2011年04月11日

【東日本大震災】レポートNo.47

地震直後から先遣隊として被災地に入った吉椿雅道のレポートです。
避難所まで退避できても、不安はどこまでも付きまとうようです。
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吉椿のレポート
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米沢市の避難所、市営体育館のすぐ裏に武道館がある。
当初、体育館が唯一の避難所であったが、原発の放射能濃度が上がった事から福島
県から避難してきた人々が増え、武道館も避難所として開設することになった。
広い武道館の四隅に被災者の約10家族が暮らしている。

武道館の様子を見に行った際に、Eさん(60代)から「腕が悪いのでストーブの灯油を入
れてくれる?」と言われ、そこからお話する事になった。
 「足が冷えてねぇ。」と言うEさんに「じゃあ、ここでも足湯をやりましょう!」という事から
武道館で足湯をする事になった。

 Eさんは、娘さん(30代)とお孫さんのYくん(4歳)の3人で福島市から避難してきた。
「9日間、車中泊しながら、4日前にようやくここまでたどり着いた。」と行くあてもなく彷
徨った日々を振り返る。「ガソリンもないし、どこに行っていいか分からなくてね。」とポツ
リポツリと語り始めた。Eさんは、「あの日、私、水も使ったし、お風呂にも入ったのよ。そ
の後に知ったのよ。」と濃度が上がった事を知った日の事を話してくれた。
 「私はどうなってもいいけど、孫たちに何かあったらねえ。」とつぶやくEさんだった。

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posted by 被災地NGO恊働センター at 12:11| 遠野から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月05日

【東日本大震災】レポートNo.42

増島智子さんのレポートです。
大規模な避難所のものとは違った問題が発生しているようで、十分な食糧さえ行
き渡っていないところもあるようです。
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4月1日の、増島智子さんのレポート
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今日は初めて訪問する小槌エリアの「山岸地域生活改善センター」という避難所
を訪ねました。ここも小さな避難所で14名くらいの方が避難されていました。
やはり小さな避難所には物資が届きにくかったようで、被災者の方が「お米がいつ
くるかわからないので、うすめて食べている」というつぶやきを拾いました。次回、
訪問するときにお米を届けたいと思います。

足湯隊がひろったつぶやきを紹介します。
女性:「きたなくてはずかしいけど・・・。決まっている風呂の日に都合が悪いと入
れなくてね、変な話しね、パンツ式オムツをかわりにはいたのよ・・・。退職した夫
がね、またねタンカーに乗るのよ。幸い家族はみな無事やったけど、家や人が流
されるのをみて泣いた・・・もう海べりには住みたくない。息子の会社も壊されてし
まった。仕事をしないと食べてゆけない、命は助かったから良かったけど、これか
ら生きていくのにまた、大変やどうしよう。」と。。。

 お話しを伺ったり、つぶやきをみていると、こんかいの津波の恐ろしさをつくづく
感じます。中には明治にあった三陸大津波を経験した人もいたそうです。過去の
教訓を生かして、世界最大の防波堤が建設され、住民のみなさんも安心していた
という声を聞きました。でも自然の驚異を前に人間の力は無力です。けれどこれ以
上、今後尊い命を失わないために私たち人間は自然と共生し、自然に感謝しな
がら生きて行かなくてはならないと思います。人間の欲求のまま、利便性だけを追
い求め、自然を破壊して生きていく、これまでの生活をみなさんもう一度考え直し
てみませんか?
 
 この日は、真言宗高野山派の五味さんらが被災地を訪ねてくれました。全国か
らの応援を被災地にいながら心強く感じています。ありがとうございます。

 「大きなことはできません。ただ小さな愛をもってやることはやることはできま
す。」
                         マザーテレサの言葉より

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posted by 被災地NGO恊働センター at 14:56| 遠野から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月04日

【東日本大震災】レポートNo.40

「まけないぞう」作りと足湯を行っている増島智子さんのレポートです。
足湯のあたたかさが広がり、このたび遠野の方々が中心となり足湯隊が結成されました。
また被災地NGO恊働センターからの派遣第5陣が本日出発し、米沢を経由し遠野に向かっています。
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3月31日の、増島智子さんのレポート
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いまだ余震が続いている被災地で、今日も夕方頃に外にいてもわかるくらい地響きとともに大きな揺れを感じました。被災地の多くの人は、あ〜また揺れていると、なんだかみなさん揺れに対して慣れてしまっている様子です。

今日は昨日布団がなかった小槌エリアの施設避難者の方に布団を運び入れました。こちらも支援の手がこぼれていたところです。ここは足湯のつぶやきを通して、ニーズを拾えたところです。ただ物資をもっていって「要りませんか?」と聞いただけでは、このようなニーズを拾うことはできなかったと思います。やはり面でとらえるのではなく、点を浮かび上がらせ面にしていかなくてはならないのでしょう。
また、昨日は具合が悪いと訴えていた男性も今日は体調がよくなり、落ちついておられるということでした。

今日の足湯隊は以前にもお邪魔した小槌エリア「臼澤鹿子踊保存会館伝承館」を訪問しました。
2回目ということもあり、行くとみなさん靴下を脱いで順番待ちをしています。最初は子どもたちが並んで足湯をしていました。その中でも一人の女の子は津波で家を流されていました。他の子たちは、家はなんとか流されずにすんだようです。お互いに気を遣いながら過ごしているようですが、すべてを流されたこの女の子の心境を考えると・・・

また今日はこれまでの最年少の4月6年生になる男の子が足湯に参加してくれました。彼は、お湯・お水をきちんとチェックしなくならないように部屋と外を行ったり来たりしっかり働いてくれました。彼は、「私はねぇ、桃太郎トマトの種を育てていて、原発のことで種が出荷できなくて、残念だ〜。何年生?(4月に6年です(自分))えらいね〜。こうゆうのはすきじゃないとできないよ。お風呂に入ってるみたいで気持ちいいね〜。」というつぶやきを拾ってくれました。このつぶやきによって、この人にトマトの種を届けることができ、また笑顔が戻る日がくることを願ってやみません。

 もう一つは、以前にも布団を届けた「小槌地区多目的集会場」です。そこでは、「大槌市内から来ました。父親が見つからないそうです。お茶やコーヒーも全く飲めてないそうです。鏡やくしなどが欲しいとのことです」というつぶやきを聞きました。どこの避難所の人たちも状況は徐々にではありますが、生活必需品を必要とする声が聞こえてきます。
なかには、家がすべて流され、もうあきらめて、埼玉に住んでいる娘のところに行くという女性がいらっしゃいました。「この年になって見知らぬ土地に住むなんて思いも寄らなかった」と不安そうな思いを打ち明けてくれました。県外避難者も多くいますが、長年住み慣れた土地を離れるということはとても辛いことです。県外に避難されている方が孤独に陥らないように安心して暮らせる環境を考えていければと思います。

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posted by 被災地NGO恊働センター at 17:00| 遠野から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月01日

【東北地方太平洋沖地震】レポートNo.36

3月25日から、スタッフが岩手県に入っています。

30日、大槌町小鎚地区の、小鎚多目的集会所と蕨打直(わらびうちな)集会所で活動しました。増島智子さんのレポートです。

増島さんは、阪神・淡路大震災以後10年以上にわたって被災地NGO恊働センターのスタッフとして活動され、現在は、社会福祉法人シティライト(神戸市兵庫区)に勤務されています。
今回はシティライトさんより厚いご協力・ご支援をいただき、増島さんの神戸での経験を活かしていただくべく、現地に入っていただいております。
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遠野からのレポート
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<3月30日>
■小鎚多目的集会所
布団がなかった小槌エリアの「小槌多目的集会所」に布団を運び入れました。みなさんこれでやっとゆっくり眠ることができると涙ながらに喜んでくれました。被災者のかたが最後に「まごころさんありがとう」とおっしゃってくれました。「遠野まごころネット」が始動し始めました。

■蕨打直(わらびうちな)集会所
今日は引き続き小槌エリアの「蕨打直集会所」という避難所を訪ねました。ここも小さな避難所で15名くらいの方が避難されていました。

足湯と枇杷葉温圧をされるボランティアのかたが同行してくれました。
訪れると、すぐに体調を崩され、発熱・嘔吐を訴えている男性の方がいて、お医者さんと連絡を取りたいと訴えられました。かかりつけの医師が近くの避難所にいるということで、車で迎えに行くと、先生がすぐ往診に来てくれました。個人開業医の先生も病院が流されているにもかかわらず被災地を駆け回っていました。

避難所につくと、風邪のようでたいしたことはないということでした。ただ、このご夫婦は別の医療の手が届きやすい避難所にいたのですが、そこでは高齢者向けの柔らかい食事がでなくて、下痢をしていて、布団もろくになく、やむを得ず小さな避難所で少しでも柔らかい食事がとれる避難所に移動してきたそうです。先生曰く「この人はぜんそくで、心筋梗塞も持っていてこんなことがなければ、この人は入院している状態の人です。でもいまは仕方ない」ということでした。

このご夫婦も、息子さんを津波で流され、それから旦那さんの痴呆がすすみ昼夜逆転して、状態が悪化したそうです。。。奥さんも旦那さんのお世話でたくさんのストレスを抱えはき出すように話しをしていました。先生の顔を見ると落ち着いたせいか、起きあがり話しをしてくれました。だいじに至らなくてほっとしました。

■足湯
また足湯では、別の避難所からきた、被災者の方が、足湯をしながらつぶやいてくれました。私の避難所は施設で布団がまったく足りていないということ話してくれて、現場にいってみると、冷たい廊下の上に数枚の毛布のみで避難されている方、知的障害を持った方など120名くらいの方が避難されていました。たぶん、施設に避難しているから物資も届いているだろうと支援の手からこぼれ落ちたところだったのでしょう。
また明日布団を届ける予定です。

やはり、障がいや高齢者、女性、子どもといった方たちは、どうしても後回しになり
取り残されていきます。この声なき声を、足湯やまけないぞうづくりを通して、その
つぶやきを丁寧にひろいあつめ、少しでも被災者の方のニーズに応えていきたいと思います。

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posted by 被災地NGO恊働センター at 22:16| 遠野から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月31日

【東北地方太平洋沖地震】レポートNo.35


3月25日から、スタッフが岩手県に入っています。

29日、大槌町の小鎚多目的集会所にて、「まけないぞう」づくりと足湯を行いました。増島智子のレポートです。
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遠野からのレポート
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<3月29日>
■小鎚地区にて
遠野市社会福祉協議会を拠点に3月27日「遠野被災地支援ボランティアネットワーク」通称〜遠野まごごろネット〜」が設立されました。遠野市のみなさんに遠野の自慢できることはと聞くと「まごころ」と応えてくれます。その「まごごろ」を通称にいれて被災地に「まごごろ」を届けたいという想いからこの愛称がつきました。みなさんぜひ応援お願いします。

今日は小鎚エリアの「小槌多目的集会所」に訪問しました。避難者のかたは子どもも含めて15名の方が避難されている小さな避難所でした。ここの方も避難所より、少し下流の方に住んでいた方が多く、昼間は家の片付けに行って
いて、水に濡れた畳を運びぎっくり腰になっている人もいました。

■まけないぞうづくり
避難所ではまけないぞうづくりと足湯をさせていただきました。
まけないぞうづくりでは、子どもたちも参加してくれました。

高齢の女性の方は、津波で旦那さんが流されまだみつからないと・・・
盛岡から子どもさん家族が孫(4〜5歳と9ヶ月)を連れて様子を見に来てくれていました。そのお孫さんがまけないぞうづくりに参加してくれていて、「おばあちゃんも今度作ってあげるからね」と作り方を聞いてくれました。「本当なら孫も一人できていつも家に泊まっていくけど、避難所では泊まれないから」ととても名残惜しそうに送り出していました。「この子はまだ小さいからおじいちゃんが津波で流されたことをわからないしね」と。。。

他の方も、「着の身着のまま逃げてきて、落ち着いたら自宅に戻れると思ったのに、もう何もかも流された」と。。。

神戸からきたと伝えると「阪神淡路大震災の時は他人事と思っていたけれど、自分の身にふりかかったら、よくわかった、人は痛みを感じないとわからないのね〜」と。。。みなさん辛い胸のうちをつぶやいてくれました。

それでもまけないぞうを作っていくうちに、鼻ができ、顔ができ、目がつくと「あっ目がついた
ら生きてきた」と、また別の方は「私に似ているわ〜」とまけないぞうづくりを通して、一瞬ですが、笑顔がこぼれるひとときを過ごされていました。

■足湯
足湯では、やはりここでも自衛隊のお風呂がいっぱいになり、1週間ぶりに足だけでもお湯につかりみなさん喜んでくれました。

お一人の方は70歳過ぎの女性で、津波ですべてを奪われ、埼玉にいる娘さんのところへ引っ越しをすることになったそうです。「この年になってまったくわからない土地にいくのはとても不安だけれど、もうここには何もないから行くしかないのよね」とつぶやかれました。

掃除でぎっくり腰になった方に、柔道整復師のスタッフOが、別のたたみの部屋で施術しました。15名の避難者の人たちがたった10畳ほどの畳の部屋で寝起きをし、座布団を一人3枚したに敷き、毛布を2〜3枚かけるだけで寝ていたそうです。まだこちらは雪も降り、夜には氷点下の気温です。翌日布団を運び入れることにしました。ここでもほとんどの方が風邪をひかれ、家の片付けで疲労困憊でした。

大きなことはできませんが、いま私たちできることを応援を頂いているみなさんのまごごろと一緒に届けたいです。宮崎から届いたお野菜もこの避難所にお届けしました。中越地震のときにお世話になった仲間も新潟から訪問してくれました。神戸から来てくれて本当にありがとうと大変喜ばれました。被災地から被災地へ支えあいの
輪が広がっています。
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posted by 被災地NGO恊働センター at 17:18| 遠野から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする