2011年05月05日

【東日本大震災】レポートNo.79

被災地NGO恊働センターです。
地震に先遣隊として被災地に入った武久真大のレポートです。
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武久のレポート〜米沢より〜
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『あるひとりのおんなのこ。1』


南相馬市原町区から避難してきているMちゃん。18歳。
高校卒業後は就職が決まっていたが、就職先は津波に流され、先行きが見えない。
避難所ではとても明るい様子で、米沢の足湯のメンバーとも仲良し。
小柄な身体から、大きな声で元気に、ときにおおげさに笑って、場を盛り上げてくれる。

そんなMちゃんも、ときおり地震の話になると、ときおり、ふっと表情がかげる。
友達のこと、家から海岸線が見えるようになったこと、家の近くに漂着していた船のこと…。

足湯に来ていた小さな子が、明るく津波で壊れた家の話をしているのを聞いて、
なんでそんな風に言えるのと、つらそうにこぼす。
明るく振舞っていても、彼女のこころの中を、確実に災害は蝕んでいる。

そして彼女にも現実は容赦なく襲い掛かる。
家庭の事情もあって、自分が働かないと、と強く思っている彼女。
自分が働かなきゃ、と米沢のハローワークに行って仕事を探し、
面接を受けに行ったりと、動き出している。

けど、明るく強く振舞うMちゃんも、
関東に避難している彼氏の話をするときは女の子の顔になる。

こんなに離れ離れになることなかった。早く会いたい。早く家に帰りたい。

彼氏との思い出話は、嬉しそうに。
彼氏への思いの話は、淋しそうに。

お金貯めて会いに行くから、という電話口で聞いたという年下の彼氏の言葉に、
まぁ来れるかどうかは分からないね、と
少し冷めた口調で半ばあきらめ気味につぶやくMちゃんの顔が哀しかった。

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posted by 被災地NGO恊働センター at 15:58| 被災地からのレポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【東日本大震災】レポートNo.78

被災地NGO恊働センターです。
地震直後から先遣隊として被災地に入った吉椿雅道のレポートです。
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吉椿のレポート〜米沢より〜
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3月18日に米沢の市営体育館で足湯を開始して以来、沢山の方が足湯に来てくれている。
南相馬から避難してきたAさん(30代女性)は足湯の初日に来られた。ご自身もアロマを趣味でやっておられたらしく、足湯にも非常に興味を持っていて、始まる前から靴下を脱ぐくらい楽しみに待っていた。だが、初日でテレビや新聞の取材が殺到し、Aさんは、嫌がって近寄ろうとしなかった。その後、取材が減ってから足湯をされたが、それ以降、Aさんは足湯に来る事はなかった。

娘のSちゃん(14歳)は、毎日のように足湯を手伝ってくれているが、Aさんには、近くを通る度に声をかける程度で、いつも気になっていた。
そんなある日、体育館でAさんとすれ違った時、僕の顔を見ると「あっ!」と言い、「どうしたんですか?」と聞くと、「実はね。アロマのオイルがいくつか手に入ったの。」と言う。それから「数は少ないんだけど、これを体育館の皆に塗ってもらおうと思って。。」と話し出した。「よかったですね。」と答えると満面の笑顔を見せてくれた。

避難所にいる人々は、皆さん「何かしたい」、「いつか自分も恩を返したい」と心の中で思っている。被災者の人々は、先の見えぬ避難生活の中で自分の役割を見出す事で一歩前に踏み出そうとしている。

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posted by 被災地NGO恊働センター at 11:22| 被災地からのレポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月03日

【東日本大震災】レポートNo.76

被災地NGO恊働センターです。
地震に先遣隊として被災地に入った武久真大のレポートです。
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武久のレポート〜米沢より〜
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『神戸とも、違うんだ。』


南相馬から避難してきている30代のKさん。
奥さんと小さな子ども2人の4人で、ここ米沢に避難してきている。

よく足湯に子ども連れで来てくれて、
足湯以外のところで会ったときもついつい長話をしてしまうおとうさんだ。

子どものことを考え、避難当初から、
内陸だから家は残ったけど、もう福島には戻らねぇ。と言っていたし、
原発の動向も事細かくチェックしているようだった。

ある日、KさんとKさんの生活スペースでお話していたとき、ぽろっと、
この避難所に、いつまでいられるんだろうなぁ、とつぶやいた。

私が神戸から来た、ということは認識してもらっていたので、安心してもらおうと、

神戸の避難生活も長期化しましたし、
そんなにすぐに出ていかないといけないことにはならないと思いますよ。
と伝えると、Kさんの様子が変わった。

それは神戸の場合でしょ?神戸のときと、違うんだ。
神戸はたくさん家をなくしたひとがいたから、そうだっただけで、
確かにこの避難所にも、家をなくしたひとはいるけど、
そういうひとたちと俺らは違って、家があるんだもん。
いつ帰れ、って言われるか分からない。

そう言われ、私にはそれに答えられるだけの言葉を持ち合わせてはいなかった。
そこからあふれ出した、原発への不安・不満、これからの生活の不安の言葉の数々を、
ただただ、受け止めることしかできなかった。

福島の数多くの自治体から避難してきている、米沢市の避難所。
米沢に限らず、福島から避難しているひとが集まる避難所では、

ひと世帯、ひとりごとに、抱える状況は大きく異なる。
津波被害にあったひと、津波の被害はなく家が残っているひと。
原発から半径20キロ圏内のひと、そうでないひと……。

よりそい方も、またひとつひとつ、たくさんのあり方が必要なんじゃないだろうか。
分かりきったことであろうに、全然分かりきっていなかったことだった、と

当たり前のことが、当たり前のこととしすぎて、
当たり前になっていなかったこと、恥ずかしく思う。

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posted by 被災地NGO恊働センター at 13:49| 被災地からのレポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月02日

【東日本大震災】レポートNo.74

被災地NGO恊働センターです。
地震直後から先遣隊として被災地に入った吉椿雅道のレポートです。
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吉椿のレポート〜米沢より〜
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多くの野菜サポーターのご協力により、被災地の各地で炊き出しが行われている。
米沢の避難所でも、宮崎の新燃岳噴火の灰を被った大根が米沢のお母さん達によって美味しい大根煮になってふるまわれた事は、以前レポートに書いた。夕食の際に新燃岳の被災状況のお話をさせていただいた時、遠くから「ありがとう!」という女性の声が返って来た。

 その女性(70代)が足湯にやって来てくれた時に米沢足湯隊Aさんが聴いた話。
その女性は、暖かく避難者を迎え入れてくれる「米沢さん」に対して「何とお礼を言ったらいいか分からない」という。そんな中でその女性は、「米沢や宮崎の人には何もしてあげられないけど、手だけは使えるので。。」と言い、お礼の拍手をするように心がけているそうだ。そして、ご馳走様の時に家族で大きな声で「ありがとう」と言うようにしていると目に涙をいっぱいに溜めて語ってくれたそうだ。

「有難い」という本来の言葉の意味を噛みしめながらその女性の家族は今日も避難所で食事をされているのだろう。その拍手は、祈りの柏手(かしわで)なのかもしれない。

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posted by 被災地NGO恊働センター at 09:59| 被災地からのレポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月01日

【東日本大震災】レポートNo.73

被災地NGO恊働センターです。
地震直後から先遣隊として被災地に入った吉椿雅道のレポートです。
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吉椿のレポート〜米沢より〜
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米沢市営体育館や隣接の武道館、文化センターに避難する人々の中で「米沢さん」という表現を使う人がいる。見ず知らずの自分たちを暖かく迎え入れてくれて、ありがとうという気持ちからいつの間にかそう呼ぶようになっている。

「米沢さん」と呼ぶCさん(70代男性)は、南相馬から避難してきたが、「自分達が被災者を受け入れる事になったらここまで出来ないと思う。」という。だが、「いつもしてもらってばかりで悪いから、自分で出来る事をしようと思って」と言いながら、足湯の準備を手伝ってくれる。
「これくらいしか出来ないから。。。」と足湯隊の帰った後にひとりで足湯のスペースに敷いた段ボールがずれないようにテープで固定してくれていた。そんな風に被災者自身が誰かの為にボランティアを始める。Cさんのこの「出来る事をしたい。」という想いを足湯隊のAさんは強く感じたという。

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posted by 被災地NGO恊働センター at 15:02| 被災地からのレポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする