2011年05月01日

【東日本大震災】レポートNo.72

4月30日、スタッフ・ボランティア4名が山形県米沢市に入りました。
ボランティアTさんが送ってくださった報告をもとに、活動の様子をお伝えします。
4名は本日夜、遠野に向けて移動します。
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米沢での活動の様子
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●出発
4月29日夜9時、被災地NGO恊働センター代表の村井とボランティア3名が神戸の事務所を出発、翌30日の朝、山形県米沢市に入りました。「グループホーム結いのき」にて、生活クラブやまがた生協内で被災者の支援活動をしている神戸大学学生震災救援隊の鈴木孝典さんと合流しました。これまでのレポートでお伝えしておりますように、米沢には福島県の被災者の方、原発事故から避難してこられています。

●ボランティア会議
30日13:00、鈴木さんの司会でボランティア会議が行われました。出席者は約20人で、恊働センターの4名のほか、金沢大学、山形大学、長岡技術大学、新潟災害ボランティアネットワークなどのボランティアがおられました。

次のような内容が共有されました。
<避難所の現状>
避難所の数および、避難所におられる避難者の数が減少しています。
現在は旅館などに移っておられる方がほとんどですが、これによってもともとのコミュニティが崩壊する危険性があります。
それを防ぐため、皆が集えるカフェなどの居場所作りの試みも出てきています。
また、旅館から旅館へ避難している方々などは、医療へのアクセスも難しくなります。

課題1:どのようにすれば、福島からの避難者(自分の将来にも不安がある方々)や米沢の方々と、一緒に活動できるか。
  →解決案:新聞や情報伝達を兼ねて訪ねるなど工夫する。名簿や電話帳の作成。

課題2:これから外部から入ってこられる大学生などボランティアに何を伝えるか。

<その他>
避難されている方が何を欲しているかについて、話相手や、外出を一緒にしてくれる人の存在が挙げられました。

●個別訪問
15:15、生活クラブやまがた生協の理事3人、米沢の女性ボランティアとともに、村井とボランティア2名は、戸別訪問を行いました。ボランティア1名は5月1日のお花見の準備をしました。

2チームに分かれ、1棟40軒の雇用促進住宅の2棟分を戸別訪問しました。空き家が多かったです。花見のチラシ、ニューヨークのハーレムから届いたお菓子、新聞などを持参しました。

入居された方のなかには、「自宅が原発から半径20km以内なので帰れない」という方もいらっしゃいます。
入居にあたっても、津波で家財道具を一切失い、家電などすべて購入しなおした方もいらっしゃいました。
そして、「被災証明手続に役所に行ったけれども、いま住んでいる場所などを
聞かれなかったので、今後の情報伝達が心配」といった不安の声もありました。

また、なかには「周囲と仲良くなってきて、情報も得られるようになってきた」とか、「米沢の友人に、避難所や子どもの学校の情報などを教えてもらって助かった」といった声もあり、やはり顔の見える関係の大切さ、そこから得られる情報の大切さがうかがえます。

posted by 被災地NGO恊働センター at 14:21| 被災地からのレポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月26日

【東日本大震災】レポートNo.69

岩手県遠野市で活動を行った岡本千明のレポートです。
以前にも紹介した、被災地での仕事づくりの一例を取り上げています。
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岡本のレポート
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<ボランティアを支えるボランティア〜釜石の料理人〜>

岩手県遠野災害ボランティア支援センター、愛称「遠野まごころ寮」が4月8日に開所してから約半月。既に、延べ150名以上のボランティアがこの寮を利用し、遠野まごころネットを通して沿岸部の被災地支援にあたっています。この寮は、全国からボランティアが集い、長い目で東北の復興活動を支えていくためのシンボルです。遠野でのボランティア活動をお考えの方は、ぜひお問い合わせ下さい(tohno.volunteer.from.kobe@gmail.com)。

さて、寮の様子です。ボランティアさんの朝は早いです。事務所併設の食堂が6時に開くと同時に、洗面を終えたボランティアさんが「おはようございます!」と明るく入ってこられます。寮の応援で滞在していた低血圧の私は、目が半分も開かぬままにやっと挨拶を返しました。

さて、この寮にはもっと朝の早い方がいます。夜も明けやらぬ4時頃になると、管理人室の横にある厨房から、トントントントン・・・・・・と包丁の音が聞こえてきます。料理人のKさん、Mさんボランティアさんのために朝食をつくってくれているのです。

レポートNo.63でも少し触れましたが、Kさんたちは、釜石で被災された料理人です。津波によって、家も店も流されてしまったといいます。青年会議所のメンバーであるMさんがこの寮の話を聞き、寮の利用者に食事を出す「ボランティアカフェ」を提案してくれました。ボランティアを支えるボランティアです。18日からはじまったこの食堂は、言うまでもなく大好評!!!ある日の夕食は、豚肉のしょうが焼きにほうれん草のおひたしが添えられ、味噌汁、野菜と里芋の煮物。お味はもちろん、激ウマです!長期でおられるボランティアさんからは、「寮が格段に進化した」との一言が。ある方は「こんな美味しいものが食べられるなんて思いも寄らなかった。毎食カップラーメンを覚悟していたのに」とも。彩りゆたかで美味しい朝食と夕食の提供により、栄養面はもちろんですが、精神的な面でもボランティアを応援してくれます。

Kさんたちは避難生活を送りながらこの活動を行っています。被災の話をKさんから直接聞いたことはありませんが、大切な店が流されてしまった悲しみは計り知れないものでしょう。ボランティアカフェ開始までの経緯を見守ってきたスタッフSは「カフェが始まってから、Kさんたちの表情がいきいきしてきた」と言います。被災されたKさんたちが特技を活かしてボランティアを支援し、ボランティアが元気になる。このボランティアの喜びが、Kさんたちの励みにもなる。そんな持ちつ持たれつの元気のサイクルが、被災地の復興にとってとても大切なものではないでしょうか。

そして、レポートNo.63でも提案したように、これは、「仕事づくり」にもつながります。いまは寮の利用者の特権(?)であるこのお食事も、近いうちに外部の方にも食べていただけるよう、申請等の準備が進んでいます。お楽しみに!このように被災地のニーズと資源をマッチングした仕事づくりは「キャッシュフォーワーク」として海外でもよく行われていますが、生活の再建、そして生きがいの再建につながる重要な取り組みです。

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posted by 被災地NGO恊働センター at 17:49| 被災地からのレポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月25日

【東日本大震災】レポートNo.67

被災地NGO恊働センターです。
先遣隊として被災地に入った吉椿雅道のレポートをお届けします。
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吉椿のレポート〜米沢より〜
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米沢足湯隊、最年少のYくん(17歳)の聴きとったつぶやき。
南相馬から息子さん夫婦と一緒に避難して来たBさんは、若い頃、漁師をしていて、ヒラメやカレイ、アイナメを捕っていたそうだ。

海で死にかけた事があるBさんは、「この津波でも死ななくてよかった。」とつぶやいた。
二度命拾いをしたBさんだが、今は胃癌を患って、病院に通っている。奥さんも津波に流された時に流木で胸を打撲した為に一緒に病院に通っている。二人は津波の為、当然、保険証をもっておらず、治療費を全額請求されたという。その後、半額返金してもらったそうだが、持病や怪我を負った人々は避難先での治療ひとつにも面倒を伴う。

足湯に毎日来てくれるBさんは、如何にも漁師らしいゴツゴツした手を揉まれながら、「刺身が食いたいなあ。」とこぼしたそうだ。Bさんが故郷の魚を食べられる日はいつ来るのだろう。Bさんにとって故郷の魚を当たり前に食べる事が復興の第一歩なのだろう。

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posted by 被災地NGO恊働センター at 10:36| 被災地からのレポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月23日

【東日本大震災】レポートNo.66

被災地NGO恊働センターです。
先遣隊として被災地に入った吉椿雅道のレポートをお届けします。

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吉椿のレポート〜米沢より〜
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米沢市営体育館の避難所は4月に入って人が急に減った。
その理由は、子どもを連れて避難してきた人々は、新学期に合わせるように米沢市の用意した雇用促進住宅に入って、生活を少しでも整えようとしている事や4月から仕事が再開する事になって福島県の地元に戻った事などである。
そんな状況でも子どものいない高齢者の方々は、今も避難所で暮らしている。
若い米沢足湯隊のHさんの聴きとった「つぶやき」を紹介する。
相馬市から避難してきた70代の男性Aさんは、持病の心臓病の治療の為に米沢の病院に通っている。そんなAさんは、足湯をしながら津波から逃げた時の話をしてくれる。
「高台に上がったけど、波が体にかかってすごく恐かった。」と必死で逃げた様子を話してくれた。そして「兄が、家に忘れ物を取りに帰った時に波に巻き込まれて亡くなったんだ。」と目に涙を浮かべて語ってくれた。その時、触れていた手に力が入っていくのをHさんは感じたという。足湯で触れる手と手、そこから様々な思いが伝わってくる。
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posted by 被災地NGO恊働センター at 17:27| 被災地からのレポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月22日

【東日本大震災】レポートNo.65

被災地NGO恊働センターです。
地震に先遣隊として被災地に入った武久真大のレポートです。
レポートNo.60の続編となっております。
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武久のレポート〜米沢より〜
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そうした避難所の中でできた、コーヒーで生まれたお話の場。
そのお話の続き。

登場人物は、
南相馬市 小高区で農家をしているおにいさんと、
同じく南相馬市の原町区に住むそのいとこ。
そして、わたし。

『ラスクとデッキシューズ 2』

避難所にいてもすることないからなぁ。

いとこさんがお話を始める。

特にすることないから、
ボランティアのひとが物を運んでるのを手伝ったりしてるんだ。

それでさ、と足元を指さす。
そこには新しい感じのデッキシューズ。

これ、すぐそこのムサシ(米沢のホームセンター)で買ってきたんだけど、
やっぱりデッキシューズだと全然違う。
ずっとスリッパだったから脱げそうになりながらだったからなぁ。

ちょっと嬉しそうに、そんなお話を聞かせてくれる。

避難所の中で、することもなく、
ただ誰かに何かをしてもらい続けるのは、やっぱりしんどいみたい。

コーヒーのお片づけの最中、おにいさんが戻ってきた。

これ、みんなで食べて。コーヒーも淹れてもらったし。
手には値札の貼ったままの、ラスク。

値札の貼ったままの、そのちょっとまっすぐな気持ちに、
こころの中で少し、ふふっと笑って、
一旦遠慮しながらも、大きなありがとう、を。

ひとはきっと、何かをされるだけじゃなくて、
何かをしたいって気持ちがあるってこと。

何かをするボランティアのひとりとして、肝に銘じていきたい、そう思った。

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posted by 被災地NGO恊働センター at 16:15| 被災地からのレポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする