2012年09月10日

【東日本大震災】レポートNo.187

8月19日から岩手県に入った増島のレポートをお届けします。

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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり 8月27日(月)
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今日は大船渡に行きました。山口仮設では、作り手さんのSさんと、練習中の方2人でぞうさん作りです。Sさんは、「たくさん作ってお世話になった人たちにプレゼントしたよ。幼稚園の保母さんたちにもプレゼントして、みんなに喜ばれて、楽しいよ〜ぞうさんは」と笑顔で話してくれます。
練習中のお母さんは「自分で覚えたいから人には聞かないよ、今日は畑を休んで来たよ」とこの間一人で練習していたそうです。「鼻と顔が難しい」と一生懸命針を動かしています。

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練習中_s.jpg

支援員さんに、街の再建についてお話を聞きました。海際の土地を7メートルかさ上げしようとして、再建した地元住民の反対があり、その計画は頓挫したそうです。
公営住宅も残っているが、そこに住んでいた人の入居が優先されるので、とても数が足りない。山を削って住宅を建てようとしているが、いま山の地権者との話し合いがされている。彼の住んでいた区画だけでも100件はあったので、町全体を考えると土地の確保も難しいなど、遅遅として町の再建は進んでいない様子で、その方もあきらめムードが漂っています。外へ目をやると、手つかずの空き地が広がっています。

午後には、後ノ入仮設へ伺いました。作り手さんが集まって今日はぞうさんの日です。お二人の方が体調を崩されていました。参加された人たちは、手作りのシソジュース、トマト、おつけもの、おこわなどなどたくさんのお茶請けなどを持ち寄り、お話をしながらちくちくぞうさんづくりに精が出ます。他の日には手芸教室をしていて、みなさん手仕事が大好きです。ぞうさんの手間賃をお支払いすると、臨時収入が入ったから「私は手芸の材料を買おう」、ある人は冗談交じりで「スナックあやに行こう(笑)」「ぞう御殿を建てよう」などなど、笑顔がこぼれます。些細な収入かもしれませんが、みなさんやりがい・生きがいを持って楽しくぞうさん作りをしてくれています。
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2011年06月04日

【東日本大震災】レポートNo.95

災害に遭ったということををどう受け止め乗り越えるか、そんな問いに向き合ったひとつの物語をご紹介します。吉椿雅道のレポートです。
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『つなみ』(パール・バック著)から感じること
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3・11の地震、津波からまもなく3カ月が経とうとしている。被災地は未だ多くの人々が仮設住宅にも入居出来ず、日々、泥やガレキと格闘しながら避難生活を送っている。

また、一方では、被災地の魚市場が再開したり、漁師は船を出し、農家は田畑を耕し、元の商いを始める人々もいる。被災者の人々自らが少しずつではあるが、復興へ向けてその一歩を踏み出している。

地震、津波、原発という過去に日本が経験した事のない三重苦に遭い、計り知れない悲しみ、苦しみの漂う中、東北の人々の姿はどこかこの困難をじっと耐えようとしているように見える。

「東北の人は我慢強い」と誰もが言い、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を多く引用する。外国人の目からはその「耐える」姿は絶賛に値するのだろうが、反面、それは、その「しんどさ」を誰にも言えずに自らに無理を強いる事にもつながる危険性をも併せ持つ。

有史以来、何度も何度も津波の被害を受けて来た三陸海岸の人々は、それでもそこにまた家を建て、村を興して来た。地震、津波、洪水、火山など災害の多いこの日本で生きるとは一体どういう事なのだろう。そんな事を考えさせてくれる64年前に書かれた物語をここに紹介したい。

「つなみ」(原題THE BIG WAVE)径書房  パール・バック著(1947年)

ある時、ある村に大津波がやって来て、海辺の村が流され、多くの人が犠牲になった。
物語は、海の手に住んでいて、津波で家族を失くした少年、その彼の友達である山の手に住む少年とその家族が中心に話が進んでいく。物語の核心でもあり、日本人の自然観、死生観をうまく表現しているお父さんと息子の会話に「日本」を考えさせられる。
以下、文中から引用。

少年:「日本で生まれて損したと思わんか?」
父 :「なんでそう思うんじゃ?」
少年:「家の後ろには火山があるし、前には海がある。その二つが悪いことをしようと、地
震や津波を起こしよる時にゃ、誰にも何にもできん。いつもたくさんの人をなく
さにゃあいけん。」
父 :「危険の真っ只中で生きるってことはな、生きることがどんだけいいもんかわかると
いうもんじゃ。」
少年:「じゃが、危ない目に会って死んだらどうする?」
父 :「人は死に直面することでたくましくなるんじゃ。だから、わしらは死を恐れんのじ
ゃ。死は珍しい事じゃないから恐れんのじゃ。ちょっとぐらい遅う死のうが、早う
死のうが、大した違いはねえ。だがな、生きる限りはいさましく生きること、命を
大事にすること、木や山や、そうじゃ、海でさえどれほど綺麗か分かること、仕事
を楽しんですること、生きる為の糧を産み出すんじゃからな。そういう意味では、
わしら日本人は幸せじゃ。わしらは危険の中で生きとるから命を大事にするんじゃ。
わしらは、死を恐れたりはせん。それは、死があって生があると分かっておるから
じゃ。」

ノーベル賞作家(1938年「大地」で受賞)である彼女は、アメリカ人であるが、幼少時代を中国で過ごし、日本にも1927年に4か月ほど滞在した事がある。その時に雲仙(長崎県)で聞いた普賢岳噴火に伴う津波(1792年の通称、島原大変肥後迷惑。長崎、熊本両県で約15000名の犠牲を出した。)の話を基にこの物語を創作した。あくまでもフィクションであるが、日本人以上に日本を繊細に描写している。

東日本大震災後、津波ですべてを流れた場所で漁師のお父さんと小学生の息子さんが、テレビこんな事を話していた。「ここでまた漁を必ずやる。」というお父さんに対して、「俺も大きくなったら漁師になる。」と息子さんが語っていた。あれだけの被害を受けた海で、その土地でまた生きようとしてる人々がいる。この「つなみ」を読んでそんな事を思い出した。
(吉椿雅道)

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2011年04月15日

【東日本大震災】レポートNo.55

東日本大震災で被災された方には、家だけでなく
仕事を失った方もたくさんおられます。

当センター代表の村井は、仕事をなくした被災者を
がれき撤去などの作業に「雇用」する仕組みをつくることを提案しています。
この提案が、産経新聞に取り上げられました。
→ 「がれき撤去作業『雇用の場に』 NGO恊働センター」(4月14日、産経新聞)
  http://sankei.jp.msn.com/economy/news/110414/biz11041412560020-n1.htm

このような取り組みは「キャッシュ・フォー・ワーク」と呼ばれ、
海外の被災地では被災者の仕事づくりとしてよく実施されています。
例えば、2010年1月12日の大地震で被害を受けたハイチでも、
「フード&キャッシュ・フォー・ワーク」として国際機関等が
食糧と現金を支給したケースがあります。

<関連記事>
■田野畑村が被災者雇用
http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20110411_3

■大船渡市でがれき撤去で臨時雇用
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110414/t10015305831000.html

■NPOがCash for Work
http://mainichi.jp/select/today/news/20110414k0000m040081000c.html

■釜石市が被災者千人雇用計画
http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20110412_10

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