2016年03月14日

東日本大震災】レポートNo.266

あれから5年目、岩手県の被災地に入った増島のレポートをお届けします。
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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり 3月13日
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 いつものようにまけないぞうの回収に行くと、たわいのない話に花が咲きます。ある作り手さんは毎日「こうして今日も一日無事に過ごせた」と感謝の気持ちを込めてお祈りするそうです。そんな話をしているうちに、「あの時は本当に地獄だった。この5年間ぞうさんがなかったら、どうしていたかな。ぞうさんに癒されてここまで5年間やってきたのよ。津波のお陰とは言えないけれど、それでみなさんとこうして出会えたことは感謝しています。」と涙ながらに話してくれました。彼女に最初に会ったのは、震災の年の5月頃で「お父さん(旦那さん)は津波で流されたけれど、うちはまだましよ。すぐに遺体も見つかったし、まだ見つかっていない人もいるから」という言葉を聞いたのが衝撃でした。息子さんも流されているのですが、いまだにまだ息子さんのお話は本人の口から聴いていません。
どんな気持ちでこの5年間過ごしてきたのかと思うと私も涙がこぼれました。

 そして、今年やっとこの5月に復興住宅が完成し、仮設から引っ越す予定です。彼女は仮設で仲の良い3人のぞうさんチームの一人でしたが、他のみなさんが先に自力再建や復興住宅に移ってしまい、不安な日々もありました。1年前に彼女が話してくれたつぶやきです。当時のレポートを一部抜粋して紹介させて頂きます。
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「私、最近鬱かしらと思うの…」と涙をこぼしながら話し出しました。「全て失い、忘れることは絶対できないけれど、こんな辛いことがあったお陰でみなさんにこうして出会い、ぞうさんも作ることができたのよ。過去は変わらないから、前を向いて歩くしかない」と心の底から振り絞って言葉を発していました。取り残されていく孤独感、寂しさをこう話すことで、何とかぎりぎりのところで踏ん張って、いまを生きているように感じてなりませんでした。
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 また、別の作り手さんも高台の造成が今年の夏頃には終わる予定で、来年のお正月には新居で過ごせる予定だそうです。彼女は「孫3人で川の字になって寝るのが夢」と話してくれました。仮設の狭い部屋ではそれがかなわず、孫たちが帰るときにいつも泣くそうです。それが辛くて辛くて5年間も我慢してきたそうです。
一年前の彼女のつぶやきです。
「あの日から4年、復興も思うように進まず、家族が思いもよらない病気をし、気持ちがしずみがちになり、なにもしない日が続いた時、自分がしっかりしないとと思い、ためしにぞうさんを作ってみました。一つまた一つ、そのたびに気持ちが楽になり、がんばれそうな気がしました。本当まけないぞうさんありがとう!」

そして5年経ったいま彼女は「やっと希望が出てきた。故郷に帰るって決めたから、あとは前だけ向いていくしかない」と。その言葉に覚悟を感じました。
「家ができたら、お茶のみでもしましょう」という彼女の希望に満ちた笑顔が晴れ晴れしくもありました。

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 厳しい冬を乗り越え、少しずつ被災者の方たちにも春の足跡が聞こえています。
posted by 被災地NGO恊働センター at 09:36| ★「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月12日

東日本大震災】レポートNo.265

あれから5年目、岩手県の被災地に入った増島のレポートをお届けします。

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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり 3月12日
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東日本大震災から5年目を迎えた昨日3月11日は、朝から雪が舞っていました。ある被災者の方が、「亡くなった方の魂が舞い降りてきたのでしょう。だから私は大丈夫忘れてないよ」心の中でつぶやいた途端に晴れ間が広がったそうです。そのような朝を迎え、各地で祈りが捧げられました。

 釜石市の復興住宅の公民館では、被災住民の有志の方が手作りの追悼行事を行っていました。同じ仮設にいた仲間同士、また新しくつながった復興住宅の被災者の人、それを支える被災者の人、みなさんそれぞれの立場で、想いでその場に集まっていました。「追悼式にはなぜか行く気になれなくて、ここに来たの、来てよかった。やっぱり仮設の頃のつながりはいい。今の復興住宅では何もしないもの。」と

 室内には仮設のころのイベントの写真が所狭しと並べられ、みなさん懐かしそうにその写真をみながら、思い出話に話がはずみます。

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 午後2時46分、海の方を向いて、サイレンが鳴り響く被災地で祈りが捧げられました。会場にはみなさんが折った想いが込められた鶴が飾られていました。

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 この追悼式を呼びかけたご夫妻の奥さんは、津波の後にお母さんを失くされています。いまでもそのお母さんの言葉を思い出すそうです。「生きるのは、辛いよ」と。そのお母さんが言った言葉がいつまでも心に残り、仮設や復興住宅で暮らすおばあちゃんたちと母親が重なりほっておけないそうです。少しずつですが、地域の支え合いの芽が育ってきています。この大切な芽が大きくなって、支え合いの街ができたらきっと未来の子どもたちにもつながっていくことでしょう。

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 まけないぞうの作り手さんが、「昔の書類を整理していたら、本当にたくさんの人に支えられたと思ったのよ。これからは少しずつ返していきたい」と話してくれました。そういえば茨城県常総市の被災者の方も「今度どこかで何かあったら、年寄りだけど応援に行く」と言ってくれていました。その前の広島土砂災害の被災者の方は、常総の水害後すぐにたくさんの支援金を下さいました。「被災された方の気持ちがわかるから」と。こうして被災地から被災地へと支え合いの輪が広がっています。

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posted by 被災地NGO恊働センター at 13:46| ★「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月11日

東日本大震災】レポートNo.264

あれから5年目、岩手県の被災地に入った増島のレポートをお届けします。
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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり 3月11日
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 今日3月11日で、東日本大震災から5年の月日が流れました。久しぶりに岩手の被災地に足を運び、着いて早々悲しい事件のニュースが飛び込んできました。釜石市の仮設住宅で80代の女性が衰弱死し、一緒に暮らしていた息子も発見時意識はあったが衰弱して動けなかったそうです。3月9日の岩手日報によると「住民によるとアサ子さんは自治会のお茶っこなどで見かけることがあったが、昨夏以降姿を見せなくなった。息子は自治会役員を務めていたが、自治会が事実上休止状態になった1年前から引きこもりがちになった」と報道されています。また同じ日に大船渡市では、県が採用派遣した職員が仮設住宅で自殺のような死を遂げたというニュースがありました。この二人の死は防ぐことはできなかったのでしょうか??こうして、“救えるはずのいのち”が一人、また一人と喪われて行くことに、絶望感すら抱きます。

 長期化する復興の過程で、仮設住宅での生活が10年に及ぶという厳しい現実も突きつけられています。みなさん、もし自分だったら10年間仮設住宅などで暮らさなくてはならない状況をどう感じますか? しかも必死の思いで5年間耐えて来たのですよ!もう言葉を失います。

 そんな状況のなかで、5年を迎えたまけないぞうの作り手さんのところへお邪魔しました。
旦那さんを津波で亡くした陸前高田の作り手さんは、5年前に仮設住宅で出会いました。
陸前高田市で震災の年、まだ仮設の集会所もない中で、ボランティアさんとテントや椅子、机を運んで真夏の炎天下の中、まけないぞうづくりをしました。その時に旦那さんが津波に流され、まるで生気を失ったかのような、Kさんがはじめて作ったピンク色のまけないぞうに5年ぶりに再会しました。涙がこぼれそうなほどうれしかったです。5年間もの間、Kさんに寄り添ってくれていたピンク色のまけないぞうです!当時の彼女のメッセージです「東日本大震災 忘れもできない3月11日2時46分今までにない長い地震、大きい津波 水を飲まされて流された1人です。助けられて生き、いまは仮設生活です。ある日、『お茶飲み会に 来てね』と声をかけられ行ったとき、ピンク色のぞうさんです。とてもかわいい眼をしてリボンをつけていました。何十年前に持った針を持って、先生に教えて 頂き始めました。夢中になり考えることなく作ったのがぞうさんです(主人は死亡)一人生活でも作っている時は楽しいです。上手には出来ないがまけないぞうです」。

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今は自力再建してまけないぞうを作り続けています。当時は「どうしていま私は仮設でぞうさん作っているんだろう」と言われ言葉を失ったこともありました。いまでは、なんとか元気そうにしていますが、やはり「3月11日」が近づくと津波の夢を見るそうです。そして、部屋の出入り口には旦那さんとお孫さんと一緒に移っている写真が飾られています。よく聞くと、「こうして写真を張っておけば、いつか帰って来そうな気がするの。これがあるから生きていられる」と涙ながらに話してくれました。その陰で、津波にあっていない人からは、「いつまでそんなこと言ってんだ」と心ない言葉も浴びせられることがあるそうです。そして「このまけないぞうがなかったらどうなってたか・・・」と。5年という歳月は被災者一人ひとり違うということを痛感させられました。心の復興もそれぞれです。そして中長期のボランティアが激減する中で、冒頭のような悲しい死を防ぐためにも、一人ひとりの被災者に寄り添えるようなボランティアの確保であったり、地域住民の支え合いは欠かせません。私には、今日は多くの涙が被災地を濡らしているように見えます・・・・。

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posted by 被災地NGO恊働センター at 10:27| ★「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月28日

東日本大震災】レポートNo.263

あれから4年目の夏、岩手県の被災地に入った増島のレポートをお届けします。

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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり 8月7日
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 8月7日は陸前高田市のうごく七夕まつりでした。いつものようにきらびやかに飾られた各地区の山車が被災地を練り歩きます。みなさん待ちに待ったかのように、嬉しそうに山車を担いでいます。ただ、高台の造成が進み、工事エリアは立ち入りが禁じられ、伝統の場所での開催は今年が見納めになったそうです。山車も去年より少なくなり、少し淋しい感じもしましたが、おまつりの間は一時でも辛いことを忘れ、笑顔がこぼれます。

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 みなさん笑顔で歩いている陰にも、「あの人、お父さん、お母さん、弟を亡くして、おじさんがまだ見つからないの」と。また久しぶりに仮設で一緒に住んでいた人と出会い、再会を喜ぶ姿もありました。

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夜になると電飾に飾られた山車がライトアップされ、真っ暗な被災地を照らしました。
ある被災者の方が、「なんにもなくなったから、山車がやけに明るく目立つね」とつぶやきました。

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まけないぞうの作り手さんも、いつか高台移転をしたときに、「ぞうさんでコツコツためているお金で新築した自宅に、記念に残る何かを買う予定にしてるんだ」と嬉しそうに話してくれました。

 一方で、8月27日の毎日新聞によると、陸前高田市の小規模スーパーが閉店を決意したそうです。
「土地のかさ上げが進む市街地から高台へ続く坂道沿い。長屋風のプレハブ店舗には『ナインマート』の看板が掛かったままだ。『寂しいけど、競争だから仕方ないね』。昨年12月まで店を運営していた中田商事の社長、安達清次さん(53)が看板を背につぶやいた。
津波は中田商事の前社長と従業員計3人の命を奪った。急きょ社長を継いだ安達さんは翌月、トラックで移動販売を始める。4カ月後再開 震災後、再開を急いだのはこの時の「恩」もあったからだ。リンゴ畑の土地を借りて11年7月、小さなプレハブ店舗を建てた。開店資金3400万円の4割弱は後日、市内外の食品業者らと、国と県の『グループ補助金』を申請して賄った。オープンの朝は開店前から数十メートルの列ができた。だが翌月、地元中堅スーパーが再開すると売り上げは前月から半減した。同じプレハブでも広々とした店をのぞくと、何人もの顔見知りと出くわす。」(2015/08/27 毎日新聞より一部抜粋http://mainichi.jp/select/news/20150827k0000m040150000c.html

 他の地域でも最近よく耳にする話です。これが真の復興なのでしょうか?政府は地方創生と言っているようですが、地方とくに被災地は悲鳴をあげているのです。

 このような現実の中で、自らいのちを落とす人もいます。4年も経って、「いつまでも被災者と言っていないで、早く自立しなさい」という心ない言葉も聞こえてきます。でもまだまだ復興の途上です。息の長い支援が必要なのは、被災地KOBEからも学びました。なかなか成果は出ませんが、最後の一人まで被災地に寄り添っていきたいと思います。

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〜まけないぞう一言メッセージ〜 
 東日本大震災から4年が過ぎ、被災地以外の人々は、もう忘れているように思われますが、何年過ぎても大きな地震があるとあの日を思い出し、メンタルが少しおかしくなります。それでもこうして“まけないぞう”を作らせていただくことで、心のどこかで安心を手に入れていると思います。これからもどうぞよろしくお願いします。
(2015/06/6 石巻市 女性 58歳)

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2015年08月10日

【東日本大震災】レポートNo.262

あれから4年目の夏、岩手県の被災地に入った増島のレポートをお届けします。

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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり 8月1日
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 今日は杉の木立をドライブしながら大船渡を訪れました。綾里の復興住宅へお邪魔すると、子ぞうさんが待ちかねていたように、作り手さんがひとつ一つ丁寧に並べて数のチェックです。「どれもかわいい」、「私のはお鼻が長いのね」「一つひとつお顔が違うのよ」「ちっちゃいのはめんけー」とおしゃべりしながら楽しそう。

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宮古島のマンゴーと岩手名物のおつけもんのきゅうりのからしづけ、甘くておいしいクルミもちと、ご当地グルメ大会みたいで、みなさん会話も弾みます。そこで、15年前に行われた綾里5年大祭のビデオを見せて頂きました。各地区の権現様の舞を披露するそうです。綾里には日本一と言われる重さ1トンにもなる綾里権現様があるそうです。みなさん夢中で「あっ誰々だ!」「あっこの人は…」「この神社の階段まで津波が来たんだよ」「何度見ても飽きないね」「夜中、ずっと見ているよ」と話が尽きません。作り手さんのお一人はお祭りで踊りの先生をしているので、大活躍するそうです。作り手さんのお父さんに聞いたら、来年6月に15年ぶりの綾里五年祭が開催することになったそうです。みなさんとてもうれしそうで「ぜひ、来てね」と声をかけて頂きました!ぜひ訪れたいです!


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 そして、午後からはいつもお邪魔している憩いの理容室さんへお邪魔すると、お客さんの車になんと子ぞうさんがぶら下がっているではないですか!!!思わずまけないぞう号と記念撮影です。高田のぞうさんチームの人がプレゼントしてくれたそうです。嬉しい再会です(笑)

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 夜は「三陸・大船渡夏まつり」が開催されました。岸壁から近い海上で8000発の花火が
打ち上げられました。防潮堤や護岸工事、盛り土の造成工事などで会場も様変わりし、いつもと会場が変わったりしていましたが、それでも、同時に海上七夕という船団が巡航し、海にはきらびやかな七夕の灯りと空には大輪の花を咲かせていました。私は、自力再建された理容室さんのお宅で絶景のもと、花火を楽しませてもらいました。
 その花火や灯り一つひとつに一日も早い復興への祈りが込められていると感じました。

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〜まけないぞう一言メッセージ〜 
まけないぞうさん、ずいぶん他国にも愛されてうれしいです。一針一針縫ってて出来上がるごとにますます可愛さが増す。ぞうさんの力がものすごくあって、これからも大活躍することと思います。作り手の方々もみな喜ばしいことです。
(2015/06/15 大船渡市 女性 81歳)
posted by 被災地NGO恊働センター at 09:32| ★「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする