2018年12月13日

【東日本大震災】レポートNo.290

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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり  12月11日 
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 12月11日は震災から7年9ケ月が経ちました。11日付の東海新報では「東日本大震災の被災者が入居する岩手県内の災害公営住宅で、今年の孤独死件数が10月31日現在で過去最多の15件に上っていることが分かった。」と伝えていました。年々災害復興住宅での孤独死が増えているそうです。環境の変化による孤立化などが原因のようです。今後もコミュニティづくりや生きがいづくりなど丁寧な支援が必要です。

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まけないぞうの回収では、いつもお世話になっている釜石市の不動寺さんから支援物資をお預かりし、作り手さんにお届けしています。「7年も経ってこうして来てもらえてありがたいね」「まだ、こうやって物資をくれる人があるの??」などの声を聞きます。
Makenaizoneのみなさんからのお手紙をお届けすると「まだ、ぞうさんがあちこちに飛び立ってるんだ」「まだ、こうやってぞうさん買ってくれてるんだね」など、みなさんとても感謝してくれます。被災者の人たちを忘れていない気持ちを受け止めてくれています。

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12月11日の月命日はその不動寺の森脇妙紀住職補佐が、当時津波で40名の職員が犠牲になった大槌町役場で祈りを捧げました。私もまけないぞうの作り手さんとともに、祈りを捧げました。大槌町役場は解体を予定されています。

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毎日新聞(2018/12/12)には役場で犠牲になった遺族のコメントが紹介されています。「吉子さんは旧庁舎を残すことが『大槌の子どもたちの命を守る』ことにつながる。それが娘の意思と改めて思った。人志さんは『町長は娘をはじめ部下や同僚が亡くなって津波の高さが一目でわかる、旧庁舎の時計台だけでも残そうと思わないのか』と憤った。」と述べています。また「解体前に役場職員だった娘の死亡状況を検証し尽してほしい。何より『町長自身が真実に向き合ってほしい』と要望した。」と伝えています。そして、「両親は『さまざまな思いを持つ遺族同士、ゆっくり話し合う機会を持ちたい』と自宅の電話番号(0193-28-1666)を公表して、遺族からの連絡を待つ」とも伝えています。被災地でも多くの震災遺構が取り壊されていく中で、保存してほしいという声も聞こえてきます。遺構を残す残さないの二者択一ではなく、このご両親が言うように「真実に向き合ってほしい」ということがとても大切だと思います。

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阪神・淡路大震災では、神戸の街中にはその遺構はほとんどありません。もしもっと遺構があれば、震災の教訓を伝え、犠牲になるいのちを減らせることもできたかもしれません。広島の原爆ドームように次世代の子どもたちのいのちを守るためにも残し続けていきたいと私は思います。

まけないぞうの作り手さんも一緒にお参りができてよかったとおっしゃってくれました。
その場に来ていた遺族の方で、当時避難所のリーダーをしていた方が、「私たちの避難所でもまけないぞうを作っていましたよ」と話してくれました。なんだかこれもご縁だと感慨深い月命日を過ごしました。

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posted by 被災地NGO恊働センター at 11:00| ニュース・情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月11日

【東日本大震災】レポートNo.289

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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり  
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 陸前高田市でもうっすら雪模様なり、とっても寒い朝が続いています。澄み切った空気はすっきり気持ちいいです。夜は静寂に包まれ星空が広がり、自然を身近に感じることができます。沿岸では三陸道路が少しずつ開通し、高田から釜石まで今まで工事中だった道路が開通していました。

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釜石市の尾崎白浜の作り手さんにも会いに行きました。お二人とも変わらずとてもお元気でした。浜でとれた美味しいカキでカキフライとお父さんが捕ってきたアワビでアワビごはん、赤かぶのおつけもん、お煮しめなど故郷の味がテーブル狭しと並べられました。久しぶりのおふくろの味についつい食べ過ぎてしまいます。

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津波の後に大の仲良しになったお二人は、いまでもずっとまけないぞうを作ってくれています。仮設の時にテレビでまけないぞうを見て、問い合わせてくれたのです。仮設ではお隣同士で、おかずを分け合い、お茶っこしたり、Hさんは「おまえさんたちに、支えられているよ」と、都会では忘れがちの近所づきあいで、うらやましくもなりました。
 ここでもmakenaizoneのお手紙をお届けすると、「私はね、これをちゃんとファイルにしているんだよ」と、嬉しそうに自宅に持って帰ってくれます。

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 ネパールからの帽子もお届けしました。編み方をじっとみつめ、「すごいね〜、これは細かいよ」「よっし、私も今度はこうしよう」など、お二人とも研究熱心です。東北のみなさんは本当に器用で、なんでも自分たちで作ります。私も見習わなければ!

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似合いますか?_s.JPG

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posted by 被災地NGO恊働センター at 09:49| ニュース・情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月09日

【東日本大震災】レポートNo.288

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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり  
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 今朝は快晴でキリっとした冷たい空気が流れ気持ちも引き締まります。今日は、大船渡市の綾里地区に伺いました。道中の海岸沿いは、また新たな防潮堤が建設され、いままで見えていた海が見えなくなっている箇所がたくさんありました。要塞に囲まれた住民さんはいまどんな気持ちなのでしょうか??

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本当に久しぶりに綾里のぞうさんチームに会うと、いきなり「死んでたかと思った!!」「誰か連れてくるかと思った??」などいつもの挨拶に加えて、直球ストレートのご挨拶から始まりました(汗)みなさんとても元気で、パワーアップしているような感じでした。

作り手さん:「ぶりをもらったから昨日からぶり大根煮てたのよ〜」と。「一日間違えて今朝慌てて煮たのよ〜」と。
朝起きたらお父さんが「今日、うさぎが来るんじゃないのか?」
作り手さん:「えー一日違うでしょ??」
お父さん:「新聞見てみろ!」
作り手さん「あーほんとだ!今日は土曜日だった。お父さんうさぎじゃないよ!ぞうさんだよ」と。
お父さん:「大根煮てたのか??」
作り手さん:「うん、昨日から煮てたよ。」と。「こうだから、今日のぶり大根はお父さんと二人で煮たのよ」と。

こんなやりとりの末、美味しいぶり大根を頂きました。ごちそうさまでした。二人の愛情たっぷりのぶり大根は最高に美味しかったです。

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そして、恒例のmakenaizoneのみなさんから頂いた世界各地から届いたお手紙をお届けました。

「あや〜こんな外国さ、ぞうさん行ってるの??」、「あ〜この人いつも写っているね」、「この人外国の人??」、「すごいね〜、あんたも外国さ、行ったの???」、「わぁ、この子目がクリっとしてかわいいね」ととてもうれしそうにお手紙を見てくれました。

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いまは、笑顔で冗談も言えますが、お嫁さんを津波で亡くした人、新築して4年で津波に自宅を流された人、泣く泣く家を解体し、子どもたちには戻る実家を守れなくて辛かったと話し、今でも自宅の夢をみるよと話してくれました。

言葉には言い表せないくらい辛い想いをみなさんされていますが、まけないぞうが被災者のみなさんの一助となり、7年が過ぎた今でもまけないぞうを作ってくれています。
 「来年の2月で90歳になるよ。」「まだ、ぞうさんつくっていいの?」と。不安もありつつ、嬉しそうに材料のタオルをみなさん持ち帰ってくれました。また数か月後かわいいぞうさんが生まれます。

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posted by 被災地NGO恊働センター at 10:59| ニュース・情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月08日

【東日本大震災】レポートNo.287

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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり  
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この夏の西日本豪雨の対応でなかなか来ることのできなかった岩手にやっと来ることができました。まけないぞうの作り手さんにはだいぶお待たせしてしまいました。
 西日本豪雨からもすでに5ヶ月が経ちましたが、いまだに家の片付け泥出しも続いています。やっとボランティアさんとつながって、いまだに床下の泥出しをしている人、解体に向けて家財を搬出している人がいます。仮設住宅の入居者は、原則2年の入居期限にそんな短期間で再建はできないので、2年後が心配と不安を募らせています。

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そんな中で、東日本の被災地に来ると7年を経っても仮設住宅に暮らしている被災者の人たちがいます。まけないぞうの作り手さんに「広島の仮設の人たちが原則2年の入居期限をみんな心配しているの」と話すと、「大丈夫よ伸びていくんだから」と力強さすら感じます。もちろん東日本の被災者の人たちも最初は広島の被災者の人たちのようにみなさんたくさんの不安を抱えていました。それでも一歩一歩長い年月をかけて、ここまで歩んできました。
そして、作り手さんは言います。「命さえあれば、何とかなる。一からでもやり直せるよ!」と。また、「生きてきた中でいまが一番幸せよ」と、この夏に家を再建した人が言います。経験者だからこそ語れる言葉の重みを実感し、元気をもらいました。
 西日本豪雨や大阪北部地震の被災者の人たちも、焦らずゆっくり、そして着実に再建の道を歩んでもらいたいです。

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 また、今回は国際交流の会とよなかの中園敏也様からネパール地震で被災した女性たちの手作りの帽子を寄付して頂きました。ネパールの首都カトマンズ近郊にあるファルシドール村の女性たちの自立支援の一環として、被災地に帽子を寄付する活動をしているそうです。そのあったかい帽子を東北の被災地の作り手さんにお届けさせて頂きました。寒さに向かう折からネパールの被災地から東北の被災地にご縁を頂きました。今回このご縁を結んで頂いたのは、まけないぞうをずっとご支援頂いている京都にあるドネーションシップわかちあいの立川さきさんです。毎年の京都で開催される「わかちあいまつり」でまけないぞうを販売してくれています。ずっと当センターを支えてくれています。

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こうして、いまでも多くの人たちに支えられながら長きにわたりまけないぞうが続けて来られていることに心から感謝します。

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posted by 被災地NGO恊働センター at 11:52| ニュース・情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月25日

【東日本大震災】レポート No.285

昨年暮れの12月に岩手に訪問した時の増島のレポートです。

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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり  
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 昨年、暮れの12月に岩手に訪問してきました。報告が遅れましたが、何回かに分けてご報告いたします。雪が降る岩手は、凛とした空気に包まれていました。
 だいぶ久しぶりの方もいて、タオルが届くのを首を長くして待っていてくれました。
「やっぱり、ぞうさんないと淋しい〜」と・・・。

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 被災地に行くたびに、造成が進み、これまでとは違った光景が広がります。毎日住んでいる地元の人でさえも、迷うくらいです。大量の土砂でうずたかく盛られた土の上に、所々灯りが灯されています。道案内の替わりになっている灯りだが、何故か痛々しい・・・。
 いままでの暮らしとはほど遠いような、大きなマンション型の団地がいくつも立ち並び、慣れない生活の中で、すでに空き家も目立ちます。被災地に着いてすぐ、復興住宅で、それぞれ家族がある女性と男性が相次いで飛び降り自殺をしたということを聞きました。それを教えてくれた作り手さんは「家族があっても死ぬんだね、孤独だから死ぬのではなくて・・・」と一言。
 必ずしも震災との因果関係はわかりませんが、行くたびにこのような話を聞くと、せつなくて心が折れそうになります。
 
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 昨年6月には宮城県気仙沼の仮設で40代の女性がガスを止められ、相談相手もなく、制度のはざまで、孤独死となって発見されたというニュースがありました。これは阪神・淡路大震災の仮設住宅でも全く同様のケースで、真夏に水道を止められ50代の女性が衰弱死したという、ショッキングなニュースがありましたが、悲しいことに東日本でもその教訓が生かされることなく、尊いいのちが奪われたのです。“防げた死”を何故、防ぐことができないのか??あまりにも悔しい・・・。

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 少しでも、孤独を回避するため、気軽に相談ができるようなセーフティネットなど、被災者には多く“つながり”が必要です。震災から7年を迎えようとしていますが、「早く自立しないと」と叫ばれ、7年間の間、我慢し続けている被災者も少なくありません。
阪神・淡路大震災の1995年11月に開催された仮設支援連絡会の寺子屋で、故秦洋一さん(朝日新聞論説委員)は「自立支援のための前提として、自立支援とは、被災者を孤立させないための人権運動である。その過程の中で求められているのは、未知の救援の文化の創造である。」と話していました。

 仮設の統廃合をする行政、その理由を「学校のグラウンドだから、子どもたちに返してほしい」と話す。もともと仮設住宅の建設に関しては、「公有地」「国有地」「企業等の民有地」の順に選定する仕組みになっているのです。7年間で培ってきた、仮設のコミュニティが崩壊し、新たな仮設でまたコミュニティを形成しなければならないのです。被災者の一人が「私の人生ずっと我慢しっぱなし、被災者になっても我慢しなければならないなんて」とぶつけようのない怒りが彼女の心を乱しています。
 
 7年を目前にまだまだ厳しい被災地の現状がそこにありました。被災地の春はまだ遠し・・・。
 
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posted by 被災地NGO恊働センター at 15:17| ニュース・情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする