2015年06月17日

【東日本大震災】レポートNo.257

6月に、再び岩手県に入った増島のレポートをお届けします。

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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり  6月6日
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 久しぶりの被災地訪問ですが、明暗がわかれているそんな感じです。復興住宅に入居が決まっている人や自力再建を果たした人、いまだ仮設に残される人など、不安でいっぱいです。海では堤防が、陸地では造成が進む街並みを横目に、釜石の作り手さん訪問です。

海_s.jpg

陸.JPG

 この日は、遠野の「まけないぞう」応援団のリーダーさんと、足湯ボランティアをしていた折り紙のお二人の先生をお連れして、「まけないぞう」とつるしびなと折り紙のコラボでした。
 3月以来の訪問でしたが、待ちに待った復興住宅が完成していました。明るくきれいな建物は海を見渡す高台に建築されました。ここは以前、小学校で津波の当時は被災者の方が避難していた場所です。そこを取り壊し、戸建ての災害復興住宅を建設したのです。そこにはなんと仮設時代にボランティアさんに作ってもらったベランダもお引越ししていました。かなりのお気に入りです。1枚目の写真は仮設のときに完成したものです。2枚目は現在の復興住宅です。

仮設ベランダ.JPG

現在のベランダ_s.jpg
 
 お部屋に入ると広々としていて、真新しいお部屋が広がります。やっと落ち着いたようです。海を見下ろせる寝室に、広いキッチンでこれなら得意のお魚さばきもできます。お風呂もフラットで段差も低く作られていました。そして、大好きな子ぞうちゃんもしっかり見守ってくれていますよ。

寝室.JPG

台所.JPG

お風呂.JPG

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 そして、makenaizoneのみなさんからのお手紙を持参すると、「まぁ〜だ、みんな応援してくれるんだね。お手紙は孫や誰かが来た時にみせんだよ」と笑顔で喜んでファイルにきれいにしまってくれました。そして、今度はお孫さんの写真やら、津波に流されてしまった大事なご自分の結婚式の写真を「親せきが持って来てくれたんだよ」と見せてくれました。

ファイル_s.jpg

結婚式.JPG


 そして、いよいよつるしびなづくりスタートです。先生に教わりながらお二人とも黙々と時間も経つのを忘れてせっせとチクチク針を運んでいます。津波からお二人はとても仲が良く親子のように、避難所の時からいつも一緒です。

つるしびな1_s.jpg

つるしびな2_s.jpg

 あっという間にお昼の時間です。ごちそうを用意してくれていました。今はウニのシーズンということもあり、ウニやらホヤの炊き込みごはん、郷土料理のザクザク煮(煮物)など机狭しとごちそうが並びます。「みんなで食べるとおいしいね〜」と80代には見えない食べっぷりにびっくりしながらも、みんなでおいしく頂きました。
 そして、午後にはつるしびなの「さるぽっぽ」と傘もきれいに完成しました。

できました.JPG

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ふと気づいたら、いつも先の見えない不安からなのかは避難所の時の大変さ、辛さを何度も話していましたが、今日はなかった。やっと落ち着ける我が家になって少し気持ちが安定したのかな・・・。そう信じたい。

 〜まけないぞう一言メッセージ〜
 あの日から4年も過ぎました。まだ時々信じられない気がします。夢をみるのはいつもなつかしい家での生活です。復興もまだまだですが、全国の皆様方のご支援を頂き生活も少しずつですが落ち着いてきました。またぞうさんに出会って2年も過ぎ作るたびに表情の違うぞうさんが出来上がるのが楽しみです。そして、このぞうさんはどこに旅するのかと思うと夢が広がってきます。これからもがんばりますので、よろしくお願いします。
(2015年3月 女性 釜石市鵜住居)
posted by 被災地NGO恊働センター at 09:40| ★「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月10日

【東日本大震災】レポートNo.256

6月に、再び岩手県に入った増島のレポートをお届けします。

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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり  
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戦後70年を迎えた今年、戦争の悲惨さを振り返り、被爆国として2度と同じ過ちを繰り返さないような社会づくりをしなければならないはずが、きな臭い政権与党の動向に危機感を覚えます。最近、報道でよく目にするのは、「安全保障法案」「集団的自衛権」「憲法9条」「違憲」「合憲」などの言葉です。

 いつも「まけないぞう」でお邪魔している岩手県釜石市は、日本製鐡株式会社(当時)(現在は新日鐡住金釜石製鉄所)があり、1945年に日本本土初の米海軍による艦砲射撃を受けました。製鉄所があったので、原爆の投下される候補地にもなっていたそうです。お年寄りの方は、特に艦砲射撃を受けた夏が近づくと、当時の話をする人が多くなります。また2回目の艦砲射撃があった8月9日午前11時02分には町中にサイレンが響き渡り、「今日は長崎原爆投下の日ということで、黙祷を捧げましょう」と、黙祷を捧げています。

「まけないぞう」の作り手さんの多くは70代、80代といった戦前・戦後を過ごした方が多くいます。ある作り手さんは釜石市が艦砲射撃を受けて大変だったことを話してくれました。終戦を迎えた時は小学6年生で、戦争で大変な思いをした人たちから聞いたことを伝えてくれました。「戦争に行った人から聞いたけれど、自分の刀が切れるかどうか、敵地の女性の上半身の服を剥ぎ取り、乳房を切っていった」というのです。居合わせた兵士の方が「本当に酷かった。俺たちはそんなことをしに行ったんじゃない。」と聞かされたそうで、「戦後70年を迎えた今伝える人も亡くなっていき、私たちが聞いたことを伝えないとね」と話してくれました。けれど、中には当時の話をしていると具合が悪くなり、夜も寝れなくなる作り手さんもいます。戦後70年経った今も戦争は続いているのです。
また、別の地域の作り手さんも「津波は一日で終わるけれど、戦争は毎日だ。津波に遭っても食べ物も服もある。戦争は銭っこ出しても、食べるものも買われない」と話してくれました。津波でも相当な苦労をしていると想像しますが、それ以上に戦争は大変悲惨なことなんだと作り手さんからの話を聞いてその行間に含まれる言葉の重さを実感しました。貴重なお話を聞かせて頂いたことに感謝します。

そして、現政権の安全保障関連の審議を拙速に進めようとしていることに憤りを覚えるとともに、与党の参考人から「違憲」だと指摘を受けてまでも、自民党の高村副総裁は「学者の言う通りにしたら平和が保たれたか」などと発言する始末です。ここまで民意を無視している人たちに被災地の復興や福島第一原発の収束などできるはずがありません。5年目を迎えた被災地でどれだけ不安を抱えている人がいるのか、きちんと真摯に耳を傾け、対応するべきです。

遠い道のり.JPG

〜まけないぞう一言メッセージ〜
 もう4年ですってね。私そのうち何をしてたかしら…。でもね、津波をかぶったアヤメとマーガレットと菊、これらは港町から掘り出してきて、去年から花をつけてくれるんです。毎日水やりをして、私も元気です。私たちのほかにも災害は色々起きます。心の痛むことばかりね。でも命ある限り頑張ります。ぞうさんに慰められながら…。
(2015年6月3日 女性 釜石市)
posted by 被災地NGO恊働センター at 11:32| ★「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月05日

【東日本大震災】レポートNo.255

6月に、再び岩手県に入った増島のレポートをお届けします。

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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり 6月4日  
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 2ヶ月ぶりに訪れた遠野は新緑に包まれ、爽やかな風が吹き抜けて、田んぼには稲が風にそよいでいました。いつもながら四季の素晴らしさを実感し、自然に感謝する日々です。

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 5年目を迎えた被災地では、少し、いやだいぶ不安が被災者の心を覆っていました。仮設住宅は場所によってはほぼ空き家状態となり、半分がすでに復興住宅や自力再建などを果たし仮設を出てっていました。久しぶりに訪問した作り手さんは、「私、最近鬱かしらと思うの…」と涙をこぼしながら話し出しました。「全て失い、忘れることは絶対できないけれど、こんな辛いことがあったお陰でみなさんにこうして出会い、ぞうさんも作ることができたのよ。過去は変わらないから、前を向いて歩くしかない」と心の底から振り絞って言葉を発していました。取り残されていく孤独感、寂しさをこう話すことで、何とかぎりぎりのところで踏ん張って、いまを生きているように感じてなりませんでした。

この作り手さんは津波で旦那さんと息子さんを亡くされました。旦那さんのお話はしてくれますが、息子さんのお話はいまだ聞いたことはありません。彼女の悲しみの深さは想像をはるかに超えるのでしょう。ただただ黙って話を聞く以外になすすべもありません。
彼女のつぶやきを紹介します。
「月日の流れの早いこと。あれから4年の歳月が過ぎ忘れ去られていくような感もしないではない昨今。震災にあった私どもはまだまだ昨日のことのように思い出されます。『まけないぞう』のお陰様で心が癒され、一針一針心をこめて縫い続けております。」

こうして、少しでもまけないぞうが被災者の方に寄り添い、心を癒してくれています。最近は、販売が滞っています。ぜひ、またみなさまご協力ください。
posted by 被災地NGO恊働センター at 13:12| ★「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月29日

【東日本大震災】レポートNo.254

2月に、再び岩手県に入った増島のレポートをお届けします。

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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり 3月12日  
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 4年目を迎えた被災地訪問の今回でも、いつものように「まけないぞう」のタオルを待ちかねた作り手さんの笑顔に出会えました。

大船渡の仮設では、いつものようのぞうさんの日に集まった作り手さんがちくちくぞうさんづくりしています。被災地では仮設から復興住宅や自力再建などへ引っ越しをする人が少しずつですが出てきています。仮設を出る人は自分だけ出ていくことを負い目に感じ、後ろ髪をひかれるようにひっそりと出ていきます。仮設に残される人は、不安と孤独が入り交じり取り残されたような気持ちが漂っています。この4年間で培ってきたコミュニティが音を立てて崩れていくような状況が被災地の各地で起きています。
復興住宅でも、また知らない人ばかりでコミュニティが作れず家に籠もってしまう人も少なくありません。仮設のような長屋作りとは違い、鉄筋コンクリートの壁に囲まれ、人の気配を感じることはなく、「あの鉄の扉が重いのよね」という20年前に阪神・淡路大震災の被災地で聞いた言葉がそこにありました。20年経っても変わらない現実に憤りを感じました。避難所から仮設住宅、復興住宅と、変わらない住居の再建・・・。

それでもここの大船渡の仮設では仮設から出ていった人も、仮設の集会所に戻ってきてみんなとぞうさんづくりしています。他の仮設でもこんな風になったらいいなと思いました。

ぞうさんづくり_s.jpg

他方、高台移転を待ち続けた作り手さんがいました。この2月に市役所に呼ばれて、そろそろ区割りかと意気揚々と出かけたのですが、「どうしても山からの水を止めることができずに高台移転が急遽中止になった」というのです。昔から水が出る地域で住民も心配していたのですが、その通りになってしまいました。「4年も待ったのに、行くところがなくなった」という作り手さんの言葉が虚しく心に響きます。
きっとこんなケースはここだけではなく、他にもあるのでしょう。まさに「復興災害」です。先の見えない不安を4年も持ち続け、さらにまたその不安が増大しています。

夕日_s.jpg

〜まけないぞう一言メッセージ〜
 ○4年目を前に隣町に引っ越しました。それでも仮設の集会所に集まってぞうさんを作るのが楽しみです。自分たちが助けられたように、誰かの心を癒してくれる可愛いぞうさんをもう少し続けたいです。
(2015年3月9日 女性 大船渡市後ノ入)

○ぞうさん作りを始めて、丸4年、長いようで短い時です。これからも作っていけるのなら続けていきたいです。みなさんと交流し元気過ごしていきたいです。
(2015年3月9日 女性 大船渡市後ノ入)

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posted by 被災地NGO恊働センター at 13:52| ★「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月18日

【東日本大震災】レポートNo.253

被災地NGO協働センターです。
2月に、再び岩手県に入った増島のレポートをお届けします。

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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり 3月11日  
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 3月11日、東日本大震災から丸4年を迎えました。各地で追悼の灯りが灯され、祈りが捧げられました。10日現在で犠牲者の数は15,891名、行方不明者は2,584名、震災関連死は3,222名となりました。改めて犠牲になられた方にご冥福をお祈りするとともに、行方不明者の方が見つかりますように願ってやみません。
 そして、4年を迎えてもなお、岩手、宮城、福島の3県では81,730人が仮設住宅で暮らし、みなし仮設や自主避難などを加えると約22万8千人の人たちがいまだ不自由な避難生活を強いられています。

仮設_s.jpg

いま、被災地ではインフラ整備が進み、山は削られ、海は巨大防潮堤の工事が進み、異様な高さの堤防が各地で出現しています。

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 そして、仮設住宅から復興住宅、自力再建などステージが変化しつつあります。引っ越しを控えた人、自力再建を決めた人など心が落ち着かない様子がひしひしを伝わって来ます。自力再建を決めた人は、「当初より予算が多くなってしまった。資材も高騰しているようだ。なんだか頭が考えすぎてぐちゃぐちゃだ」と話しが止まりません。
 
 仮設住宅は1年ごとの更新で、来年どうなるのか不安を抱えながらの生活です。もっと長期的な供与期間があれば、安心して将来の展望も描けると思います。また、行政から支援される仮設から復興住宅などへの引っ越し費用が全壊と半壊などでは違い、自治体によって異なります。同じ被災者で、同じ仮設からの引っ越しでどうしてこういう格差が生じるのか?首をかしげたくなるのは私だけでしょうか??

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 そんな不安な状況のなかでも、刻々と時は過ぎ4年を迎え、追悼の灯りが灯された。遠野の仮設「希望の郷」では、地元緑峰高校の生徒さんは遠野名産のホップの和紙で灯籠を作り、被災者の人たちに届けました。ほのぼのした灯りは人の心を和ますような灯りでした。被災者の心に一日でも早く希望の灯りが灯りますように。

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posted by 被災地NGO恊働センター at 16:05| ★「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする