2011年08月22日

【東日本大震災】レポートNo.123

「日本財団ROADプロジェクト」で活動している、当団体の頼政良太の報告をお届けします。仮設支援の情報レポート、第1弾は、仮設住宅の花壇です。

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頼政の仮設支援情報レポート 第1弾 〜仮設の花壇〜
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岩手県の大船渡市にある後ノ入仮設住宅にお邪魔しました。今回は集会所でまけないぞう作りと花壇の手入れをしました。ここの仮設住宅は2か所に分かれていて、大きな方は64戸、小さな方は14戸の仮設住宅が立ち並んでいます。2つの仮設団地は比較的近く、距離にして約100〜200メートルというところでしょうか。小さな仮設団地には集会所や談話室は設置されておらず、大きな仮設住宅の集会所まで歩いて来ていただいています。少し距離はありますが、声を掛けるとみなさん集会所までわざわざ来てくださいました。

この2つの仮設団地のうち、大きな仮設団地は実は津波の被害にあった土地に建てられています。まわりの家も床上浸水の被害を受けました。今回お邪魔したのがお盆ということもあり、それぞれの部屋に多くの方が集まりなんとなく人の気配が増えているように思います。

この大きな仮設団地の中には、小さいですが芝生に囲まれた花壇のようなスペースがあります。実は、これは兵庫県佐用町の人たちからの支援で作られたそうです。厚み10センチほどの土を盛り、その上に植物を育てるという仕組みで、後ノ入仮設住宅ではきゅうりやピーマンを育てています。

お邪魔した日はとても天気がよく、住民の方と一緒にその花壇の水やりを行いました。自治
会長さんも、暑い中さっそうと自転車にまたがり助っ人に来てくれました。花壇があることで仮設の中の雰囲気はガラッと変わります。自然と花壇の周りには人が集まり、話をし始めたり僕の水やりの仕方が悪いと指摘したり、交流が生まれています。その輪の中に、仮設団地の隣に住むおばちゃんも加わり、一緒に畑仕事に精を出しました。(といっても水やりをしただけですが…)冷たい井戸水を使っての畑仕事は、なんだか心が落ち着きますね。

集会所は自治会長さんがカギを管理していて、誰でもお願いをすれば使える仕組みになっています。集会所の周りにもプランターがたくさん置いてあり、彩も華やかです。お茶っこの会などのイベントも定期的に行われているようです。まだまだ、トイレに物資が積んであったりお風呂に祭りの提灯がまとめてあったりということはありましたが、お母さん方は声をかけると集会所に集まってこられてのんびり涼みながら、でもまけないぞう作りは熱心にしておられました。

「芝生と花壇があるから、涼しくっていいわぁ」
そう言われるたびに、手入れをしている自治会長さんがニコニコっと笑っていたのが印象的でした。
(頼政 良太)
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2011年07月01日

【東日本大震災】レポートNo.110


代表の村井が、宮城県石巻市に兵庫県佐用町産の炭を届けました。

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「被災地から被災地へ」の第三段―佐用町から東日本へ―
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2009年8月水害に遭った兵庫県佐用町で焼いた竹炭約1トン(100紙袋)を、東日本大震災の被害のあった宮城県石巻市住吉にある石巻中央公民館住吉分館に運びました。前日に佐用町で炭を積み込み、29日早朝4時30分に神戸を出発、12時間トラックで走って届けてきたのです。

佐用町からの第一号としての炭は、まだかまだかと待ち受けてくださった自治会長さんと日本財団のスタッフ及び現地にいたボランティアとで、手際よく広さ約30畳の公民館に敷き詰めました。100紙袋の炭はすでに消毒のため散布された石灰の白い粉を覆うように、手際よく5人の手で敷かれました。佐用町上月竹炭生産組合指導のもと当NGOスタッフである社会人1年生と大学4回生とで焼いた炭は、丁度床下一面に過不足なく敷き詰めることができ、作業はわずか30分で完了しました。

床下に敷き詰めた炭.jpg
▲床下に敷き詰めた炭

紙袋の口ヒモをほどき、白い土の上に撒くと、竹炭独特のキンキンという金属音が響き渡り、2009年の佐用町での水害後の同じ作業を思い出しました。こうして耳に残っている音というのは、しばらく聞いていると懐かしく蘇るものです。自治会長さんも「水害後の大変なときに、しかも遠いところから運んでくださってありがとうございます。」と丁寧にお礼を言われ、こちらの方が恐縮するほどでした。

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この住吉文館は旧北上川河口のすぐ際にある「大島神社」の敷地内にあります。床上2bほどの壁に黒い泥がついており、津波が押し寄せて来た状況が想像できます。ここの大島神社の敷地は、皮肉にも災害時の「広域避難所」になっていましたが、当然今回の津波では避難所の機能は果たせませんでした。しかし、神社が被害を軽減させたと言えるかも知れませんが、境内の川の側にある立派な松ノ木や鐘楼台は全く被害がありません。

大島神社と住吉分館.jpg
▲大島神社と石巻中央公民館住吉分館

川淵に「住吉公園」というところがあり、普段、時間帯によってはウナギ釣りの人たちでいっぱいになるそうです。ここのウナギは「青ウナギ」と言って評判だったようです。もう一つ名物になったのは4ヶ月前から住みついた一匹のアヒルです。なんと津波にも耐え、またこの公園に無事戻って来ました。餌をやっている人もいて、みなさんの人気ものになっています。「名前はなんて言うのですか?」と聞いたら、「さぁ、アヒルちゃん!とか、いろいろ呼んで入るみたいだけど・・・。」と笑いながら返してくれました。

石巻の海岸には「日和山」という小高い山があり、その南西に位置していた「南浜」という地域は、日和山から眺めると一望できるのですが壊滅という状況には言葉がありません。こうした情景は、今回の被災地のどこの地域でも共通するものですが、ただ(私も石巻に入るのは初めてだけれども)、ここの場合は、石巻駅や石巻市役所のある市の中心部にまで甚大な被害が及んでいることが、より深刻さを増しているようです。あれから3ヶ月半が過ぎたにもかかわらず、復旧すら充分にできていない現実に言葉がないほど、悲惨な被害となったことが理解できます。旧北上川の決壊した護岸に応急措置として土嚢が積まれている光景は、「高潮対策とはいえ、これでどれほど役に立つのだろうか?」と正直な気持ちになりました。

子どものいた家跡.jpg
▲子どものいた家跡

早い段階のNHKの調査で、避難所で人が亡くなったということを聞きましたが、ここ石巻でも避難所で亡くなった方がいたようです。石巻市役所の災害時の資材倉庫は地下にあり、今回まったく役に立たなかったと怒りをぶつけていました。全く津波を想定してなかったのか?話を聞かせてくださった60前のこの男性は、昭和三陸地震も経験していないので、まさかこんなことになろうとは想像していなかったとおっしゃっていました。こうして先人が遺したメッセージは届かなくなるんだなぁと痛感した複雑な1日となりました。翌30日早朝、「南浜」を歩き、津波の爪跡をできるだけ身体で感じながら、石巻を後にしました。
(村井雅清 6月29日、30日)
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2011年06月28日

【東日本大震災】レポートNo.109

東日本に「炭」を送ります!

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被災地から被災地へ〜東日本へ炭を送ろう!〜
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 2009年に起きた兵庫県佐用町水害のあと、私どもは「被災地に炭を!」を合い言葉に全国のみなさまに「炭」のご提供を呼びかけました。炭は脱臭・調湿に効果があるといわれています。当時、全国から実に全国60カ所から総計15トンをご提供いただき、浸水した家の床下に入れていただいたところ、たいへん喜ばれました。

 今度は、佐用町から東日本へ。被災地から被災地へ、のリレーの次のバトンは炭です。まずは、明日6月29日、当団体代表の村井が宮城県石巻市の石巻市中央公民館住吉分館へ、佐用町でつくられた竹炭をトラックで運びます。

 今回運ぶ竹炭は約1トン。佐用町出身で今年4月から当団体のスタッフになった新卒の福岡洸介と、アルバイトスタッフの兵庫県立大学4年生の境智子が、6月5日から佐用町竹炭組合の皆さまのご指導と宿舎「笹ヶ丘荘」の皆さまをはじめとする町民の方々のご協力のもと、暑い中竹を切り出し、割って窯に火入れし、心を込めて
焼いたものです。

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 当団体では2009年の水害後、阪神間や岡山の大学からボランティアに入っていた大学生を中心に、地元佐用町の上月竹炭生産組合のご指導を仰ぎながら竹炭をつくりはじめました。そもそも水害発生は山林が充分に整備されていないことも原因の一つであることに気づき、昔から山林整備の中で"炭焼き"という作業が大きく寄与していることがわかり、炭焼きそのものに関心を持ち始めたということが背景にあります。今年2月11日には、「佐用町復興支援炭焼き祭り」を開催し町内外から1000人を超える集客となり大変盛り上がりました。

 ところがその後東日本大震災が発生し、私たちも一時佐用町での活動を休止し、東日本大震災支援に全力投球をしてまいりました。佐用町からも職員が直ちに支援に駆けつけました。震災発生から3ヶ月を機に、「そろそろ佐用町での炭焼き活動を再スタートさせよう!」と動き始めた矢先、佐用町から「今度はこの炭を東日本のお役に立てないだろうか?」という提案がありました。早速、佐用町の上月竹炭生産組合や関係者に相談したところ、二つ返事で「それはいいことだ!困った時はお互い様や、私たちも応援しよう!」と早速その日から同組合の方々は焼き始めました。一方地元の社会人一年生や大学生も参加し、同組合の指導を仰ぎながら炭焼きに再チャレンジしています。佐用町民の方々にもこのプロジェクトへの協力を呼びかけているところです。

困った時はお互い様を合い言葉に、被災地から被災地への思いをつないでいきます。今後の展開も追ってご紹介してまいります。

●この取組みは、震災がつなぐ全国ネットワークの協力により、日本財団のご支援のもと行っております。
日本財団リンク→ http://www.nippon-foundation.or.jp/org/press/11062801y.html
posted by 被災地NGO恊働センター at 22:25| 被災地からのレポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月19日

【東日本大震災】レポートNo.105

代表の村井が18日、出張の折に岩手に立ち寄りました。大槌町のまごころ広場では百か日法要が執り行われ、そのもようをレポートします。

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6月18日(土)レポート あれから100 日
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まごころ広場で、ボランティアに来ていた高野山真言宗僧侶の導師のもと、百か日法要が執り行われました。まごころ広場のリーダーであり、自らも奇跡的に助かった臼澤さんはじめ広場におられた被災者10人ほどとボランティア20名ほどが参加し、亡くなられた方々の御冥福をお祈りしました。

水俣病と向き合い『苦海浄土』をかかれた石牟礼道子さんは「亡くなった人たちの魂が伝えようとしている遺言に向き合わなければ、日本は滅びると思います。」(6月18日朝日新聞、「ニッポン人・脈・記、水俣は問いかける」より)と警告を発しています。

法要の間ずっと涙していた被災者が私の前におられました。大切な方を亡くされたのでしょうか・・・。区切りのつかない現実に必死に区切りをつけようとしているのでしょうか。やはり祈り続けるしかないのでしょうか。きっとこの百日間、胸を締め付けられるような思いで一日一日を過ごされたのでしょう。

私たちボランティアは、この大震災に襟を正して向き合い続けなければならないでしょう。丁寧に向き合う作業から、「もうひとつの社会を創る力」を養わねばならない。原発に頼らないもうひとつの社会、自然との共存を身近な暮らしに取り入れたもうひとつの社会、災害を力でねじ伏せるのではなく、やりすごす力をつけるもうひとつの社会を創るために・・・。  (村井雅清)
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九州では大雨が続いていますが、宮崎県都城市は18日、霧島連山・新燃岳周辺で同日夜から19日朝にかけて激しい雨が降る恐れがあるとして、土石流発生に備え1148世帯2523人に避難勧告を出しました。土石流に備えた同市の避難勧告は、16日に続いて4回目となります。
野菜サポーターでお世話になっている高原町も16日午前9時35分、100世帯・事業所の248人に避難準備情報を出しました。避難勧告には至っていませんが、「これくらいの雨なら大丈夫」という高齢者もいて、気にかかります。
posted by 被災地NGO恊働センター at 10:35| 被災地からのレポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月03日

【東日本大震災】レポートNo.93

「日本財団ROADプロジェクト」で活動している、
当団体の頼政良太の報告をお届けします。
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頼政のROADプロジェクト報告
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日本財団ROADプロジェクトでは、3月末から足湯ボランティアを送り出してきました。
最近では、youth for 311という学生団体と連携して気仙沼に足湯隊を送り出しています。
木曜日の夜発〜月曜日早朝着というスケジュールで金曜日さえ都合がつけば
平日は授業の学生も参加できるプログラムです!

東京発の足湯隊の「つぶやき」カードも2500枚を超えました!
やはり3月末の「つぶやき」とはかなり色合いが違ってきています。
東京発足湯隊の活動報告やつぶやきはブログでも紹介しています。
URL:http://road-nf.typepad.jp/michi/

数多い「つぶやき」の中でも、やはり福島のものは他とは全く違います。

・原発さえなければって強く思う。
 なんでも畑で作っていたのよ。もう土地はダメね。何年かかるかわからない。(4月29日50代女性)
・家を片づければ住めるようになるけど帰れないことには始まらない(5月29日70代女性)
・放射能が大変でね。もう家には戻れないね。生きてるうちに帰れるかね。(5月29日 男性)

また、仮設住宅への「つぶやき」も多くなってきました。

・仮設住宅は2年住めるみたい。2年すぎても大丈夫って話だけどね。ただ、あたるかどうか…。(4月25日70代女性)
・仮設住宅もね…色々やってるんだろうけど、わからないから…新聞もここの地域のことは載らないし(4月24日60代女性)
・わしらは(仮設住宅に)ハズレもんだっぺ。
 見てよ。あのばあさん(80代くらいでも仮設に入れていない)なんかねえ(5月24日50代女性)
・ここの避難所もだいぶ人が少なくなってみんな仮設に移っていってるの。
 仮設は抽選だから外れちゃってね。抽選は自分が引くんじゃなくて行政が抽選するの。(5月23日70代女性)

今後、ROADプロジェクトでも仮設住宅への支援をしっかりとやっていくつもりです。
一方で、避難所に残っている方への支援も忘れてはいけません。
きめ細かな支援で、「最後の一人まで」を目指しながら一人ひとりに向き合っていきたいと思います。

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○ROADプロジェクトとは?
日本財団では「民による民のための災害緊急支援基金」を立ち上げ、そこに集められた募金をもとに、ROADプロジェクトを実施しています。ROADプロジェクトは、日本財団と震災がつなぐ全国ネットワーク、東海地震等に備えた災害ボランティアネットワーク委員会が協力して行っています。
ROADプロジェクトの一つに被災地への災害ボランティアの派遣があり、東京発の足湯ボランティアを現地へ送り込んでいます。
その他にもさまざまな活動をしています。
詳しくはHPを参照してください。
http://road.nippon-foundation.or.jp/

※「今出来ること」という一人ひとりの小さな道が一緒になって大きな道へ どんな困難も乗り越える力
  〜 Resilience will Overcome Any Disaster 〜
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ROADプロジェクト東京事務局
(日本財団/震災がつなぐ全国ネットワーク
 /東海地震等に備えた災害ボランティアネットワーク委員会)
             頼政 良太(被災地NGO恊働センター)
TEL:0120-65-6519(コールセンター) FAX:03-6229-5177 
携帯:090-5105-1406 E-mail:the_fool_chappy@yahoo.co.jp
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posted by 被災地NGO恊働センター at 10:17| 被災地からのレポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする