2011年04月14日

【東日本大震災】レポートNo.53

地震に先遣隊として被災地に入った鈴木孝典のレポートです。
職が見つからず、生活再建の目処が立たないという声が上がっています。
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鈴木のレポート〜米沢より〜
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米沢の避難所で足湯をしている中でのひとコマ。足湯の常連のIさんにいつものように足湯
をしていました。
ひときわ大きな手をしていたことから、職業をたずねてみたところ、南相馬市でお菓子職人を
されているとのこと。聞けば、なんと創業120年の古いお菓子屋さんを家族ぐるみで続けてお
られるそう。
現在卸先が営業を停止しているため商売ができなくなっている状態で、この日はちょうど就
職先を求めてお菓子屋さんを何件かあたった帰りでした。「こっちでもその道で働きたいと
思ったけど、米沢はねぇな。見つからなかった。」とのことで、職探しも難航している様子。
にこにこ笑いかけながら話してくれましたが、最後は「パチンコ屋でも働こうかなぁ。」とつぶやいていました。

米沢の避難所が開設されてから、はや1か月がたとうとしています。さまざまな人が米沢の避
難所に身を寄せてこられたが、今続々と避難所を出て新たな生活をはじめようとされていま
す。
3月にはよく足湯にも顔を出してくださっていたMさんに久しぶりに出会いました。
Mさんに「お久しぶりです。最近どうしてたんですか?」と声をかけると「引っ越しの準備が忙
しくて」との答え。
避難所を出られる方はだいたい自宅に戻られるかアパートを借りる場合が多いのですが、M
さんの場合「いや、犬がいるからね。古い借家を借りたの。」「全然使っていない家だから雪
がつもって家に入れないくらいで。」
心配だったので「ひとりで掃除されてるんですか?」と尋ねると「いや、近所の人がすごいよく
してくれて、6人くらいで雪をどけてくれて。1日かかるかなぁって思ったのが2時間で済んで。
ほんとうに助かります。」とおっしゃっていました。

Mさんは米沢まで娘さんと愛犬2頭と避難してこられたそうだ。米沢までの道中でガス欠寸前
になり、犬を抱き締めて凍死を免れたこともあったという。
やはり生活をともにする愛犬は家族のようなもの。避難所でも日中は散歩、夜は動物病院に
預けに通っていました。
久しぶりにお会いしたMさんの顔は疲れきっていました。
今後、どんどん避難所から居宅に移られる方が増えてきましたが、避難所を離れ新たな生活
を踏み出す方々への支援が途切れないようにする方法を、みんなで智恵を出し合っていか
ねばなりません。

避難所を離れる人が続々と出てくる中で、避難所に残る選択をする方もおられます。奥さんと
南相馬市小高地区から避難してきたGさんもここに残る選択をしているひとりです。

Gさんは仕事を勤めあげ定年退職した後、海岸から100メートルのところの家を購入したそう
です。被災して津波で家が流された上、避難指示範囲に入っていたため小野川温泉での
宿泊生活の後、米沢に来られました。「定年退職後のために買った家がいっぺんで流され
て」「釣り船も買ってたんだけどね。」とGさん。漁師の息子として生まれたため、昔から釣りが大好きだったそうです。

お茶をいただきながら、お話を聞いていると「みんな動いてるけど、よくなる見込みが無いん
だから、ここでのこってるよ」「ここに残っているのは小野川温泉で知り合った人たち。みんな高齢者ばっかりだから動けないしね。これからもいっしょに移動できればいいんだけど。」と続けるGさん。自分の生活の見通しがたたない中で、避難先の旅館で知り合った家族の心配を
され支えあいながら生活されていました。

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posted by 被災地NGO恊働センター at 18:23| 被災地からのレポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【東日本大震災】レポートNo.52

地震直後から先遣隊として被災地に入った吉椿雅道のレポートです。
住み慣れた土地を簡単に離れることはできないものです。
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吉椿のレポート〜米沢より〜
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Eさん(60代女性)は、いつも「足湯のおかげでよく眠れるわ。」と言ってくれる。娘さんとお
孫さんのYくんの3人で福島市から避難してきた。「東京の親戚ももう亡くなっているから、行
くところないの。」と言い、東京で生まれ、戦時中の疎開で福島にやって来たその生い立ち
を少し語ってくれた。

僕らの仲間が、神戸でも県外避難者の受け入れを行っている旨をお伝えしたが、「神戸は
遠いねえ。」と言ったそうだ。その後、僕が再度、「神戸は遠いよね?」と訊ねると「そうね。でも、どこでもいいわ。どうぜ家族3人天涯孤独だから。。。」とつぶやいた。その「どこでもいいわ」という力ない言葉にどこか諦めのようなものを感じた。毎日、声かけをしているが、Eさんの気持ちが揺れている事がその言葉から伝わってくる。

この500人の避難所の中にEさんのように身寄りもなく、これからどうしようか、どこに行こうかと密かに思い悩んでいる人々がいる。
その後、Eさんは、米沢市の雇用促進住宅に申し込んだという。しばらくここ米沢で今後の
事を考えようとしている。
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posted by 被災地NGO恊働センター at 09:48| 被災地からのレポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月13日

【東日本大震災】レポートNo.51

「まけないぞう」作りと足湯を行っている増島智子さんのレポートです。
カッパ捕獲許可証とは…
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増島智子さんのレポート
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現地では現在、NPO法人Co.to.hanaメンバーが神戸のスタッフとともに活動してくれています。その活動はシンサイミライノハナという黄色い花にメッセージを書いて被災地に届けるというものです。今回私たちが支援活動を行っている山形県の米沢や大槌町でメッセージを書いた花が咲き乱れました。
大槌町での避難所では、子どもや地域の大学生、お母さんと一緒に花を咲かせ「子どもたちが元気になると、みんなが集まるようになり、花を通してコミュニケーションが生まれ、避難所が明るくなったと実感しました」という感想を届けてくれました。被災者の方の心にもすてきな花が咲いたことでしょう。。。


4月6日〜7日のレポート

 今日は神戸からのスタッフ岡本千明が合流しました。神戸から一緒に来たのは芦屋市在住の方で、被災地で必要な物資を満載して2日間かけて車を走らせてくれました。
彼は、なんと遠野市の観光協会が発行しているカッパ捕獲許可書をもっていたのです。遠野市の土淵町の常堅寺裏を流れる小川の淵にはカッパが多く住んでいて、人々を驚かし、いたずらをしたといわれています。神戸に遠野市のカッパの許可書を持っている人が、今回の地震でつながり、被災地に物資を届けてくれたのです。とても遠野に深い縁を感じます。

 金沢エリアにある避難所の「かみよ稲穂館」に伺いました。ここは体育館のような施設で、130名くらいの方が避難しています。足湯隊は、2回目の訪問でした。足湯隊のみなさんも慣れた手つきで、準備を進めていました。被災者の方も前回してもらってとても気持ちよかったとおっしゃってくれました。
 
足湯のつぶやきを紹介します。
「私ね、花大好きだったの!チューリップたくさん植えてね。芽が出てきてたの。でも流された。東京の娘が送ってくれた本見てた。いっぱいいろんな花を植えてあった。いろんな花あったんだよ」

「戦争のときも何もなかったけぇ〜。今回もそんな時と同じように何もないようになった。遠野の桜はキレイじゃけ〜ちゃんと見ときなさい」

 何もかも流された被災地で自然の力強さを感じ、春気配がそこまで来ています。被災地は灰色と化していますが、若葉や春の花々たち被災者のこころを染め上げてくれたらと願うばかりです。

また、ここでは、まけないぞうづくりさせてもらいました。
最初は、2〜3人でしたが、まわりにいた人や子どもたちが途中から参加してくれました。
みなさん、夢中でつくってくれました。ある女性は最初はテレビのカメラが同行していたので、ぞうさんづくりに入れなかったけど、我慢できずに参加してくれました。「被災前には、仕事から帰ってきたら、ミシンをさわっていたので、震災から全然できなくて、今日はこんなぞうさんを久しぶりに作れてよかった。」「津波のことを少しでも忘れられた」「はげみになる」「やっぱりかわいいね」などなど、笑顔がこぼれました。

ぞうさんをつくってくれた被災者のかたは帰りには玄関まで送ってくれて、またぞうさんづくりをしたいと話してくれました。避難所では、なかなかやることもなく、退屈な時間を過ごしています。そんな中まけないぞうづくりが生き甲斐につながるようなきっかけになれば幸いです。
 
作っている途中には、近所に住んでいて行方がわからなくなった人と再会できた人がいました。お二人とも涙を流しながらお互いの無事を喜んでいました。こんな再会がまたどこかであることを信じて・・・


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posted by 被災地NGO恊働センター at 16:20| 被災地からのレポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【東日本大震災】レポートNo.50

「まけないぞう」作りと足湯を行っている増島智子さんのレポートです。
元気な子どもたちの姿が一番の癒しではないでしょうか。
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増島智子さんのレポート
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4月4〜5日

 今日は真言宗高野山派の方たちが、子どもたちにお菓子や玩具、その他生活用品を被災
地に届けてくださいました。また、ディズニー映画の上映会をしてくれました。

 金沢エリアと小槌エリアに伺いました。金沢地区生活改善センター、金沢支所、金沢小学
校、山岸地区改善センター、小槌地区多目的集会所、蕨打直集会所、臼澤鹿子踊保存会
館伝承館を回りました。すべてが流され、子どもには、ノートや玩具などはとても好評でした。
物資の中にはバナナもありましたが、バナナは配給のなかに大量にあるので、もういいですと
いうところが多かったです。

炊き出しもこの4日間豚汁が続いています。という声も聴かれました。もちろん贅沢なことは言
えませんが、支援の中には偏りがあり、現時点では野菜や、牛乳、お肉やお魚など生鮮食品
が不足しています。育ち盛りの子どもたちのいる家族で1本のウインナーを分け合ったという話
しも聴きました。神戸の震災でもそうでしたが、大きな避難所にはたくさんの支援が届きます
が、小さな避難所、在宅に避難している人にはなかなか十分な支援が届いていません。在宅
の被災者の方たちは、自分たちは家もあるし、家を流された人よりもましだということで遠慮し
たり、寒さを我慢している人たちがいるのが現実です。

 そんな中でも、今回届けた物資の中には、女性には欠かせない生活用品のコンパクトミラー
や保湿クリームなどがあり大変喜ばれました。被災者のニーズも緊急のものから、生活必需品
に変化してきています。また、長靴なども家を片付けるのに、穴が空いてしまったり一足ではす
ぐだめになってしまうのでということでみなさんには必要とされていました。

現時点では被災者のニーズが日々刻々と変化しています。物資を集めても末端に届くまでの
時間の経過とともにその支援がマッチしないときもあります。状況を見極めながら丁寧に被災
者に寄り添っていきたいと思います。

翌日には大阪のお寺の方が、ディズニー映画の上映会をしてくださいました。会場は小学校
でした。子どもたちはとても楽しみしていて、映画が始まると夢中になって見てくれました。今度は、「クレヨンしんちゃんがいい」「ドラえもんがいい」などリクエストもしてくれました。やはり、子どもたちは避難所にいても退屈で、親たちは家の片付けや仕事でなかなか子どもに関われない状況です。こんな風に子どもたちと一緒に遊んでいただけるボランティアもとても喜ばれます。

遠野のまごころネットでは、子どもたちと一緒に遊びながら、ピザを焼いたりなどの外出企画を毎週末行う予定です。子どもたちが被災地から少しでも離れて、心やすまる時間を過ごせたらうれしいです。

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posted by 被災地NGO恊働センター at 10:13| 被災地からのレポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月12日

【東日本大震災】レポートNo.49

地震に先遣隊として被災地に入った武久真大のレポートです。
自分にできること、話を聞くだけでも救いになるのだろうか。
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武久のレポート
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山形県米沢市。
吉椿のレポートでも説明されているとは思うが、ここに福島県から、
福島第一原発から半径20キロ圏内にあり避難指示を受けたひとと、
その周辺から自主避難してきたひとたちが今も避難生活を続けている。

【言葉の壁とそばにいること】

避難所の体育館。生活スペースのアリーナの外、ロビーに設置されたテレビ。
そこでただひたすらに地震関連の情報を流し続けるその画面をぼうっと見つめるおいちゃ
ん。その横にすとんと腰かけ、声をかけてみる。

堰をきったようにたくさんの言葉を私に投げかけてきた。
テレビを見ていたときの顔と違って、目は、顔は、たくさんの表情にあふれていた。

でも、言っていることがほとんど分からない。
浜通りから来たということ。農業機械が流されたこと。
少しずつは分かるけれど、気を利かせて言っただろう冗談も笑うところが分からない。

たまに分かった言葉を、ひとつひとつ、追いかける。
おいちゃんはそんな私の状態を、知ってか知らずかお構いなしに、語ってくれる。

どれくらい話しただろう、そんなとき神戸からの電話でふたりの時間は終わった。

その日以来、そのおいちゃんと会う場所はなぜかトイレ。
一緒に横に並びながら、おいちゃんはいつも、いつも聞いてくれる。
「神戸にはいつ帰るんだ?」って。

この避難所には、間に他の避難所や親戚の家を転々とした後に辿り着いたひとが多い。
そのおいちゃんもその中のひとり。

福島から避難してきたといえど、自治体もばらばら、
知り合いもいない見知らぬ土地で、話に耳を傾けてくれるひとは少ないのだろう。

こうして話を聴くひとの大切さ。そして、言葉の分かる地元のひと。
外からできることを考え、中のひとと一緒にやっていくことを考えていかなければいかない。

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posted by 被災地NGO恊働センター at 15:37| 被災地からのレポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする