGO恊働センター at 14:58| ニュース・情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年01月30日

【東日本大震災】レポートNo.302

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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり  
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そして2019年震災から9年目に突入。やっと土地の引き渡しも終わり、「5月か6月くらいにはできるかな」と話していたのですが、大工さんも仕事に追われ、着工が予定より遅れました。夏にやっと棟上げ式が行われ、その時に餅まきをして、そのお餅をもらいました。

餅まきのもち_R.JPG

「11月くらいにはできるかな」が伸び、「年末にはやっと引っ越しできるかな」という段階で、思うように工事が進まず、直前になって完成が年を越してしまったのです。自宅がが完成したのは震災から10年を目前にしたこの2020年1月でした。長い長い年月この日をどれほど待ち続けていたでしょうか。

自宅前で_R.JPG

 引っ越しの当日には、親戚やボランティアさん、仮設で一緒だった人など15人ほどがお祝いに駆けつけてくれました。その日は、宮司さんをお招きして、神棚に魂入れをしました。宮司さんはたくさんの人が来ているのを見てびっくりしていました。「なんで、こんなに人がいるの??」と作り手さんに尋ねると、「津波のお陰でみんなと出会えたんです!」と。「津波のお陰!」と。とても複雑な気持ちですが、自然に涙が溢れました。家族や親せきのみなさん、そして津波のお陰で出会えた人たちに囲まれ、式が厳かに執り行われました。

お参り_R.JPG

彼女は多くの人に支えられここまで来たのですが、私たちもたくさん彼女に支えられてきたのです。若いころに旦那さんを亡くした彼女は、物静かで、いつもニコニコしていて、凛とした強さがあります。
それまでは工期が伸びても「ここまで待ったんだから、慌てずにゆっくり待つわ」と話していたのですが、最後の最後に自宅の引き渡しは伸びたときには、「さすがに今回はショックだわ」と言っていました。その言葉の奥にこれまでどれだけ待ちわびていたのかと考えるとかける言葉もなかったです。

引っ越し_R.JPG

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 そんな苦労の賜物の自宅がこの2020年1月についに完成したのです。その当日に、まけないぞうで貯めたお金で買った品物が届きました。それは素敵な茶箪笥とソファでした。彼女は「一生の宝物だよ!」と満面の笑みを浮かべて見せてくれました。
一緒にいた娘さんも息子さんも喜んでくれました。

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 津波に遭った当時、遠く離れて住む娘さんは、お母さんが津波のショックでぼけたりしてしまうのではないかと心配したそうです。「そんな時にまけないぞうがあったので、生活に張り合いができて、本当によかった」と言ってくれたのです。「まけないぞうのお陰です」と。この9年間の独居生活の彼女をまけないぞうが支えてきたのです。こんなうれしいことはありません。「最後の一人まで」ってこういうことなのかな〜?と。もちろんまだまだまけないぞうは続きます。これからもご支援をよろしくお願いします!!

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posted by 被災地NGO恊働センター at 10:45| ニュース・情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする