2019年09月08日

【東日本大震災】レポートNo.299

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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり  
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 まけないぞうの作り手さんも8年を経て、ほとんどの人が再建を果たしました。そんな中で、お一人の方が仮設に残り暮らし続けています。でも、やっとこの11月には造成した場所に自宅を再建できます。
 7月末に棟上げをしました。岩手では棟上げの時、新造船などのお祝い事では、「餠まき」といって、お祝いに駆けつけてくれた人たちに、お餅やお菓子、お賽銭をまくという習慣があります。新築の時も同じように「餅まき」をされます。私は行けなくてとても残念でしたが、なんと、その時のお餅を取っておいてくれました。作り手さんの粋な計らいにとってもうれしくなりました。

祝い餅_R.JPG

もちまき_R.JPG

 滞在中、何度か建築中のお宅を拝見させてもらいました。最初は屋根と外枠のみでしたが、数日すると、サッシが入り、部屋の壁ができ始めていました。とってもわくわくどきどきと自然に笑みがこぼれます。
作り手さんのMさんは、何度も工期が伸びて、仮設から仮設への引っ越しを余儀なくされたこの8年半、その都度どれだけ心が折れそうになったことか。それでも、強い意志を持って耐え忍び、「こんだけ待ったんだから、もう焦ってもしかたないもん。もう慣れた」と言って、気丈に振舞っておられました。

まけないぞう_R.JPG

内覧_R.JPG

 実は、Mさんこれまでまけないぞうでもらった手間賃を一度も使わずに貯金していて、そのお金で、「再建した家に記念になるものを買うんだ」と言っていました。この度、その記念になるものを予約したそうです。また、お盆時には、娘さんや息子さんも来ていて、一緒に電化製品を見学しにいったそうです。新居への期待は自然と高まります。今までに感じたことのない喜びを感じました。
 彼女は親せきの子どもが津波の後に、「おばちゃんまでいなくなったら僕は帰る場所がなくなる!」と。その言葉が胸にささり、“故郷を残してあげたい!“という強い意志が彼女の中に芽生え、再建を決意したのです。
 他方、8年半経ってもなお、被災地の復興は終わっていません。

松野さん_R.JPG

 みなさんどうぞ、これからもまけないぞうを応援してください。その向こう側に被災者のみなさんの笑顔があります。
 11月には新居へのお引越しです。「必ず行くからね!」と笑顔で再訪を約束して来ました!
 (増島 智子)

お手紙 (1)_R.JPG
posted by 被災地NGO恊働センター at 10:59| ニュース・情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月03日

【東日本大震災】レポートNo.298

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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり  
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まけないぞうの不思議な力 蘇ったあの笑顔!!

 東日本大震災から間もなく8年と6か月が経過します。Mさんとの出会いは、災害直後の岩手県大槌町の避難所でした。Mさんはとてもまけないぞうを気に入ってくれて、ある日避難所を訪ねると、まるで洗濯物のように洗濯ばさみにぞうさんをぶら下げてうれしそうに見せてくれたことを思い出します。

洗濯ばさみ_R.jpg

 避難所から仮設に移っても、まけないぞうを創り続け、ボランティアさんを温かく迎え三陸の海の幸をたくさんごちそうしてくれたり、CODE海外災害援助市民センターの10周年で海外の被災地から現地の人たちを招聘した時も、ぞうさんづくりを教えてくれたり、仮設に訪問させてくれたり、私たちもとても助けて頂き、また元気を貰い続けて来ました。

ぞうさんづくり_R.JPG


 仮設の部屋にどこを見回してもまけないぞうが飾ってあり、ぞうのグッズも訪問するたびに増えていて、いつも笑顔で迎えてくれました。Mさんは「ぞうさんないとだめなの」と言って、出来上がったぞうを持って帰ろうとすると、「連れて行かないで・・・・」といつも言われて、後ろ髪をひかれる思いで仮設を後にしたことを覚えています。
 その後徐々に体調を崩され、歩くこともままならい状態にまで落ち込んでしまいました。寝ていることも多くなり、まけないぞうも創るのが難しくなっていたのです。そこで、旦那さんがお料理をしたり、家事全般をするようになりました。私たちが訪問するときの電話のやり取りもMさんではなく、旦那さんになり、心づくしの料理をふるまってくれるのです。そんな中でもMさんは、いつも「ぞうさん創りたい」と訴えていました。
最近、体調を崩し「まけないぞう」づくりを休んでいたMさんですが、今回訪問するとおもむろに創りかけのぞうさんを出してきて、「教えて!」と。。。ちょっと教えると手が自然に動き出します。
 
今回一緒に同行してくれたのは、阪神・淡路大震災の時に一緒にボランティア活動をしてくれた仲間です。約23年ぶりの現場で作り手さんとの交流をとても喜んでくれました。彼女も一度ぞうさんづくりをしたことがあり、「わ〜お母さん、すごいね!どんどん縫っちゃうね!」と感心しながら、見つめていました。Mさんにも彼女の喜びが伝わり、最高の笑顔が戻ってきたひとときでした。

目玉1_R.JPG

そうこうしているうちに、まけないぞうが完成しました。できたぞうさんを見て、満面の笑みがこぼれ、いつものように笑顔で“チュッ!”と。今までは、座位も保つことができなかったので、いつもぞうさんが首を傾げていたのですが、今回は姿勢もまっすぐなまま、できあがったぞうさんもちゃんとできていました。Mさんの笑顔を見て、まるで空が晴れ渡るようにとってもうれしいひと時でした。彼女にとってどれだけまけないぞうが支えになっていたのか・・・。「Mさん、ありがとう!!」

チュッと_R.JPG

笑顔_R.JPG

はいポーズ_R.JPG

 (増島 智子)
posted by 被災地NGO恊働センター at 09:47| ニュース・情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月21日

【東日本大震災】レポートNo.297

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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり  
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 お盆休みの最中神戸から車を走らせ岩手に向かいました。今回は村井顧問も2年ぶりの岩手訪問です。高速道路は帰省の人たちで渋滞、事故、故障など、神戸−東京間はいつもの倍の12時間もかかってしまいました。東京から岩手もいつもよりも2時間オーバーで到着、かなりハードな移動となりました。
 仮設に着くと、夏は草が伸び放題、車を止めるにも大変でクタクタの体に鞭を打ちながら、村井顧問は草刈り、私は家の中に所々ある蜘蛛の巣退治と掃除掛けを済ませました。台風が迫る中で、湿気と暑さで疲れもピーク、クーラーをつけようとしたら、故障中、なんとまぁ、大変ハードな岩手入りとなりました(泣)

 岩手の沿岸も、とっても暑く毎日のように30℃越えです。まけないぞうの作り手さんもさすがにクーラーを購入した方がいます。東北の夏も毎年気温があがり、心配です。海でも今年はサンマが不漁だそうです。春のわかめも少なかったようで、気候変動を身近に感じます。

 まず最初にタオルを集めてくださっている釜石の不動寺さんへタオルを頂きに上がりました。先日体調を崩されていたのですが、もうすっかり元気になり、お盆の準備に追われていました。そして、全国から届いたタオルを頂き、makenaizoneのみなさんから届いたお手紙をお渡ししました。

タツ子さん_R.JPG

 作り手さんの方はというと、お盆の時期ということもあり、親せきの方たちが帰省していて、忙しさの中にもうれしい笑顔がこぼれていました。みなさん、とてもお盆を大切にしていて、忘れかけている文化や習慣を思い起こさせてくれます。中には、いつもは親だけで親せきを回っていたけれど、息子さんが「俺も今年は一緒に回らせてくれ」と一緒に親せきの仏さまを回って拝んでそうです。そのお話をされているときの作り手さんは何となく、誇らしげに見えました。こうして、文化や習慣、それぞれの歴史が引き継がれていくんだなぁと、感慨深いものがありました。

仮設解体_R.JPG

 津波で旦那さんと息子さんをなくされた方は、復興住宅にお住まいで、お仏壇も被災した時に支援でいただいた簡易の小さなお仏壇です。「私ももうすぐ『あ・ち・ら』に行くからもうこれでいいの」と笑いながらそんなことをつぶやきます。復興住宅での生活も落ち着き、見守りも住民さん同士でしています。高齢者の多い復興住宅では声かけは大切です。部屋を行き来しながら、お茶のみをしたり何気ない日常がそこにあります。先日も別の住宅に住む友人に何度も連絡したのだけれど、なかなか連絡がつかないから、娘さんに連絡をとり、娘さんが確認に行くと部屋の中で、倒れていたそうです。すぐに救急車で運ばれ、現在入院中だそうです。一命をとりとめて何よりです。普段の近所付き合いがないと助けられなかったいのちです。また大船渡の後ノ入仮設住宅から各々新しい住まいでのスタートをして一年が経過しましたが、この後ノ入のまけないぞうの作り手さんたちは、新しい作業場(作り手のYさんの庭に建てた住田仮設からの木造、詳細は同レポート294号を見てください。)で、久々の顔あわせでした。「ぞうさんくるよ!」とお互いが声がけをし、自力で来れない人は誰かが迎えに行って、みなさんが集まります。いろいろと積もる話をする中で、「でも、よく頑張ってきたよね!」と誰かがポツンと言うと、「ほんとにオラも頑張ったよ!」「うんだ、うんだ!」とお互いを慰労するような、褒めたたえるような、そして自分を褒めてやりたいというような・・・・、しみじみとした、でもどこか希望の見える言葉が飛び交いました。これは、すばらしい「まけないぞうコミュニティ」だと痛感し、また一つ勇気を貰いました。こうして被災地は、あらたな復興のステージへと歩みを進めています。
 (増島 智子)

妙紀さん_R.JPG 
posted by 被災地NGO恊働センター at 14:06| ニュース・情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月01日

【東日本大震災】レポートNo.296

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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり  3月6日
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 今日は、吉里吉里のまけないぞうチームと盛岡からのボランティアさんとともに釜石の不動寺さんを訪れました。森脇妙紀さんいつもまけないぞうのために、タオルを集めてくれたり、販促をして下さったり、全国から届く物資を被災者のみなさんに届けてくれています。
今回も、岩手へ現地入りしてすぐにストックしていたタオルをまけないぞうの作り手さんのためにご用意して頂きました。

妙紀さんとタオル_R.JPG

 不動寺さんは一昨年の水害の被害を受けた時に、吉里吉里のメンバーが恩返しとして後片付けのお手伝いに行った時以来でした。まるで女子会のようにお昼をごちそうになりながら、話に花を咲かせます。

水害後の片付け_R.JPG

 そして、作り手さんに不動寺に届いた布をプレゼントしてもらいました。みなさん何を作ろうか生地を選んでいるだけでわくわく楽しくなってきました。

布選び_R.JPG

 また、現在まけないぞう用のタオルが不足しているので、森脇さんがお声がけ下さり、高野山真言宗社会人権局のフェイスブックで紹介して頂き、早速「一本のタオル運動」の呼びかけに答えて下さったタオルが届いていました。

一本のタオル_R.JPG

メッセージ_R.JPG

 まだまだタオルが足りていないので、ぜひみなさん新品であれば色柄、広告入りなど何でも構いませんので、ぜひタオルを寄せて下さい。
詳しくはこちらのホームページまで。(http://ngo-kyodo.org/makenaizouinfo/

 作り手さん達は「お寺さんにもずっとこんなに支援してもらってありがたいね」と話してくれています。
森脇さんはこの8年間の間、ずっと被災地・被災者に寄り添っています。毎月11日の月命日には、歩き供養として釜石の海まで街中を歩きながら犠牲者に祈りを捧げています。時折、住民の方が頭を下げたり、子どもがお賽銭を握りしめて走りよってきたりします。
 こうして、普段の生活の中に溶け込みながら、そっと被災者に寄り添って下さっているお姿は観音菩薩様のようです。

妙紀さんと_R.JPG
posted by 被災地NGO恊働センター at 16:51| ニュース・情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月28日

【東日本大震災】レポートNo.295

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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり  3月6日
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 まけないぞうの回収で内陸に避難された方たちがいる遠野の伺いしました。遠野市穀町にできた仮設は木造で、一部高齢者・障害者向けに屋根付きのウッドデッキで集会所兼サポートセンターも併設され、雨の日にでも傘を差さずに集会所に行ったり、井戸端会議ができるスペースになっています。部屋は木の香りが漂い、プレハブのものより断然住み心地がいいです。

木造仮設_R.JPG

仮設部屋_R.JPG

7年半住み続けてきた仮設もこの2月で入居者の方が退出され、みなさんそれぞれ新たな一歩に進まれました。仮設の隣の敷地に災害復興住宅を建築しました。その部材は仮設のものを使い、3〜4軒の長屋づくりで和風モダンな素敵な木造住宅です。コミュニティも環境も変わることなく、被災者への負担はほとんどありません。愛犬のワンちゃんとも一緒にお引越しもでき、住み心地もよさそうで、みなさん終の棲家にご満悦です。

ワンちゃん_R.JPG

遠野市災害復興住宅_R.JPG

 その傍らにはまけないぞうが見守ってくれています。

見守るぞうさん_R.jpg

 3月11日を前に、作り手さんの旦那さんに初めてじっくり話を聞かせてもらいました。あの日、釜石市の鵜住居でいつものように散歩していたところに大きな地震にあったのです。旦那さんは遠野の出身で大きな地震の後に津波がくるということを知らなかったのですが、周りの人が逃げているのを見て、慌てて自宅に戻ったら、奥さんが玄関から出てきて、二人で高台へ避難し、そこに津波が来て家は丸ごと流されたそうです。当時はその高台の親戚の家に避難していて、瓦礫の町となった自宅周辺を茫然と見ていたそうです。そこでもうだめかと思っていた2〜3日後に大阪や京都から消防車や救急車などが来る光景をみて、「助かった!!」と思ったそうです。そのことを泣きながら話してくれました。その後、出身地でもある遠野で仮設住宅による避難生活が始まりました。しかし、当初は慣れない仮設暮らしと疲労により、体調を崩したのですが、奥さんのためにもこのままではだめだと思い、奮起して家探しをはじめたとのこと。いくつもいくつも家を探しては見学に行ったそうです。そこで、やっと住んでいた仮設に近い一軒屋を見つけ、仲良くなった仮設のみなさんとも交流できる距離のところに家を買ったそうです。
 
絆_R.JPG

 旦那さんが遠野に来て、感動したことがありました。当時、遠野市は後方支援の拠点として市長以下職員総出で沿岸被災地の支援を開始していました。その時にある部下が食料のことで遠野市長に指示を仰いだところ、「そんなこと自分で判断しろ!」と怒鳴られたそうです。これは緊急時に、その都度市長の判断を仰ぐのではなく、職員一人ひとりが考え行動することが大事だということだったそうです。それを聞いた旦那さんは「遠野市長はすごい」と感動したそうです。緊急時にはマニュアルは通用しません。だからこそ、一人ひとりが被災者のニーズに耳を傾け、「いま」何が必要なのかを考え、行動することが必要なのです。

 2011年の3月に初めて遠野にきて民泊させてもらったお宅で、「遠野で自慢できることは何ですか?」と聞いたときに「それは、“まごころ”です」と答えてくれました。その言葉はとても印象深いものになりました。遠野のみなさんはとても温かくボランティアを迎えてくれて、私たちもとっても助かりました。そして、これからもお付き合いは続いていきます。

お手紙_R.JPG

遠野ぞう_R.JPG
posted by 被災地NGO恊働センター at 15:52| ニュース・情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする